2013年12月9日月曜日

ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?:=その1 (1)~(5)

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JB Press 2013.12.09(月)   金廣 純子
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39364

正確な時計が一つもないテレビ局、想像できますか?
ある日突然降って湧いたミッション
カンボジアでロボコン!?

カンボジアの首都プノンペンは、一言で形容しがたい不思議な街だ。

タイのバンコクのように仏教的な雰囲気はあるにはあるが、その横にフランス植民地時代の薄汚れた建物が建つ。
その保存状態は極めて悪くほとんどが朽ちており、ベトナムのハノイのような統治時代の面影を残すわけでもない。

空き地には、次々と高層ビルが建築されているが、いつまで経っても完成する気配がない。
そのくせして、体裁の良いレストランやブティックホテルはある日突然現れる。

道路の舗装状態は悪く、アスファルトは剥がれてボコボコ穴が開いている。
だから、というわけじゃないだろうが、ぴかぴかのトヨタのレクサスが埋め尽くしているかと思うと、ボロボロのトラックやバンに人と荷物をこれでもかと積み込んで疾走し、その合間をアリのようにモト(オートバイ)が無秩序な隊列を作って殺到する。

■「援助」と「経済成長」が混在するカンボジアに来た理由

アンコールワットのあるシェムリアップに観光客は集中し、首都なのにここプノンペンに立ち寄る外国人はそのうちの数割だ。
実際、プノンペンに来たところで、観光スポットは王宮と、ポル・ポト時代の「負の遺産」であるトゥール・スレンとキリング・フィールドぐらいだ。

あとは、小洒落たブティックホテルのプールで泳いで、スパして、夜はおしゃれなフレンチレストランやワインバーで安い関税の恩恵を受けて恐らく世界一安いワインと美味しい料理を楽しむ――くらいしかやることがない。

なんだか、2~3日ゆっくりするにはいいけれど、ゆっくりするだけで、充実感がないというか、街全体が急場しのぎの書き割りみたいなのだ。
つまり、プノンペンのこのありさまが、今のカンボジアを象徴しているような気がする。

70年代のポル・ポト政権下の信じられないような愚行から長きにわたる内戦によって、文化、知的財産、人材をことごとく破壊されてしまい、カンボジアには未だにインフラを自分たちの力で整えられるほど、国としての体力が回復していないし、自国の産業として誇れるものは皆無と言っていい。

安い人件費を求めて外資が流入する昨今は、高い経済成長を反映してか、外国人相手の手軽に提供できるサービス・飲食産業だけがいびつな形で発展している。

ところで、この国には重要な産業がもう1つある。
それは「援助」という産業である。

カンボジアが供与を受けているので、正確に言うとカンボジアの産業ではないし、「援助」が産業かどうかは、議論の余地があるだろうが、しかし、この国は援助なしには成り立たないのも事実なのである。

で、一応、この連載を始めるにあたって、私が何をしにこのカンボジアにやって来ているのかというと、JICAのシニアボランティアという「援助」を行う一員として、2012年6月にカンボジアの国営テレビ局に「テレビ番組の制作指導」という立場で2年の任期で配属され、今に至っている。

■番組制作指導に入ったカンボジア国営テレビ局、そのトホホな実情


●カンボジア国営テレビ局の外観(写真提供:筆者、以下同)

さて、このカンボジアの国営テレビ局というのをどう説明すれば皆さんに正しく状況が伝わるのか・・・。
実は相当悩んでいる。

例えば、局舎やスタジオの機材などは90年代後半に日本のODAによって供与され、その機材の80%ぐらいは壊れてしまっていて、だましだまし使っている。

ナレーションなどを収録するスタジオの機材はほとんど動かないから、普段はオフィスの部屋で、カメラマイクでナレーションを収録して、その間だけみんなで静かにしているとか。
内線電話もなければコピー機もなくて、局にサーバーもないので、みんなGmailやYahoo!のフリーメールを使っているとか。

ここまではなるほど・・・ですか?


●ニューススタジオでモニターを確認するスタッフ

局の中にまともな時計は一つたりとも存在しない。
そもそも、私は「動いている時計」をスタジオ以外で見たことがない。
そのスタジオにある時計だって、あっちの部屋にある時計と、こっちの部屋にある時計は1分ぐらいずれている。

だから、例えば7時ちょうどに放送されるはずの番組のスタートは7時2分前だったり、7時3分過ぎだったりするとか。
レギュラー番組の番組尺(長さ)が決まっていないので、ある週は24分だけど、翌週は18分だったりとか・・・。

ちょっとびっくりしました?

それに、局の中でどんな番組がいつ放送されているか、誰も正確には知らない。
そもそも日本では新聞に毎朝掲載される番組編成表がこの局には存在しない、毎朝どころか、現在レギュラー的に放送されている番組表すら存在しない。

番組担当プロデューサーに聞いても、ほとんどその放送日時をちゃんと言える人はいないし、中には、「番組が完成すると放送される」と答えるプロデューサーもいるとか。
国営テレビ局なのに、CMが流れているとか・・・。

ちょっと笑えますか?

