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●ワークショプに集まったカンボジアの学生と指導教師、タイの放送局MCOTとDPUの面々
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JB Press 2014.04.28(月) 金廣 純子
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40502
日本もアジアも同じ、ロボコンにかける学生の熱意確実に未来につながった第1回大会
~カンボジアでロボコン!?(21)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)がいよいよ開幕した。
予想を上回る参加学生たちの活躍で、会場は熱気と興奮に包まれたまま、午前中の1回戦は終了。
昼食休憩を挟んで2回戦開始となるのだが、私には気がかりなことがあったのだ。
■2回戦の参加チームは揃うのか、そして結果は・・・
カンボジア人は、こうした勝負事では勝ちにこだわるあまり、「負ける」とわかったら最後、途中で参加するのをやめて帰ってしまう、と国営テレビ局の副局長“殿様”は当初から言い続けていた。
1回戦で完走できなかったチームは約半数。
もし彼らが昼食休憩の間に帰ってしまったら、こんなに盛り上がった雰囲気がぶち壊しになってしまう。
しかも、そうした懸念があったにもかかわらず、私は2回戦にあたっての参加チームの再登録の指示をスタッフたちに出していなかったのである。
数組帰っただけでも、恐らく進行は大混乱になる。
どうしよう・・・?
しかし、昼食時にも審査のとりまとめやら、スコアの集計チェックやらに追われ、対策を考える時間もない。
そうこうするうちに2回戦スタートの時間がやって来た。
ところが――2回戦が始まっても、誰1人として帰る学生はいなかったのである。
●2回戦が始まってもスタジオの熱気は変わらなかった(撮影:清水千恵実、以下同)
1回戦でピクリとも動かなかったロボットを片手に2回戦に登場し、「やっぱりまだ動きません」といかにも楽しげに、しかも堂々と言った学生たち。
1回戦で失格してしまったのに、きちんと再調整して2回戦では見事に走りきらせた学生たちもいた。
スタートラインを前に動かないロボットを、制限時間2分以内で何とか走らせたいと、工具を取り出して調整する学生たちもいた。
あと10秒のカウントダウンが始まっても、その手は止まらず、表情は真剣そのものだった。
1回戦では調子が良かったが、昼食を挟んで調子が悪くなり動かなくなってしまったと言って、大事そうにロボットを持ってきた学生たちもいた。
スタートラインに置いた途端にくるくると回ってしまうそのロボットを、あきらめずに何度も何度もスタートラインに置き直す。
それは制限時間の2分間続いた。
そこに共通するのは、自分が苦労して作り上げたものを見守る愛おしげな視線だった。
そして、参加した誰にも「笑顔」があった。
●ピットでスタジオの様子を見守る
●モニターを見て歓声を上げるピットの学生たち
私たちの心配は杞憂だったのだ。
カンボジアだから、カンボジア人だから、ということなどないのだ。
楽しいものは楽しい。
自分が苦労して作ったものには愛情が湧く。
それを学び、そしてともに体験するのがロボコンなのだ。
そして、最後まで1人の途中欠場者もなく、41チームすべてが2回の走行を終了した。
結果は、1回戦で27秒という最速タイムだったNPIC(カンボジア国立工科専門学校)のチームが、2回戦ではさらにそれを上回る26秒という出場チーム中最速記録を叩きだし、文句なしの優勝。
しかも、1回戦失格となっていた別のNPICのチームが、2回戦では27秒を記録して、突如2位に浮上。
結局、ITC(カンボジア工科大学)圧倒的有利の下馬評を覆し、1位、2位をNPICが、さらに技術賞もNPICが受賞するという圧倒的勝利に終わったのである。
■カンボジア初のロボコンを支えた人々
気づいてみれば、予想以上のスピードレースになったため、収録時間は巻いて(早く進行すること)いた。
予定していた閉会式までに少し時間があったので、私は殿様にこう頼み込んだ。
「殿様、巻いているので、私に15分時間をください」
会場にいるすべての人たちに笑顔があった。
参加した学生たちの表情には達成感も感じられた。
その来賓や、学生たちの前で私にはどうしても伝えたいことがあったのだ。
まず、ピットにいる学生たちに全員スタジオに集まってもらった。そしてこう言った。
●コンテスト終了後に勢揃いした各大学の指導教員たち
「皆さん、お疲れさまでした。
とても良いロボコンになったと思います。
このロボコンを作り上げたのは、もちろん、ここに参加してくれたあなたたち学生です。
でもそれを支えてくれたのは、参加各大学で指導してくれた先生方です。
先生方は通常の業務をこなしながら、今回の大会のために特別に時間を割いて、学生たちを指導し、ここまでロボコンを作り上げてくれました。
その先生方をここで紹介したいと思います」
そしてスタジオの片隅にいた各大学の指導教員たちに壇上に上がってもらった。
最後の最後まで強く自分の意見を主張し続けたあのITCの教員は(「最後の最後にやって来るカンボジア的主張の謎」参照)尻込みして最初出てこようとしなかったが、私は彼を引っ張ってきて真ん中に据えた。
ここまで彼とはいろいろあったけれど、今は一緒にロボコンを作り上げた仲間になったのだ。
彼らのうちの誰か1人が欠けても、カンボジア・ロボコンはここまで来ることはできなかった。
先生たちの言葉はクメール語だから私には相変わらず分からない。
でも学生たちからは割れるような拍手が一人ひとりに贈られた。
さらに、コンテストのこの日、レフェリーとタイムキーバーをボランティアでやりたいと申し出て、最後までその任務を全うしてくれた学生たち8人も紹介し、感謝の意を表した。
勝った学生には賞賛と賞杯が与えられ、負けた学生にはエールが贈られる。
すべての参加学生には(殿様こだわりの)参加賞が、スポンサーやドナーにはテレビ局から感謝状が、この後の閉会式で贈られる。
それと同じぐらいの感謝の気持ちを、この指導教員たちとボランティアの学生たちに表したいと思ったのである。
私は、権威に全く興味が無い。
だから大臣の名の下の感謝状も優勝カップも賞金も、正直言って何の興味もない。
何より、それを与える立場にもない。
だから、自分の感謝の意をこうして表すのが私流だし、こういう方法でしか表せなかったのだ。
閉会式もつつがなく、そして、各賞の授与式も大興奮のうちに終わり、こうして第1回カンボジア・ロボコンは幕を閉じた。
■準備に10カ月を費やした1日が終わる
本当にいろいろな人に助けてもらったロボコンだった。
このコラムには書ききれないほどの人々の善意に支えられてきた。
快くスポンサーやドナーになってくださった日系企業や個人の方々には、金銭面だけでなく、本当に苦しい時に何度も助けていただいた。
最後はスタッフでたった1人の日本人になってしまった私を、クメール語、英語、日本語を駆使して通訳としてコーディネイトし、仕上げの1週間、ともに悩みながら大会を作り上げてくれたサムナンさんには、どれだけ労いの言葉をかけても足りない。
そして、本当に心強いタイからの助っ人、ジョッキーさんをはじめとする放送局MCOTとDPU(トゥラキットバンディット大学)の面々がいなかったらここまで辿り着くことは到底できなかった。
●いろいろあったけれど・・・大会終了後の殿様と私
殿様も、テレビ局のスタッフもよく頑張った。
何の経験もないのに、ここまで大会が成功したのは、殿様の頑張りと、諦めずにそれに従ったスタッフたちによるところが大きい。
何より、殿様。今から10カ月前、「ロボコンを開催したいんだけど・・・」とつぶやいてくれてありがとう。
あの一言がなければ、カンボジアにロボコンは誕生しなかったし、私はお陰で本当に楽しくスリリングな数カ月を過ごすことができた。
皆に囲まれ、満足そうな殿様を遠くで眺めていて、ふとそう思った。
学生たちの嬌声とともに、記念撮影がいたるところで行われているスタジオでは、既にセットの撤収が始まっていた。
テレビとは、長い時間かけて作り上げてきても、こうしてたった1日でなくなってしまう、そういう儚さと潔さがある。
私はテレビのそんなところが好きで、そして今日ここにいる。だから、私の人生の半分をともに歩んできたテレビにもありがとうと言いたい。
すると、数人の学生たちが満面の笑みでカメラを片手に声をかけてきた。
ん?