定時ニュースだってほとんど録画したものが半日遅れで放送されるこの放送局で、昨年から局史上初めて毎朝生放送の2時間の「朝のニュース情報番組」がスタートしたのだが、この番組の準備期間はほんの3週間で、しかもスタッフは総勢たったの15人くらい。

技術専門スタッフは存在せず、さらに半分以上は大学を出たばかりの全く基礎的な訓練も受けたことのないスタッフで、全員で生放送が唯一できるスタジオで1週間前からトレーニングをして、全員持ち回りでカメラマンをやったり、音のミキシングをやったり、VTR出しをやったりしている。

だからもうこの番組ではライトが壊れたといっては、真っ暗なスタジオから放送を出してしまったり、モニター出し用のPCがウイルスに感染したといっては、VTRが出せなくなったり。
 
それより何より、ライブテロップ(生放送で、アナウンサーの名前やニュースのタイトルなどのテロップを出すこと)をどうやって出せばいいのか誰も知らなくて、今までテロップを一度も出したことがないとか・・・。

ここまで来ると、ほとんどギャグでしょうか?

■ある日突然、「ロボコン」開催を相談される

しかし、これがカンボジアの国営テレビ局の2013年現在の状況である。

つまり、こういうお金もなければ、人材もなく、インフラを整えたところで、それをメンテナンスするだけの力がない国で(この国で機材が壊れても、部品が手に入らないので、修理ができないし、こういった専門的な機材をメンテする人材もいない)、お金も掛かれば、専門的人材の育成も必要とされる「放送」という事業をすると、こういうことになってしまうのである。


●生放送のニュース番組の収録中。全てのスタッフが「何でもできる」ように1週間でトレーニング

お金も人材もある国日本ならば、高校の放送部だってこれよりマシというものだ。

で、このお金も、人材もなく、インフラもメチャクチャなテレビ局で、私のカウンターパートである副局長から、私はある日相談を受けたのである。

「日本が発祥で、アジアでも今大会が開かれている『ロボコン』を是非うちの局で開催して放送したいんだけど、どうにかならないか?」と。

ということで、ようやく本題にたどり着いたが、この「ロボコン」をこれから開催するまでの「ドタバタ」を、ほぼリアルタイムで毎週ここに描いていくつもりだ。
ま、カンボジアっていうのはこういう国ですから、「ドタバタ」も含めて何でもアリ、なんである。
そんなことを毎週「ぼやき」半分で書いていきます。

※本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。
 』


JB Press 2013.12.16(月)   金廣 純子
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39404

ロボコン始動、幸運なスタートも1ミリの差に躓くやるなら「今でしょ」は甘かった
カンボジアでロボコン!?(2)

 カンボジアで「ロボコン」をやることになった。

というか、やろうと思っている。
言い出したのは、私のカウンターパートであるカンボジア国営テレビ局の副局長パン・ナッ氏、通称、松平の殿様。
そしてやろうと同意したのは私である。

なぜ松平の殿様なのかというと、この方、その昔、このテレビ局の「看板アナウンサー」だったそうで、日本で言うとNHKの松平定知さんのような存在だと、前任者から紹介を受けたからである。
というわけで、私はこの人を「殿様」と密かに呼んでいる。

■日本発のロボコンがアジア地域に広まった理由

では、なぜ殿様は突然「ロボコンをやりたい」などと私に言ったのかというと、この国営テレビ局は、アジア太平洋放送連合(ABU)に所属しているのである。

ABUというのは、西はトルコ、東はサモア、そして北はロシアから南はニュージーランドまでのアジア太平洋の63の国と地域から255以上の放送事業者が参加している組織だ(ABU公式ウエブサイトより)。
ちなみに、日本からはNHKとTBSが加盟している。

そしてこのABUでは、番組ソフトをアジア地域で共有して、それを地域全体に発展させていこうという活動があるのだ。
その老舗的な存在が、ABUロボコンなのですね。

そもそもNHKで始まったロボコンの放送が、ABUによってアジア地域のロボコンとして各国の参加を得て始まったのが、今から11年前の2002年のこと。

当初は日本が圧倒的に強かったけれど、タイ、ベトナムなどの新興国や、中国、インドがその国力とともに台頭して、
毎年びっくりするようなロボットが登場し、そのテクニックや発想のユニークさを競っているのだ。

そして今や、ASEAN加盟国で参加したことがない国は、ミャンマーとここカンボジアだけになってしまったのである。

で、殿様は、このABUの会議に参加するたびに、ロボコンの映像やら、ワークショップやらを見せられて、ずっと「いいなあ」「参加したいなあ」と思っていたらしいのだ。
つまり、ABUに所属しているテレビ局が主催なり、独占的に放送していないと、このABUのロボコンには代表を出せないのである。

だから、先週書いたように、まともな時計が一個もなくて、時間通りに番組が始まらない、そしていつどんな番組をやっているのか誰も知らない、このビンボーテレビ局でも、日本や中国や韓国の代表と同じ舞台にカンボジアの代表を送り込めるチャンスがある、というわけだ。