写真撮ってあげようか、と言ったら、私と一緒に写真を撮りたいのだと言う。
ロボコンをやってよかったと改めて思った。
これが私の最大の勲章である。
■これで終わりではない「カンボジア人自身のロボコン」
第1回カンボジア・ロボコンの翌日――。
参加した学生たちを集めてのワークショップが開かれた。
これは、ジョッキーさんが2月に大学の指導教員たちと打ち合わせした際に、皆でロボコンの体験を共有し、次のロボコンにつなげるためにと提案したワークショップだ。
●コンテスト翌日のワークショップ。左端がDPUのインストラクターのトン
大会翌日の朝8時半というのに、ほとんどの学生たちが会場であるITCのレクチャールームに集まった。
タイ・ロボコンのチャンピオンチームDPUのインストラクター、トンが進行役となって、ワークショップは始まった。
まずは、各大学で一番速いロボットを作った学生たちが、自らのロボットの工夫を披露。
誰もが自信に溢れた表情で、言葉によどみがない。
昨日の笑顔の彼らもよかったが、今日の彼らは何かひとまわり大人になったように感じられる。
続いて、DPUのプイとテエが、自らABU(アジア太平洋放送連合)のロボコンに参加させたロボットを取り出して、「物を掴む」「物を運ぶ」という、より高度な技をどうやってロボットにプログラムするのかを説明し始めた。
ABUロボコンでは、この「掴む」「運ぶ」という行為は欠かせないのだという。
真剣にメモを取り、質問を繰り返す学生たち。
さらにトンが、
「皆さん、壇上に上がってロボットをもっと間近に見てください。
質問は何でも受け付けます」
と呼びかけると、学生たちはロボットに殺到。
ものすごい熱気となった。
レクチャールームの片隅でそれを眺めていた私は、これは確実に来年に、そして未来につながるなと確信していた。
ふと隣で一緒に眺めていたジョッキーさんがこう言う。
「ジュンコはずっと5年後にはABUにカンボジア代表を送りたいと言っていたけれど、案外もっと早いかもしれないよ。
タイで2016年に大会をやるんだ。
きっとその時には代表を出せるよ」
そうかもしれないね。
そうだとイイね。
そのためには、来年もそして再来年もこのロボコンをカンボジアで開き続けることだ。
その時、私はもうカンボジアにはいないけれど・・・。
すると、大会2日前に一瞬険悪なムードになった、あのITCの教員が私のところにやってきた。
「ジュンコさん、来年のロボコンについて考えがあるんですよ。
早く来年の会議をやりましょう」
次につながるといいと思っているのは、私だけではない。
カンボジア人自身もそう思っている。
いつの間にか、4大学の指導教員たちと私は、「次」について、「来年」についての話を始めていた。
将来の計画や予測を立てることが苦手と言われるカンボジア人(「どうすれば成功体験のないカンボジア人を動かせる?」参照)だが、こうして来年の話を皆でしているではないか。
第1回カンボジア・ロボコンは終わった。
でも、今日は、ロボコンの道をカンボジアに広げていく未来への始まりの1日なのだ。
ロボコンの道は、一体どんな道になるだろう?
それは、この眼の前にいるカンボジア人自身が決め、自ら作り上げていくものである。
【終わり】
金廣 純子 Junko Kanehiro
慶應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フリー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にてGlobalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作アドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケーションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。
』
気になる2013(Ⅴ)
2014年4月21日月曜日
2014年3月31日月曜日
ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その4 (16)~(20)
★.(最新の学生たちのロボット制作の模様)
https://www.facebook.com/photo.php?v=724404837593130&set=vb.647052058661742&type=2&theater
『
JB Press 2014.03.24(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40225
日本人は貧乏性?
「楽しむ」という初心に返った日カンボジア人の笑顔が気づかせてくれたこと
~カンボジアでロボコン!?(16)
第1回カンボジア大学対抗ロボットコンテスト(以下ロボコン)まで、この原稿を書いている時点で2週間を切っている。
しかし・・・本当にこれでいいのだろうか?
■「日本ほど忙しくない」状況に、かえって気持ちが焦る
日本でこれほどのイベントの2週間前なら、打ち合わせの連続で、ほぼ毎日終電帰宅の状態のはずだ。
勿論、残業はしている。
家に帰ってからでもずっといろいろな連絡をしているし、土日も家に持ち帰って仕事はしている。
だからといって、日本で経験したような「とんでもない忙しさ」とか、スタッフみんながわさわさと働いているというのではない。
これでいいのだろうか?