■「今でしょ!」とプロデューサーの勘で思ったものの・・・
殿様から相談を受けた時に、「今ならやれるかな?」と私は思った。

カンボジアはこのところ外資がどんどん入って経済も右肩上がりだし、周辺国の労働者の賃金が上がって、次から次へと工場がカンボジアにシフトしてきている。
プノンペンの街は高層建築の建設ラッシュだし、大規模な商業地域の開発も数カ所で同時進行中だ。
 

●高層ビルの建設が進むプノンペン市内(写真提供:筆者、以下同)

これを称して東京オリンピック当時の「三丁目の夕日」だという日本人もいるように、国全体が「ダメダメ」ながらも、街の表層は発展している感にあふれている。

だからなんとなく、「やるなら今でしょ」という気がしたのである。
これは、プロデューサーとしての勘だ。
それと、ちょっと図々しい言い方だけれども 
 「私が居るならできるでしょ」
という気もあった。

 
●高層ビルの数ブロック先では、使われていない鉄路の周りが荒れ果てている

というのも、このテレビ局にやってくる専門家やボランティアの人々というのは、その時代時代によって、テレビ局が必要とする、放送のいろいろな分野の人なのである。

たとえば撮影技術の専門家であったり、番組(電波)を送出する専門家であったりするのだが、私はたまたま「テレビ番組制作」のために呼ばれてきたのだ。

だから、カメラが壊れたから直してくれ、と言われても私には直せないし、スタジオの照明を新しくしたいのでアドバイスしてほしい、と言われても何もできない。

けれど、ロボコンのようなイベントや番組を立ち上げるために、人に会いに行って、頭を下げて、情報を集めて、組織を作って、というのは、日本でプロデューサーとして嫌というほどやってきたから、なんだかできそうな気がしたのである。

ということで、まず私は、同じJICAのシニアボランティアで、プノンペン郊外のプレアコソマ工科大学で土木工学を指導している德田稔夫さんに相談をした。
根っからの文系である私にとって、「工学」系の人ならきっと知恵があって、その大学に声をかければ、ささっと参加者が集まるかもしれないと思ったからだ。

そうしたら、徳田さん曰く
「私はロボットのことはわからないが、今度電子工学の先生で平松さんという人が来たから、その人に相談してみよう」
ということになった。
「ロボコン指導経験者を得て一安心」は、ぬか喜びだった

平松健二さんは日本の職業訓練校で長年教鞭を取られてきて、スリランカの大学などでも指導されてきた方なのだが、何と、日本でもスリランカでもロボコンに出場するためのロボット製作を指導して来たと言うのである。

「できた!」

日本で番組を立ち上げたり、イベントを立ち上げたりする場合、こういう専門のキーパーソンが見つかれば、大体できたも同然なのである。
あとは、専門的なことはその人にお任せして、私は番組放送のための組織を作って、お金を集めればいいだけだ。

やったぁやったぁ、半分できたと思い込んでいたら、その数日後・・・。

「一番簡単なタイヤ付きのライン・フォロワー・ロボット(黒い盤上の白いラインをセンサーが認知して自律的にその白いラインの上を走るロボット)を作るための部品を探しに行ってきた」
と平松さん。

「はいはい、ここにはガラクタみたいな部品、市場に行けばいくらでもあるから、何となかなりますよね?」
と私。

「いや、ないんだ」

「へ?」

「揃わない、ここじゃ」

ええ!?
だってだって、あんな簡単な(に見える)ロボットを作るための部品なんて、日本じゃ秋葉原に行けばごちゃまんとあるし、ここカンボジアには秋葉原にあるみたいなワケの分からない部品屋やバッタモン屋がたくさんあるから何とかなるんではないの?
と思った私が甘かったのである。

「それとね」
と平松さん。
「ライン・フォロワーの白いラインっていうのは、ABUを始めとして世界のロボコンの規則では1.9センチと決まっているの。
いわゆる日本で売っている白いビニールテープあるでしょ。
あれの幅が1.9センチ」
と言って、白いテープを出してきた。

「これ、こっちに売ってる白いビニールテープなんだけど、図ったら2センチなの。
だからダメ。
これ、使えない」

ええええ〜!

つまり、日本は部品にしろ、ビニールテープにしろ、一つ一つJIS規格などできちんと幅や大きさや材質までもが決まっている。
だからどこで何を買おうが、同じ規格、同じ品質のものが手に入る。

しかし・・・ここはカンボジアなのである。
そもそも、法整備すら途上段階にある国なのである。
税金だってまともに徴収できていないのである。
そんなカンボジアでJIS規格に類したものなんてあるわけないのである。

それでテープの幅は2センチで、ロボコンをやるには非常に不都合、とこういうことなのだ。嗚呼!

ということで最初の部品集めから早くも頓挫してしまったのである。
そして、こんなことはほんの序の口。
まだまだここからめくるめく「謎のカンボジア王国」とロボコンの闘いは始まるのである。



JB Press 2013.12.24(火)  金廣 純子
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39483

「カンボジアってそういうところ」は迷路の入り口行く手を阻む”縦割り” ”序列”
カンボジアでロボコン!?(3)

前回、ロボットを作るための部品がカンボジア国内では揃わない、ということを書いた。
で、その部品をどう調達するかという問題を解決しながら、別のこともやらなくちゃいけないわけである。

何もないところで一から何かを立ち上げるというのは、同時進行でいろいろなことを考えて、情報を集めて、判断をしていかなければいけない。
何か一つのことに集中してそれ専門にやっていく、というわけにはいかないのですね、当たり前だけど。

■ロボコン開催に欠かせない「参加者」の出場資格とは

カンボジアで初めて大学対抗のロボットコンテスト(以下、ロボコン)を立ち上げるには、大きく分けて以下の4つが必要なのである。

1.参加者がロボットを作るための部品
2.ロボコンの参加者
3.ロボコンを開催するためのお金
4.そしてそのロボコンを放送する番組制作に必要なお金

とまあ、前回紹介したようなわけで部品がなかなか見つかりにくい状況はお分かりいただけたと思います。
それでこの「部品問題」がどうなったかちゃんと詳らかにしないうちに、とっとと別の問題が起こってきたのである。

というのも、一応、言い訳をしておくと、この原稿を依頼された際に、編集者の方から「ほぼリアルタイムで」のレポートをお願いされたのであるが、時系列的には同時にいろいろな問題が起こっているので、言われた通りに書くとそうなっちゃうのだ。

ところで、カンボジアでなぜロボコンをやろうとしているかというと、前回も書いたが、私の配属先のカンボジア国営テレビ局の私のカウンターパートである”松平の殿様”が、
「カンボジアでもロボコンをやりたい。
アジアで広く行われているアジア太平洋放送連合(ABU)のロボコンにカンボジア代表を出してみたい」
とつぶやいたのがきっかけなのである。

ならば、ABUの出場資格に沿った形で出場チームを考えなければいけないわけだ。

ABUのロボコンの出場資格はどうなのかというと、
「アジア・太平洋地域の大学、工科大学(ポリテクニック)の学生たちが、与えられた競技課題に従い、アイデアとチームワークを駆使してロボットを製作し、競技を通じて技術力と独創力を競う、全く新しいユニークなコンセプトの国際的教育イベントです」
(NHK大学ロボコン2014〜ABUアジア・太平洋ロボコン代表選考会〜より)とある。

まず、最初は広く広報を行ってカンボジア中の工科大学に声をかけるという手もあるなと思った。
しかし・・・そもそもカンボジアにどのぐらい工科大学があるのかわからないし、どんな手段で声をかけるのかもよくわからない。

いずれにしてもロボットが完成した暁には、プノンペンで大会をやるわけで、たとえばカンボジアの北西部にあるバッタンバンの工科大学に声をかけて参加してもらったところで、移動手段は陸路だけ、しかも、カンボジアには客車が走っている鉄道はないので、移動に車で片道6時間。
どう考えても、1回目の今回には無理がある。

■ロボコンの出場大学集めに立ちはだかった意外な壁

ということで、工科大学(Polytechnic)の学生なんだから、協力を仰いだ平松さん、德田さんが配属されているPPI(Preah Kossomak Polytechnic Institute)は出場資格ありなわけで、そこからプノンペン市内にある工業系の大学にでもいくつか声をかけてもらって参加を募るのがいいのではないか、ということになった。

ふふふ・・・またしても、これで出来たも同然と思った私である。うまくいきそうではないか・・・!

そこで、お2人から学校に相談してもらうことにした。

早速、PPIの学長に相談してくださったお2人の意見は、PPIと関係の深い工科系の大学があと2校あるので、そこは内々に根回しをPPIの学長からしてもらい、まずはロボコン企画者である国営テレビ局の”松平の殿様”から正式に連絡をしてもらった方が良いのではないか、ということになった。


●プノンペン市内のスナップ。使われていない線路の上で生活する人たち(写真提供:筆者、以下同)

ここで問題になったのは、
「記念すべき第1回のロボコンに参加する大学がこの3校で本当に妥当なのか?」
ということだった。
実は、カンボジアにはITC(Institute of Technology of Cambodia)という工科系では一番と言われる大学がある。

いわば、日本の東工大である。
ここが参加しないロボコンというのもどうなんだろう・・・ということに当然なったわけである。

それじゃあ、PPIの学長がITCに声をかければいいじゃないか?
と思うのであるが、それはそれ、カンボジアという社会においてはほとんど「あり得ない」ことなのですね。

と言うのも、PPIと、PPIから声をかけてもらうNPIC (National Polytechnic Institute of Cambodia)とNTTI(National Technical Training Institute)の3校は、労働訓練省(Ministry of Labour and Vocational Training)の傘下にある、いわば労働訓練校のような存在なのである。

ところが、カンボジアの東工大=ITCは教育省(Ministry of Education)の傘下なのだ。つまり管轄が違うので連絡なんか取れない、というわけだ。
カンボジアのこの「縦割り」社会ぶり、というのは相当なものらしいのだ。

ということで、私は殿様に聞いてみた。

「とりあえず、PPIから声をかけてもらって、NPICとNTTIはもう根回ししてあるから、一応殿様から電話してもらいたいんだけど、ITCが参加しないっていうのはマズイと思うので、殿様から聞いてみてもらえる?」と。

すると殿様は、知り合いがいるから聞いてみるよ、と結構気軽に答えたのである。

数日後・・・。
殿様は私にこう言った。「電話したんだけど、やらないって」

え? どうして?