国営テレビ局の副局長、通称“松平の殿様”は確かに忙しそうだ。
私が大枠のプランを考え、殿様と討議する。
2人で考えたことを具体的に形に落としていくのは、すべて殿様の仕事になる。
なぜなら、私はクメール語が話せないからだ。
私が台本を書く。
でもその台本は英語だ。
全スタッフに理解させるにはクメール語にしなければならない。
だから、それを翻訳するのも殿様の仕事になる。
美術の担当者を呼んで、スタジオにどういうセットを組むかを指示するのも殿様の仕事だし、参加者に渡す賞状の文言を考えるのも、優勝者に渡すトロフィーに刻む文言も、すべて殿様が考えて発注しなければならない。
なぜこんなに殿様が孤軍奮闘しなければならないかというと、カンボジアの国営テレビ局では、日本のテレビ局の中にあるような、美術部や技術部といった部署がまだまだプロとしての組織になってはいないからだ。
●スタジオセット図はこんなに簡単(写真提供:筆者、以下同)
例えば、日本でスタジオセットを組むとなると、きちんとした縮尺で作成した設計図である「青図」を引く。
でも、ここではどうもそんなものは作らないらしい。
殿様がクメール語で説明しながら、ささっと見取り図みたいなものを書く。
「ここが1メートル、こっちが1.5メートル」などとクメール語で説明をする。
「分かった?」と聞いているような殿様の素振りがある。担当者はうなずく。
以上である。
撮影技術のことで言えば、台本には当然ながら「カメラ割り」(会場にある数台のカメラがそれぞれどのようなものを撮影するか、その狙いを書き込み、予め台本上で分かるようにしておくこと)を入れなければいけない、というのが日本のスタジオ撮影の常識である。
だから、私は自分が英語で書いた台本を殿様がクメール語に訳し終えたら、それを一緒にやろうと提案した。
でも殿様はこう答えたのだ。
「ジュンコさん、私はカメラ割りの重要性はよく分かっています。
でも残念ながら、カメラ割りを台本に書いても、誰も見ませんし、恐らく理解できません。
だからカメラ割りは要りません」
え~? でも殿様、何台ものカメラが勝手に自分の撮りたいものを撮影しちゃったら困るじゃない。
どうするの?
「それは、スイッチャー(複数のカメラマンが撮影している映像の切り替えを行う人)が指示を出します。
それしか、彼らは理解できません」
うーん、そんなことで大丈夫なのかなぁ・・・。
カンボジア人の「なんとかなる」主義に不安が募るテストラン
番組を作るというのは、それぞれの頭のなかにあるイメージを具体化していく作業だ。
日本では青図や台本といったもので、いろいろなセクションで働く大勢のスタッフが共通の認識やイメージを持てるように、非常に細かい準備をしていくのがこの時期なのである。
●番組および運営スタッフと参加大学教員たち。手前は“松平の殿様”
ところが、どうやらカンボジアでは、そういうことは「なんとなく」決めて、当日「なんとかしちゃおう」、いや「恐らくなんとかなる」ということらしいのである。
ものすごく心配だ。
そして、私の心配は「予選」が行われる3月15日にピークに達した。
そもそも大会の2週間前には、参加チームを絞り込むための「予選」を、本番の会場である国営テレビ局のスタジオでやろうと計画していたのだ。
しかし、ロボット制作のためのパーツ調達が大幅に遅れたために、「予選」としての体裁が整わなくなってしまった。
そこで内容を少し変更して、参加する学生にとっては、本番と同じ条件でロボットをテストするテストランの場とし、自分たちが作ったロボットの修正ポイントの確認をしてもらう。
そして、大会運営委員の母体となっている各大学の指導教員たちにその様子を見せて、今考えているルールを実践して問題がないかどうかをチェックし、テストランの後にルールの最終決定をしてもらう場とする。
さらに、国営テレビ局側にとっては、技術、美術、制作などのチームがどのようなことを本番でしなければならないのかを確認し、本番までにどのような準備が必要かを考える場にしようということにしたのである。
とにかく、参加学生、運営委員会、テレビ局それぞれの課題が違うのである。
それぞれが自分の課題を自分たちで意識して、この「予選」で答えを出してもらう場なのだし、出してくれないと本番までに何も進まないのだ。
●ロボットがうまく走らず、プログラムを書き直す学生
例えば、テレビ局の照明。
照明は本番と同じ明るさにしてくれないと、本番に出場する学生たちが困る。
というのも、ロボットは競技盤上の白いラインをセンサーが読み取って動く。
そのセンサーに当日の照明がどのような影響を及ぼすかのチェックもしなければならないのだ。
ところが、私が何度「スタジオの照明を当日と同じにしてくれ」と言っても、どんよりと暗いままで明かりを上げてくれない。
照明マンにとっては、
「本番じゃないのに、明かりを上げる必要ないじゃない。電気代高いんだし」
ということらしく、テストランの途中でさらに照明を暗くしようする。
「ダメだ!」
と言って、ようやく元には戻させたのだが、やはり当日の照明には最後までしてもらえなかった。
それから、それぞれのロボットの速さを表示するための「秒数表示」画面。
プノンペンで日系企業のIT技術者として働き、自ら学生を集めてチームを作って参加してくれることにもなった鈴木徹郎さんが、自分のパソコンで作ってくれていた。
それを会場でモニター表示するためにどんなコネクターが必要なのかをチェックする必要がある。
だから私はスタジオ技術者を呼んでおいてほしいとお願いしていた。
ところが、スタジオ技術者は自分は撮影のことしか分からない、と言う。
他のスタッフはパソコンにコネクターをつければ大丈夫と楽観的なことを言う。
殿様に、
「本当にモニターにアウトできるかどうか心配だから、ちゃんとチェックできる人を呼んで」
と私は訴えた。
しかし、結局
「大きいモニターは前日にレンタルして搬入だから、それまでは実物でチェックはできない」
ということになった。
他にも、ルールのこと、ピットスペース(学生がロボットを最終調整したり、バッテリーチャージしたりする場所)のこと、学生たちの入退場の動線・・・。
チェックし、共有しなければいけないことが山ほどあるのだ。
それはコンテストの運営と、テレビ撮影というイベントの連動には不可欠のことなのに、どうもそのあたりの認識を誰も持っていないのである。
■カンボジアのロボコンは誰のものか
うーん・・・と頭を抱えながら、ふとテストランをしている学生たちを見る。
うまく走っているロボット。
スタートから躓いてしまうロボット。
スピードは速いのに、速すぎてコースラインから外れてしまうロボット。
学生も、テレビ局の職員も、学生たちを指導する先生たちも、たくさんの人が競技盤を取り囲んで、そんないじらしいロボットたちをじっと見つめている。
そこにあるのは笑顔だった。
実に楽しそうな笑顔でみんながロボットたちを見守っている。
学生たちは勿論のこと、盤上を走るロボットを初めて見た殿様も、さきほど私の言うことを聞いてくれなかった照明マンも、そして恐らくテレビ局の職員の家族なのであろう、見知らぬ子供たちも・・・。
そんな彼らの笑顔がふと私に思い出させてくれた。
●ロボットを見守るみんなが笑顔だった
なぜ私がロボコンをカンボジアでやってみようと思ったんだっけ?