「既に自分たちはロボットなんて作ってるし、十分に作り方もわかってるし、そんなもん他の大学と競うほどのことでもない、って言ってる」

うーん、なるほど。
聞きしに勝る縦割りぶり、さらにカンボジアの東工大たるITCのプライドは富士山よりも高いのだ。

■「カンボジアってそういうところ」

しかし、一応声をかけたということが大事なのだ。
ということで、お断りされたのであるから、仕方がない。
我々はPPI、NPIC、NTTIの3校からの参加を決定し、ではどうやって運営していこうかという議論に入った。

ロボコン専門家の平松さんの意見はこうだった。

この先毎年ロボコンを開いていくのであれば、JICAに所属する我々が任期を終えてこの国を離れても(我々の任期は2年間、ちなみに私は来年の6月末に任期を終える)、カンボジアの人々が自分たちの力でこの大会を運営していけるようにならなければダメだ。

だから、大会の規則とか、大会までのスケジュールをどうするかというのは、参加大学同士で話し合って決めてもらおう、と。

賛成である。
大いに賛成。
それは我が国営テレビ局にも言えることで、私たちが主体的にやるのではなくて、カンボジアの人々が自分たちでロボコンを作り上げていくことが一番大切なのだ。

ということで、各大学から幹事役となる先生を決めてもらい、彼らによる運営のための会議を開くことにした。
私は殿様に
「幹事の先生たちに連絡して、会議を決めて、殿様も出てよ」
とお願いをしてみた。

ところが・・・殿様曰く、

「ジュンコさん、あなたはカンボジアのことがよくわからないからそう言うけれど、私がそういう人に声をかけるわけにはいかないのですよ。
学長には声をかけるけど、そこまで。
カンボジアというのはそういう社会なの。
それにその会議にも私は出るわけにはいかないの。
カンボジアってそういうとこなの」

「カンボジアってそういうところだ」って言われるとねえ、私も何も反論できないのだ。

たとえば、日本社会で、一生懸命その人のことを思ってお土産を選んで、「つまらないものですが」と言って出すのはおかしいではないか?
と外国人に言われた時に、「だって日本ってそういうところなんだもん」って言うのと同じですからねえ・・・。
ちょっと違うような気もするけど。

ということで、各大学の幹事役の先生たちには私が連絡を取って、ようやく会議の開催にまでこぎつけることとなった。

しかし、カンボジアの人に自主的にロボコンを開けるようになってほしいという私たちの思いとは裏腹に、この先も「カンボジアってそういうところなの」という現実に悩まされることになるのである。



JB Press 2013.12.30(月)  金廣 純子
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39542

日本人の「やり遂げる」気概をカンボジアに伝えたい協力を申し出てくれたタイのテレビ局
カンボジアでロボコン!?(4)


カンボジアで初の大学対抗ロボットコンテスト(以下ロボコン)をやろうと動き出してみて、今まで知ろうとする機会もなかったいろいろなことが分かってきた。
だから、まずは動き出してみて良かったと今は素直に思っている。


例えば、最初に書いた部品をどう調達するかという問題だ。
カンボジア国内ではロボットを作るのに必要な部品が手に入らない。

日本でならば簡単に手に入る単3の電池。
これを200本手に入れようと、プノンペン市内でも大きな文房具店に行ってみる。
「ある?」と聞くと、最初は「ある」と答える。
見積りも作ってくれる。

さて、所定の期日までに納品して、という段になると「ない」と言う。
これが一軒の文房具店だけじゃない。
担当の德田さんは、これを3軒立て続けにやられて、やる気を失ったと言っていた。
何でもあるが、必要なときには「ない」

なんでこんなことが起こるかというと、カンボジアには自国で生産できるものが農産物以外「皆無」であると言っていいからだ。

外国人向けの高級スーパーに行けば、何でも手に入る。
でも、例えば、たまにしか購入しない歯磨き剤とか歯ブラシなどは、以前購入したブランドが二度と見つからなかったりする。

ハンドクリームも同じものを見つけるのは至難の業だ。
綿棒はたくさんあるのに化粧用のコットンがないとか、生理用品があふれているのにサイズや種類が1つしかないとか。


●街はモノで溢れているが同じ商品が明日あるとは限らない(写真提供:筆者、以下同)