面白そうだ。
ただそれだけだったじゃない?
そして今、目の前で繰り広げられているこの光景は、実に面白そうで、皆が楽しんでいるじゃないか。
だったら、それでいいんじゃないか?
私が一人で気を揉んで、日本でやったように、きちんとやろう、綺麗にやろう、と思っても、それは日本人である私の価値観を彼らに押し付けているだけなのかもしれない。
カンボジア人には、カンボジア人のやり方や流儀がある。
そのやり方に寄り添って、一緒に楽しめばいいではないか。
これは「カンボジア・ロボコン」だ。
私のロボコンじゃない。
彼らのロボコンだ。
彼らのロボコンにするためにも、ちょっと肩の力を抜いて、私も一緒に楽しもう。
それでいいんじゃないか?
たぶん、それでいいのだ。
彼らのロボコンまで、あと2週間!
』
『
JB Press 2014.03.31(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40284
“松平の殿様”の働きぶりは意外性の宝庫
「待つ」ことも大事な異文化間の共同作業
~カンボジアでロボコン!?(17)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)まで、この原稿を書いている時点であと6日しかない。
ここまで時間が迫っているのに、なんとなくやっていることがちぐはぐなような気がする。
「式典」を優先するのがカンボジア流?
●ロボコン参加校の1つ、PPI(プレアコソマ工科総合専門学校)で最後の事前取材も無事終了(写真提供:筆者、以下同)
実は、「予選」が終了した2日後からロボコン開催の1週間前まで、国営テレビ局副局長、通称“松平の殿様”は中国に出張することになっていた。
この時期に1週間も殿様が海外出張。仕方がないとはいえ、もろもろの作業は殿様なくして他のスタッフにはできない。
大丈夫なのだろうか・・・?
とにかく不安なので、出発前日の日曜日、殿様と私は打ち合わせをすることにした。
当然のことながら、私はコンテストの中味と番組の制作のことばかりが気になる。
ルールをどうやってテレビ局スタッフに周知させるのか。
それによってスケジュールを決め、さらには演出プランをどうやって決めるのか。
コンテスト運営と番組制作の連動をどうやってすり合わせていくのか、などなどである。
ところが、どうも殿様にとって最も優先されるのは、「式典」としてのロボコンのようなのである。
以前にも書いたが、カンボジアの式典運営側にとって大事なのは、来てくださるお客様たちに対する心遣いである。
まあ、分かりやすく言うと「お土産」をどうするかとか、そういうことですね。
今回のロボコンの場合、殿様の最大の気がかりは、
1. 参加してくれた学生たちに対する記念品
2. 受賞者に渡すトロフィー
3. 参加してくれた学生たちに配る認定証
4. 来てくれたスポンサー、ドナーなどのお客様に対する感謝状
ちなみに、学生に配る認定証については当初から殿様がずっと気にかけていたと以前も書いたが(「引き算の日本人、足し算のカンボジア人」)、実は、カンボジア社会では就職のときにあらゆる認定証を添付して提出するものなのだそうだ。
だから認定証は多ければ多いほど良いということなのだ。
なるほど、殿様がずっとこだわっていたのにはカンボジアなりの理由があったのだ。
さて、これらを何とか自分が出張から戻る翌週末に間に合わせるように作らなければならない、というのが殿様の最大の懸念なのだ。
なぜなら、こうした認定証や感謝状には情報大臣のサインが必要だからである。
情報大臣からのサインがもらえるチャンスは翌週末しかない、と言うのである。
■なかなか肝心の話ができない“殿様”との打ち合わせ
しかも殿様は、自らロボコンのロゴをデザインしてしまうほどのデザイン好きなのである。
だから、記念品のペナントだって、受賞者のトロフィーだって、自分で店に足を運んで色やデザインの良い商品を探し、それに自分でロゴや文言などを組み合わせてオリジナルのデザインに仕上げる。
認定証や感謝状も文言を作るばかりでなく、体裁までイラストレーター(デザイン用ソフトウエア)で作り上げる。
そして、私に見せるのである。
「ジュンコさん、どうでしょう。こっちのデザインと、こっちのデザイン、どっちがいいですか?」
もう、何度も何度も言っているけど、私はどっちでもいいのである。
それは殿様が決めてどんどん進めてくれて構わない。
だって、私はカンボジアの人たちがどういうデザインを好むかとか、どういうトロフィーだったら満足するかなんて、分からないんだもん。
でも殿様は律儀に私に聞いてくる。
だから話を前に進めるために、殿様が気に入っているらしい方を私も選ぶことにした。
というのも、こうしたことも早くお店に発注をかけないと、ロボコン当日までに間に合わないからである。
とはいえ、殿様はまだ迷っているらしく、「ここをもう少しこうすればどうかな?」なんて私に聞きながら、まだ自分で描いたデザインをいじっているのである。
実に嬉しそうだ。
結局1時間以上がそれで過ぎてしまい、ようやく納得したらしい殿様は、私にこう言った。
「ジュンコさん、これでもう大丈夫です。あとはスタッフに発注するように言いますから」
いや、殿様、もっと大事なスケジュールとか、いろいろな段取りの確認が・・・。
「それはまだ私も考えている途中だし、政府関係者の出席状況が分からないので、出張から帰ってからにしましょう」
と、殿様。あくまで式典としてのロボコンが優先なのである。
ということで、殿様は中国に旅立ってしまった。
■コンテスト運営と番組制作の準備に奔走した1週間
殿様がいない1週間は、もうとにかく私1人でどんどん進めるしかない。
時間がないのである。
大学側をとりまとめてくれていた德田さんは任期を終えて先日帰国された。
平松さんもご家族の都合でロボコンの前に日本に一時帰国されることに以前からなっている。
最初からこのロボコンを進めてきたのは、私だけになる。
殿様の関心がどうあれ、周りがどうあれ、もう開き直ってやるしかないのだ。
まず、コンテストのルールについては、前回の「予選」で全参加大学のコンセンサスを得たものの、ルールを文書化していない。
文書化しなければ、レフェリーにも、審査員にも、ロボコンを進行する司会者にも、そして番組を収録するスタッフにも混乱が出る。
さらに、これを決めなければ、大会の細かいスケジュールだって算定できないのだ。
しかも、参加する学生たちにとっては、英語で書かれているよりもクメール語で書かれている方がいいに決まっている。