アルミホイルもラップも、あるにはあるけれど、以前買って気に入ったブランドは次回行っても手に入らない。
今日あるものが、明日もあるとは限らない。
だから「ある時にまとめて買っておく」しかない。

つまり、ものは溢れているように見えるけれど、外的・内的な要因で供給が突然ストップしたり、あるいは極端に数が減ったりする。
当然値段は釣り上がる。
自国で生産できない、ということはこういう脆弱な側面を持っているのだ。

さらに、通関の問題がある。
以前にも書いたけれど、この国の法整備はまだまだ途上段階にある。
税金だってまともに徴収できていない。
関税制度も勿論あるが、日本も含めた諸外国からその整備を支援されている。

ちなみに、関税局は一番の人気商売である。
「給料以外のお金」が入るから、とも言われている。
この風評が何を示しているか? 
推して知るべし、である。

■「確実にできる」ことを諦めている国

ということで、ロボコンに参加する学生たちに配るロボットのパーツは、通関の問題やら輸送の問題やらがありそうだということになり、結局日本から入れるのが一番確実だろうということになった。

勿論、コストはかかる。
しかし、より確実にパーツを入れることのほうが優先されるからだ。

 つまり、この国には「確実にできる」ことがほとんどない。
確実にやるためには、先進国以上のコストがかかる。
確実にできないから、やってみるといろいろな障害が起こって、途中で諦めざるを得なくなってしまう。

そうして人々は結局いろいろなことに期待を抱かなくなる。
つまり、社会に信用というものが存在しなくなる、ということの悪循環なのである。

だから私は、どんな規模でも今回ロボコンを実現してみせる、と決めた。
私が“松平の殿様”と密かに呼んでいるカンボジア国営テレビ局の副局長に「やりましょう」と言った以上、絶対にやり遂げてみせる。

その根底には、どこかで「日本人は約束を守る」ということを彼らに認めさせたいし、だったら彼らにも同じことができるはず、ということを知ってもらいたいという気持ちもあった。

当然ながら、殿様が「やりたい」と言ったのだから、殿様にも責任はあるのだ。だから殿様が諦めてしまったら私の負けである。

殿様を共犯者にしてやろう・・・。

■ハノイの会議で外堀を埋め、退路を断つ

ということで、少し話は遡るけれど、10月、私と殿様はベトナムのハノイに行ったのである。
ハノイで行われた、アジア太平洋放送連盟(以下ABU)の総会に出席するためだ。
そしてこのABUこそが、殿様の最終目標である「ABUロボコン」の主催団体なのだ。

ハノイの一流ホテルの会場で、恐らく数百人という放送業に関わる人々がアジア中から集まって、いくつも会議が行われた。

そこで、私は何とかABUの理事であるNHKの方を探し出して、カンボジアでロボコンをやろうと思っているので、力を貸してほしいとお願いをした。
勿論、殿様を連れて、2人でご挨拶した。

その方は親切なことに、会議の期間中に窓口となるいろいろなNHKの関係者をご紹介くださった。
そのたびに、「殿様、殿様、協力してくれるってNHKの人が言ってるから、来て来て」と、広い会議会場を私は殿様をずるずると引っ張って行き、2人で挨拶した。

もうここまで外堀を埋めてしまえば、殿様だって諦めることはないだろう。
何より、日本人である私自身が自分の国のNHKの人たちに会うことで、自分自身の退路を断った。

これだけ派手に挨拶した以上、できませんでした、とは絶対に言えないところまで自分を追い込んだわけだ。

そして、こうしてお会いしたNHKの人を介して、私はタイの公共放送局MCOT(タイのNHKのような存在のテレビ局)の副会長であるジョッキーさんに会うことができた。

聞けば、彼はこれまで周辺諸国へのロボコン普及のために、国を超えて様々な協力をしてきているのだという。
「だから、きっと力になってくれるはずです」とご紹介くださったNHKの人は言った。

いかにも人の良さそうなジョッキーさんはこう言った。
「タイの優勝チームをカンボジアに派遣して、どうやってロボットを作るかを指導してもいいですよ」と。
見たことのないものを番組にできるか?

しかしねえ・・・。

カンボジアには極端にお金がないのですよ。
派遣していただくというありがたいお言葉をいただいても、我々には彼らをご招待するほどのお金もないのである。

そもそも、ロボコンを開催するお金も、今必死で寄付とか広告とかで集めているのである。
本当にありがたいお言葉ですけれど、本当にお言葉だけで・・・。
と私はその時思った。

それでも、ハノイから戻っても、ジョッキーさんの笑顔が私の頭から離れない。
もしかしたら、お金を最小限にしても、協力してもらえることがあるんじゃないか?