だから、担当のNPIC(カンボジア国立工科専門学校)の先生には、クメール語でルールを作ってもらった。
しかし、私がチェックするためには、それをさらに英語にする必要がある。
クメール語と英語のやりとりを何度か経て、結局2度ほど手直ししてもらい、大会1週間前にしてようやく最終的なルールが文書化できた。
やれやれ、である。
その他にも、大会の参加学生の人数とチーム数を把握し、各大学から登録してもらう必要がある。
ロボット制作のためのパーツが大幅に遅れたために、各大学は参加チーム数も直前まで決められなかったのである。
ようやくこの1週間で参加学生とチームの登録が終了。
それを基に今度は学生が着用するゼッケンだって作成しなければならないのだ。
ゼッケンがなければ、会場に来た人にも、番組視聴者にも、どこのチームなのかが分からない。
しかし、大事なのはゼッケンだけではない。
コンテスト運営で重要な出走順も決めなければならない。
例えば、1つの大学からの参加チームばかりがまとまって出走したら、他の大学の学生たちは飽きてしまう。
だから、それぞれ出場チーム数の違う4つの大学をうまく振り分け、組み合わせて出走順を作り上げた。
その他、審査員が各賞を審査するための審査基準の作成も必要だ。
優勝と準優勝は単純に着順のタイムで決まるが、その他「技術賞」「アイデア賞」「デザイン賞」などの受賞チームを審査員に選んでもらわなければならない。
その審査基準を決めて、審査員が評価点を書き込めるような表も作った。
最も大事なロボットの速さを表示する秒数カウントシステムの表示の作成は、個人チームを率いるIT技術者の鈴木さんに依頼していた。
●ロボコンの秒数カウント表示を作成したIT技術者の鈴木さんは、自ら学生たちを率いて参加チームも作ってくれている
先日の予選の様子を見て、最終的にタイムキーパーがスタートとゴールのタイミングでコンピューターを操作し、それが画面に表示されるようなソフトを作ってもらうことに決めた。
また、ルールの決定に伴い1チーム2分の持ち時間が決定したので、その持ち時間のカウントダウンシステムを音声で流すための効果音は私自身が作り上げた。
さらに、スポンサーやドナーなどロボコンを応援してくれた人々を大会にご招待する連絡もある。
そうした方々はほとんど日本人なので、当日それらゲストに対応してもらうお手伝いを青年海外協力隊に頼む、などなど。
私がこの1週間でやったことは、ロボコンをコンテストとしてつつがなく運営するための最低限の決まりごとを整えて、それを関係者に通達し、共有すること。
そして、テレビの収録番組(つまりイベント)制作を盛り上げるための演出に関わることだった。
そして、ようやく殿様が中国から帰ってきた3月第3週目の週末――。
■カンボジア人の進め方にも理由がある
今度こそは、こうやってまとめたコンテストのルールのこと、スケジュールのこと、番組制作スタッフと大学側のもろもろの情報の共有をどうするかを打ち合わせなければ、と殿様の部屋に向かう。
殿様は、昨日夜遅く中国から戻ったというのに、既にこの日も朝早くから仕事をしていた。
本当に働き者なのである。
そして開口一番、殿様は私にこう言ったのだ。
「ジュンコさん、中国にいる間に、スタジオでどうやって人が動くかの図をイラストレーターで作りました。見てください」
へ? 動線?
確かに動線は大事だ。
私も「予選」のときから気になってたんだよね。
でもそれは、順番としてはルールやスケジュールが決まった後なんだけど。
しかし、殿様は嬉しそうにイラストレーターで作った動線を私に見せるのである。
開会式のときの要人の動き、コンテストのときの参加学生たちの入退場の動き、授賞式のときの動きなどなど。
うーん、確かに間違ってはいないし、必要なんだけど、それはもろもろの大枠の確認が終わってからすることなんだけどなぁ・・・。
さらに、殿様は私にPC画面上の別のファイルを開けて見せる。
「ジュンコさん、ゼッケンのデザインもしてみました。見てください」
え、ゼッケンのデザインも自分でしたの?
業者に頼んだんじゃなかったんだ。
つまり、ゼッケンは参加大学チームごとに番号や大学名が違う。
だからそのデザインと、生地へのプリントを業者に頼むと、出場チーム数43通りの版下を作るために結構な費用がかかる。
自分で1つずつイラストレーターでデザインして、その辺の出力屋に持って行ってプリントアウトだけしてもらえば安い、ということらしいのだ。
なぜ、ゼッケンまで殿様がデザインしていたのか、ようやく私も理解した。
そしてゼッケン問題も終わりに近づき、やっと私の懸案事項の打ち合わせに入れるかと思ったその時――。
いつもニコニコしている殿様が、いつになく悲痛な声で私に声をかけた。
「ジュンコさんが作った出走順とゼッケンを1つずつ照らし合わせて、生徒の名前を入れる当日の確認表を作っているのですが、どうも混乱して数字が合いません・・・」
というのも、先ほど書いたように私が作った出走順はチーム数が違う大学をうまく振り分けて偏りがないように作り上げているのである。
どうやら、途中で大学名が合わなくなって、殿様は混乱してしまうらしいのだ。
●殿様が特に気にしていたトロフィーも出来上がった
「大丈夫、大丈夫。
殿様、私が表を作ります。
殿様はまだやることがあるんでしょ?
そっちをやってください」
というわけで、結局その日も、私の懸案事項の打ち合わせまではたどり着けなかったのである。
つまり、日本で普通にやれることが、カンボジアでは日本の数十倍の手間と時間がかかる。
そして、カンボジア人と日本人では物事の進め方の順番が違うのだ。
でも、やるのはカンボジア人たちなんだから、殿様が納得する順番で進め、私はじっと待つしかない。
ということで、ロボコンまであと6日。
ガンバレ!
働き者の殿様。
でも彼はまだルールがどうなっているかも実は知らないのである・・・。
』
『
JB Press 2014.04.07(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40349
カンボジア流「時間管理」との溝をどう埋める?最初で最後の全体ミーティングが思わぬ難航
~カンボジアでロボコン!?(18)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)まで残すところあと3日となった3月26日朝。
ノンペン国際空港に、あのタイのテレビ局MCOTのメンバーたちが再びやって来た!
振り返ればおよそ1カ月前の2月末、タイ・ロボコンのチーフプロデューサーを務めるジョッキーさんとコーディネイターのニンさんがプノンペンを来訪。
カンボジア国営テレビ局と、ロボコン参加大学の指導教員たちとそれぞれ打ち合わせしたことで、皆の意識が大きく変わった。
私もロボコンに対する認識を新たにした。
●プノンペン空港に到着したMCOT一行。左から2番目、緑のポロシャツを着ているのがジョッキーさん(撮影:筆者、以下特記のないものは同様)
その心強い助っ人たちが、今度はテレビ局カメラマンのペッ、タイのロボコンチャンピオンであるトゥラキットバンディット大学インストラクターのトゥン、チームメンバーのテエ、そしてパーツ調達でミラクルな大活躍を見せたあのプイも引き連れて、プノンペンの地に降り立ったのである。
ちなみに、トゥラキットバンディット大学は、2012年のABU*ロボコン敢闘賞受賞チームでもある。
*アジア太平洋放送連合(Asia-Pacific Broadcasting Union)
ジョッキーさんはじめ皆の明るい笑顔を見て私はホッとしていた。
実は、この3日前の段階になっても、国営テレビ局内では式典の準備ばかりが優先され、肝心のコンテスト本体の準備や情報の共有が全くなされていなかったからである。
■「初めと終わり」だけのスケジュール表
MCOTのメンバーたちがプノンペンにやって来る前日、国営テレビ局では、ロボコンに関わるすべてのメンバーを集めての初めての会議が行われていた。
大会4日前にして初めての会議。しかも、副局長である通称“松平の殿様”とアシスタントのボラシー以外、ロボコンとは何なのか、ほとんど誰も知らないのである。
その会議までに、殿様は私がこれまで準備してきた進行台本やルール、参加大学の詳細をクメール語に翻訳し、(殿様にとっては最も)大事な式典の式次第などすべてを整え皆に説明した。
しかし、こうした大人数のスタッフや参加者が動くときに徹底されなければならない、当日の全体スケジュールを殿様は発表しない。
なぜか、開会式のスケジュールと閉会式のスケジュールだけが書かれていて、その間に「コンテスト」と書かれているだけだ。
コンテストはどんな進行で行われるのか。
ルール説明はどうするのか。コンテストの細かい進行が書かれていないから、コンテストが始まったら誰がどのような責任を持って動くのかが全く分からないのである。
私が何度コンテスト自体のスケジュールを発表するように促しても、殿様は「コンテストは当日進行が遅れる可能性もあるから、書いても意味がない」と言って受け入れようとしなかった。
殿様が一度こう言い出したら絶対に私の言うことを聞かないのは、私もこのテレビ局で指導してきた1年と10カ月の間で気づいていた。
「カンボジア流」にこだわる殿様には、殿様なりのプライドがある。
それは私も十分承知している。
しかしそれでは、収録する技術スタッフだって、制作スタッフだって一体何時までにどんな準備をすればいいのか分かるはずがない。混乱が避けられないのは目に見えていた。
この難局を突破するにはジョッキーさんのあのマジックしかない・・・。
ジョッキーさんは本当に相手にプレッシャーを与えない人だ。
笑顔とともに柔らかい言葉で相手の心を掴みながら、的確な表現で説得していく。
カンボジア流にこだわる殿様を説得できるのはジョッキーさんしかいない、と私は確信していた。
空港からの道すがら、私はジョッキーさんに今の問題点を説明した。
「分かった」といつもの笑顔でジョッキーさんは頷く。
「ジュンコ、一つひとつ解決していこう」とジョッキーさんは私に言った。
本当に心強い。
■コンテストのスケジュールをめぐる攻防
●立場の違う3者が集まっての全体会議(撮影:Tann Sokly)
そして、その日の午後――。
MCOTスタッフを交えて、国営テレビ局の主な技術スタッフ、制作スタッフそして参加大学を指導する教員たちが一同に会する、初めてにして最後の会議が始まった。
まずは殿様が、コンテスト当日の全体の流れを全員に説明する。
ジョッキーさんはにこやかにうなずきながら一つひとつメモを取っていた。
そして全部の説明が終わると、まずこう言った。
「ミスター・パン・ナッ。
素晴しい準備です。
よくここまで準備したと思います」
そしてこう切り出した。
「ただ、問題点があります。
まず、コンテストの進行の時間が書かれていない。
これだと時間の管理ができません。
コンテストが大幅に遅れてしまった場合、どう巻き返すのか、誰も分かりません。
ですからタイミングを細かく入れませんか?」
すると、殿様、
「ジュンコさん、1チームの持ち時間は何分だったっけ? 忘れちゃったんだけど・・・」
え~! 殿様、忘れちゃったの~?
ということで、チームの呼び込みと紹介に1分、スタートまでの準備に30秒、各チームのレースの制限時間は最大2分、レース後の簡単なインタビューと退場に1分を想定していることを発表。
1チームにかかる時間は4分30秒、参加チームは全部で44チームなので、午前中1回、午後1回、全員が走行するのに必要な時間は、最長でそれぞれ3時間15分程度である。
つまり開会式が終了する午前9時半からレースをスタートさせると、最長で12時45分までかかる想定だ。
昼食休憩は、その間にもろもろの調整もあるため1時間以上必要。
だとすると午後のレースを始めるのは早くて2時である。
だから、そういうことを今この場で決めなければ、参加する100人近い学生も、招待しているスポンサーやドナーなどのゲストも、テレビ局のスタッフも昼食休憩でスタジオを離れたら最後、皆バラバラに帰ってきて混乱の原因になる、と私は言った。
■カンボジア流「時間管理」で大丈夫なのか・・・?
●“松平の殿様”(右)に粘り強く説得を続けるジョッキーさん(左手奥から2番目、撮影:Tann Sokly)
ところが、相変わらず「時間」に関して殿様は全く譲歩しない。
「いや、タイムレースなんだから、速いチームは2分もかからないでしょう。
だったら全体は早く終わる。
だから、その基準でスケジュールをここに書いても意味がない」
それは確かにその通りなのだ。
盤上の白いコースラインをフォローしてロボットが走り、それをつつがなく走りきって、例えばそれが1分もかからないこともある。
しかし、コースラインから逸れてしまったり、止まってしまえばそれはアウトとなり、もう一度スタートラインからスタートさせなければならない。
その行為を繰り返せる制限時間が2分ということなのだ。
だから、予想される最も長い時間を目安として書き入れておいて、もし時間が巻いてきたら(早まってきたら)、それはそれで調整すればいいと考えるのが日本人のスタンダードだし、ジョッキーさんもそう考えている。
ところが、目安を書いても意味がない、と殿様は言いたいらしいのだ。
時間に関してカンボジア人はあまり頓着しない。
例えば要人が出席する式典では、要人が何時間(何分ではない)もスピーチしていたりする。
だから何時に終わるのか誰も分からない。
でも、カンボジア人はそれでも何とかしてきたのだから、何とかなる、と殿様は考えているらしいのである。
さすがのジョッキー・マジックもどうやらカンボジア人の時間管理の概念までは覆せなかったようだ。
分かった、と私は言い、
「確かに殿様の言うとおりです。
では、とにかく午前中のレースが終わったら、1時間ぐらい昼食休憩を取って、それで再スタート時間をその場で決めましょう」
「ただし、殿様、大事なのは、午後何時から再スタートをするのか判断して、その場で全員にきちんと告知することです。
それはフロアマネージャー(スタジオを仕切るチーフスタッフ)の役割になりますが、それは誰がやりますか?」
と殿様に訊ねた。すると殿様は、こう言った。
「私が判断して、私が皆に告知します」
え~!? 殿様がフロアマネージャーやるの?