例えば、このカンボジアの国営テレビ局がロボコンを番組化すると言っても、殿様と私以外、誰もロボコンを見たことがないのだ。

どうやって大会を中継し、番組として演出し、視聴者に伝えるのだろう? 
自分たちが「面白い」と思わないものが、否、そもそも何だか分かっていないものを、番組にできるわけがないじゃないか。

だったら、例えば、殿様と演出スタッフがタイに行って、どうやってロボコンの番組を作るのか、具体的に指導してもらった方がいいんじゃないか? 
いや、それがないと恐らく番組として成立しないだろう。

そう思った私は、ジョッキーさんにメールを送った。

「優勝チームを派遣してくれるというありがたいお申し出は、残念ながら我々にはそのお金が用意できないのでお受けしたいけれど、お受けできない。
しかし、例えば、あなたたちがどうやってロボコンを番組として演出し、準備しているのかを教えてもらうことはできないか?」
と。

すると、ジョッキーさんから程なくこんな連絡が来たのである。

「来年の1月に、タイのロボコンの国内大会があります。
我々もその大会の中継をやるが、ちょうどいい機会だから見に来たらどうでしょう。つ
きましては、12月中に是非一度打ち合わせにいらっしゃい」

これはいい機会だ。
殿様と私でそれを見学するぐらいの費用であれば、何とか捻出できるかもしれない。

ということで、私は一路、バンコクに向かったのである。



JB Press 2014.01.06(月)  金廣 純子
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39583

天と地ほどの違いがあるタイとカンボジアの放送局
タイ公共放送局の提案に対するカンボジア情報省の決定は
カンボジアでロボコン!?(5)

前回は「私は一路、バンコクに向かったのである」で終わったが、実はそう簡単にバンコクには行けなかった。

というのも、11月末から突然沸き起こったバンコクの反政府デモ。
最初はいつものことだろう、くらいに思っていたのだが、どんどんエスカレートしていき、結局、私が出していた出張申請は「情勢不安定のため公務の渡航はしばらく見送り」ということになってしまった。

■反政府デモの激化でバンコク行きに黄信号が灯ったが・・・

でも、タイの放送局MCOTとの約束はある。
じゃあ、仕方ないから私用渡航ってことにして自腹で行こうと決めた途端に、今度はMCOTとも連絡が取れなくなってしまった。

どうもバンコクのいろいろな公的機関がデモ隊に占拠されていて、大変なことになっているらしい。
MCOTとしても、カンボジアくんだりから「ロボコンの相談」にやって来る、訳の分からない日本人なんかにかまっている暇はないのかもしれない。

しかし、このチャンスを逃すと私も12月中にバンコクに行く時間が全く取れない。
ジョッキーさんの携帯電話番号も分かっているし、とにかく連絡は取れないけれど、行ってみるか・・・と思っていたら、出発2日前になってようやく連絡が来た。

やはり、MCOTはデモ隊に占拠されていたというのだ。
ようやく元の状態に戻ったから、予定通りMCOTで是非会いましょうと書いてあった。

●まるで六本木のようなバンコクの中心部(写真提供:筆者、以下同)

なるほど、メディアでニュースとなって流れていることが、自分に直接関わりのある人々にも影響しているのだなあ、なんて感慨にふけりながら、兎にも角にも確認が取れたことに安堵して、バンコクに向かったのである。

プノンペンから飛行機で約1時間、バンコクに到着すると、そこには「先進国の」大都会の風景が広がっていた。

街には高層ビルが立ち並び、モノが溢れ、モノレールと地下鉄が交差する駅にはコンビニが立ち並び、人々は足早に通り過ぎる。
すべてがキラキラと輝いて見えた。
まるで一足飛びに東京に舞い戻ったような感じだ。

こんな光景が国境のすぐ向こう側にはあるのに、一体カンボジアの建物の粗末さとゴミの多さと道路事情の悪さと埃っぽさと、そして何より貧しさと言ったら、なんだろう? 
と、大きなカルチャーショックを受けていた。

■打ち合わせに向かったタイの公共放送局MCOTでの不意打ち

MCOTはタイの公共放送局だ。日本で言えばNHKのような存在である。

カンボジアの国営テレビ局と似たようなものと言えばそうかもしれないけれど、朽ち果てた建物の前に、人々が所在なくのんびりと佇んでいる我が局とは違って、MCOTは日本のテレビ局のように局舎がいくつも分かれて建てられ、関係者が忙しそうに行き来する、まさに「マスコミ!」って感じなのである。

素人じゃない私ですら、こう感じてしまうほどの大違いなのだ
(ちなみにこの記事のために写真を撮ろうと思っていたのに、あまりのことに圧倒されてしまったカンボジアの田舎者は、気づけば写真を撮ることもすっかり忘れてしまったのである)。

さて、大玄関からエレベーター(!)に乗り、ジョッキーさんに案内されて通された部屋は、何やら「役員室」とのことであった。
そしてぞろぞろといろいろな人がやって来た。

皆にこにこと感じが良い人ばかりで、名刺を交換すると、全員「バイスプレジデント」。
そして、ジョッキーさんが、
「じゃあ、プレジデントはあとから来るから、まずは皆で内容の話を始めておきましょう」
と言う。

え、プレジデントまで来るの? なんかスゴイことになってないか?