●この日、参加学生に贈る殿様こだわりのお土産もでき上がった
ま、もうここまで来ても、他のスタッフは誰も細かいことは把握していないのだから、殿様がやるしかないか。
まあ、それがカンボジア流だったら、そのやり方に従うしかない。
ところで、このちょっとした諍いの間、他のスタッフはハラハラして見守っていたかと言うと、そうでもない。
技術スタッフは技術スタッフで自分たちのパートの話をしているようだったし、先生たちは先生たちで自分たちの話をしている。
日本のようにシーンと静まり返った中でこの議論が行われたわけではなく、それぞれが勝手ににこにこ笑いながら別の話をしている雑音をBGMに、殿様と、ジョッキーさんと、私だけが真剣な表情で話していたのだ。
これもまた、縦割り社会というのか、自由放任個人主義的というのか、不思議なカンボジアの風景なのである。
■“殿様”からの呼び出しで自分の立場を再認識
ということで、午前中の会議が終わり、ジョッキーさんと私は、こっそりと話をする。
「ジョッキーさん、時間のことは明日の会議でもう一度確認しましょう。
そして、どうしても周知しないようだったら、対策をそこから考えていきましょう」
すると、アシスタントのボラシーが私を呼ぶ。
殿様が私を呼んでいると言うのである。
急いで殿様の部屋に向かうと・・・、
殿様はいつもの笑顔で私に訊ねた。
「ジュンコさん、ええと、1チームの持ち時間は何分でしたか?
それで最長で午前中は何時に終わるんでしたっけ?」
と言って、計算機を取り出す。
そして、「午後の再開時間は2時でいいんですよね?」
なあんだ、殿様。やっぱり分かってたんじゃないの~!
つまり、カンボジア・ロボコンのホストテレビ局である殿様のプライドの問題なのである。
それは私も理解していたけれど、ついつい先を焦るあまり、いわゆる「根回し」としての会議にするのを忘れていたのだ。
ということで、この切羽詰まった状態で、私はようやく自分の立場を再認識することになった。
私はどちらの味方になるか?
どんな立場で物を言うか?
それは間違いなく、カンボジア国営テレビ局のアドバイザーとして、カンボジア国営テレビ局の立場に立って、物を言うべきだ。
だから、まずは殿様の横にいて、常に殿様に向かって話をしよう。
殿様と、周りの橋渡しはすべて私がやろう。
恐らく、それがカンボジア、タイ、日本の国籍を超え、さらには、テレビ局、大学と立場の違う人々が集まって作り上げるこのプロジェクトでの、最も重要な鍵になるに違いない。
ということで、翌27日にはリハーサルを前に、各大学の指導教員たちとMCOTチームも交えての、最後のルール確認会議が控えている。
ところが、この会議もまた、予想もしない波乱を含んでいたのである。
』
『
JB Press 2014.04.14(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40417
最後の最後にやって来るカンボジア的主張の謎開催直前の大波乱で頭に血が上る
~カンボジアでロボコン!?(19)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(通称ロボコン)まであと2日と迫った3月27日。
タイからの強力な助っ人、公共放送局MCOTのジョッキーさん一同と、2012年のABU(アジア太平洋放送連合)ロボコンの敢闘賞受賞チームであるトゥラキットバンディット大学のメンバーと私は、参加大学の1つであるPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)に向かっていた。
ここで、参加大学4校の指導教員たちによる最後の「ルールチェック」を行うためである。
■最終ルールチェックで飛び出した予想外の発言
とにかく、カンボジア初のロボコンはあらゆることが初めてなので、トラブルだらけ。
様々なスケジュールは遅れに遅れ、ルールの決定は最後の最後になった。
ラインフォロワーという大まかなルールは決まっていたものの、スタートやゴールはどうするのか、計測タイムや1チームの持ち時間をどうするのか、などの細かいルールが最終的に決定したのは、テストランという形の「予選」が終了した3日後、コンテストのわずか11日前だった。
しかし、その「予選」に、一番の優勝候補と目されていたITC(カンボジア工科大学)からは、なぜか1チームも出場しなかったのである。
「予選」が終了したその場で私は、ITC以外のすべての指導教員と、その場にいた学生たちに、一つひとつのルールの確認をしていった。
その結果決まったことは次のようなルールだった。
(以下は概略で実際はもっと仔細にわたっている)
1].1チームのスタートまでの準備時間は30秒、そこからロボットを走らせることができる制限時間は2分。
ラインからはずれたり止まってしまうなどのエラーが起きた場合は、何度でもその制限時間内でやり直しをすることができる。
2].ロボットの走行時間のカウントは、ロボットの末尾がスタートラインを越えてから、ゴールラインをその末尾が越えるまでとする。
3].ゴールしたロボットは、ゴールラインからスタートラインまでの間でストップしなければ失格となる。
4].1秒以内の差はタイムキーパーの手動計測の誤差の範囲内とし、同着とする。
5].ロボットの走行は、全チーム共通で、午前1回、午後1回の計2回とする。
これをNPIC(カンボジア国立工科専門学校)の指導教員にクメール語でまとめてもらい、それを英語に翻訳したもので私が2度ほど確認をとったうえで、全参加大学の指導教員には既にクメール語のルールブックを私からメールで配布。
異論のある場合はメールで全員に返送してほしいとお願いをし、今までに1通も異論メールは来ていなかった。
つまり、合意ができている、と思われていた。
ところが、「予選」に出場しなかったITCの指導教員がいきなりこう言いだした。
「私は、平松さんから◯◯と言うCPUを使ってもいいと聞いていた。
だからうちの学生はみんな◯◯を使っている。
今、他の大学の先生に聞いたら、◯◯は使ってはいけないと聞いていたから使っていないと言う。
どっちなんだ?」
■予選不参加校の“後出しジャンケン”的主張の連続で紛糾
●騒然となったルール確認会議(写真撮影: Tann Sokly)
へえ?