まずは、私が今のカンボジアのロボコンの状況を説明する。
3月の開催に向けて参加大学がようやく決まったこと。
カンボジアにはお金がないので、いろいろな企業からお金を集めていること。
ロボコン大会の模様は国営テレビ局で放送するけれど、大会自体は参加大学による自主的な運営にして、これから毎年開催をしていくこと。

第1回目はまず開催することが目的なので、最も簡単なルールにするために、アジア太平洋放送連盟(ABU)のロボコンのルールに則した大会にはならないこと。
しかし、5年後にはABUルールでのロボコンを国内大会で組織して、カンボジアの代表チームをABUロボコンに送り出すのが目的であること。

そのために、1月に行われるというタイのABUロボコンの国内予選を視察させてもらい、どのように番組を作っているのか、カンボジア国営テレビ局のスタッフに学ばせたい、と。

すると、まずジョッキーさんは意外にも、こう言ったのだ。

「実は、国内大会は4月になりました」

え〜!

「というのも、今年からタイのスクールイヤーは、日本と同じ4月からスタートすることになったからです」と。

あああ、またしても、私が考えていた「最低限のお金で、ロボコン大会の模様を学ぶ」計画は瓦解してしまったのだ・・・。

■落胆の後の驚くべき提案に呆然となる

しかし、ジョッキーさんは、私の落胆の表情にも気づかずにこう続けた。

実は、我々は以前、ラオスでロボコンを開催するためのお手伝いをしたことがある。
その時は大会の組織など何もできていなかったので、ラオスの工科大学1つだけに指導して、その大学内で大会を開いて、ABUに代表を出した。

しかし、結局、ラオス政府にも民間にも国内大会を組織していくだけの力がなかったから、後が続かずに、その1回きりになってしまった。
その反省がある、と。

だから我々には提案がある、とジョッキーさんが満面の笑顔で続ける。
今回、我々MCOTは、次の3つについてカンボジアに支援をしたい。

1.大会をどうやって組織するか
2.参加学生はどのような手順とスケジュールでロボットを作っていくか
3.大会の模様をどのように番組にするか

「この3つを実現するために、まずは大会1カ月前にテレビスタッフをカンボジアに派遣して、番組制作のためのすべてを指導しましょう。
そして大会数日前から、大会組織の指導者と、大学チャンピオンと、再びテレビスタッフを派遣して、ロボコンの大会のために必要なことをすべて指導しながら、一緒に作りましょう!」
と。

全くもって夢のような提案である。
しかし、これだけの人をカンボジアに招待するのに、一体どれだけのお金がかかるのだろうか。
ダメなものは早めにダメと言わないとこじれるのは自明なので、私は即座にこう答えた。

●プノンペン郊外の労働者たちの通勤風景

「ありがとうございます。
本当に素晴しいお申し出です。
でも、カンボジアにはそれだけの人を招待するだけのお金がありません。
だから残念ですけど・・・」

すると、ジョッキーさんはこう言ったのだ。

「いやいや、こちらから派遣するスタッフの飛行機代も、宿泊費もすべてうちで負担するよ。
だから心配しなくて大丈夫」

なんと! 
しばらく私は彼の言葉が信じられなかった。
「ホントに?」と言ったまま、呆然としてしまった。
そんな提案がされるとは思ってもみなかったからだ。

■プレジデント登場で打ち合わせは無事終了。
 対するカンボジア政府の答えは?

そして、別のバイスプレジデントの女性がこう続けた。

「実は、2016年にはタイで我々MCOTがホストとなって、ABUロボコンを開催するんですよ。
そういう事情もね、あるんです」
と。

なるほど、恐らく言外に彼らは5年後のカンボジアチームのABU出場を、3年後にタイで行われる大会出場へと前倒しし、ミャンマーを含めたASEAN地域の国からの全参加ということを目指しているのかもしれない、とその時思った。

そこにプレジデントが入ってきた。
やっぱりプレジデントは、すごく風格があるのである。

ジョッキーさんが私に、カンボジアのロボコンについての説明を促し、私が状況説明をして、ジョッキーさんは、先ほどのMCOT側の提案を繰り返し、
「そういうことになりましたので、是非協力関係を築いていきたいと思いますが」
とプレジデントに提案。

プレジデントは、「よろしい」と言って、私に握手の手を差し伸べ、
「ということなので、カンボジア国営テレビ局のトップによろしく伝えてください」
と、私たちは固い握手を交わし、儀式は終了して、プレジデントは立ち去ったのである。

うーむ、夢みたいだ。
まるでシンデレラのような気分でMCOTを後にした私である。

そして、このありがたいMCOTの申し出を、カンボジア政府として受け入れるという決定が、情報省の大臣によってなされた。
いよいよ、お隣タイも巻き込んでの、カンボジア・ロボコンの始動が決定したのだ。

ということで、2014年を迎え、いよいよ3カ月を切ったカンボジア・ロボコンはここから急展開していくのである。


<続きは下記で>
【ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?:=その2 (6)~(10)】


※本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。

金廣 純子 Junko Kanehiro
慶應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フリー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にてGlobalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作アドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケーションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。