技術分野のサポートをした平松さんは、ご家族の都合で昨日から日本に一時帰国されている。
だから、平松さんが個別にどういう話をしたのかは全然分からない。
それに、CPUの話をされても、理科系オンチの私にはちんぷんかんぷんなのだ。
他大学の先生たちも騒然となった。
しかし、いくら騒がれても、私に分からないことは、私には決められない。
どうしようか? と思案していたら、隣にいたジョッキーさんが私にそっと耳打ちした。
「ルールブックに書いてないことは自分たちで決めさせればいい。
ルールというのは、そもそも『こういうことはしてはいけない』ということを書くものなんだ。
だから書いてないということは、してもいいってこと」
なるほど~! さすがジョッキーさんなのだ。
そこで私は、
「あのねえ、平松さんが何と言ったのか、今はいないんだから私にも分からないのです。
だからね、ルールブックに書いてないってことは、いいってことなんじゃないの?
とにかく、ロボコンは私の大会じゃなくて、あなたたちの大会なんだから、自分たちで話し合って決めてください」
と言い放ち、しばらく放っておいた。
以前も紹介したが、ITCはカンボジアの東工大と呼ばれる存在だ。
だから非常にプライドが高い。
他の3校は労働訓練省の管轄であるが、ITCは教育省の管轄だ。
恐らくそういうエリート意識もあるのだろう。
とにかくコンテスト2日前になって彼らが主張することは、自分たちがこれまで作ってきたロボットで勝利できるようなルールや環境を何とか手に入れたい、という意識から発せられているように私には見えた。
侃々諤々の議論が続き、ようやく一番年長で穏やかなNTTI(国立技術訓練専門学校)の指導教員が、
「とにかく、今回は1回目なんだから、何でも経験と思ってやってみましょう。
次にどうするか決めればいいじゃないですか」
と言って、何とかまとめたようだった。
民主主義には時間と手間がかかるのである。
特に前回も書いたが、カンボジア人には「自分には関係がない」と思っているうちは何に対しても全く興味を示さない「自由放任個人主義」的傾向があるのだが、いったん自分に関係があると気づくと、徹底的に自分の意見にこだわるようなのだ。
しかも、コンテストは明後日なのである。
なんでこんな根本的な議論を今さらしなければいけないのだ、と半分うんざりして私は議論を眺めていた。
その後も「予選」に来なかったITCは、一つひとつ細かいことを確認した上で、それに反対する自分たちの意見を強く主張した。
■ついに堪忍袋の緒が・・・
議論が2時間を過ぎた頃、ルールのこともどうやら何とかまとまりそうだし、これで一安心、と思ったその時である。
またしても、ITCの指導教員が私に尋ねてきた。
「競技盤の高さはどのぐらいですか?」
え! 競技盤の高さ?
はあ、なるほど、ITCは予選に来なかったからね、分からないのも当然だよね。
ということで、高さ50センチぐらいであることを伝えた。
実は、競技盤の周りにはスポンサーになってくださった企業のロゴを配置するために、この高さになったのである。
ところが、ITCはこう言ったのだ。
「それじゃあ、ラインを外れたロボットは落ちて壊れちゃうじゃないか。
床の高さに今から直してくれ」
これにはさすがの私も呆れてしまい、思わずこう切り返してしまった。
「あなたは今がコンテストの2日前だということが分かっているのか?
今文句を言うのなら、なぜ予選の時に確認に来ない?
今からスポンサーのロゴをはずせというのは、企業に協賛金を返せということなのだ。
だったら大会は開けない。
今さらそんなことを言うのは遅すぎる」
いつもならば、一拍置いて、どう彼らに説明すれば分かってもらえるかを考える私であるが、さすがにこの時はかなり強い調子で反射的に言い返してしまったからだろう。
ジョッキーさんが私の手を握りしめて、こう言った。
●ジョッキーさんのおかげで何とか落ち着きを取り戻した私(写真撮影:Tann Sokly)
「ジュンコ、気持ちは分かるけど、落ち着いて、落ち着いて」
ジョッキーさんがいなかったら、私は決定的な一言をITCの教員に言っていたかもしれない。
特に、ITCが「予選」に参加しなかったことで、他の3校の負担が増えたにもかかわらず、3校の教員たちは本当によく働いてくれていたのが分かっていただけに、どうしてもITCの主張を黙って聞き入れるわけにはいかなかったのである。
結局、競技盤問題も何とか周りに2センチ程度の柵を作るということで全員の合意を得、長く手間のかかる最後の「民主的手続き」は終了した。
国営テレビ局副局長の“殿様”も、大学関係者もそうだが、カンボジア的主張は最後の最後にドカンとやって来る。
恐らく、MCOTのジョッキーさんの精神的な支えがなければ、私はこの「最後のドカン」に耐えられずに、爆発していたことだろう。
そうなったら、何カ月もかけて準備してきたすべてが水の泡になるところだった。
■コンテスト開始2時間前に発生した問題
ということで、いよいよ、というのか、ようやくというのか、ロボコン当日の3月29日がやって来た。
前日の夜、参加チームと学生の登録フォーム、審査員の採点表、さらにタイムキーパーがそれぞれのチームのタイムを書き込むスコアシートを、国営テレビ局の担当スタッフと確認、すべて必要部数プラス2部ずつコピーさせて、要所要所にスタンバイさせていた。スタジオには、5メートル×3メートルの大型LEDモニターも設置された。
●“殿様”肝いりのLEDモニターも設置された(筆者撮影)
担当スタッフは全員朝7時にはスタンバイ。
入賞者に渡す殿様こだわりのトロフィー、認定証、学生たちへのおみやげも運び込まれ、アシスタント役の女性スタッフたちは皆華やかに着飾り、メイクも入念に済ませていた。
あとは7時半からの参加学生たちの登録開始を待つばかりである。
と、その時、タイのトゥラキットバンディット大学のインストラクター、トンが私にこう言った。
「ジュンコ、タイムを書き込むスコアシートを見せてください」
私は、ワードで作ったスコアシート表をトンに見せる。すると・・・、
「ジュンコ、これでは間に合いません」
えっ、間に合わない? どういうことなのだ?
トンが言うには、スコアは紙に手書きで書き込むのではなく、パソコンに入力して、それによって順位がソートされなくては午前中の第1回目走行が終わった後、ランチタイムの短い時間では集計できない。
だからスコアシートはエクセルで作るべきだということなのである。
うーん、なるほど。
理屈は分かる。
しかし、私はとにかく番組の予算書以外でエクセルを使ったことなどないのである。
自分でエクセル表を作ることなどほとんどできない。
ましてや、ソートのやり方なんか全く分からない。
私だけではなく、国営テレビ局のスタッフだって誰一人としてそんなことができる人間はいない。
開会時間まであと1時間半・・・。どうする? どうなる? ロボコン当日。
』
『
JB Press 2014.04.21(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40446
日本発のロボコン、ついにカンボジアで開会接戦そして予想外の展開に大歓声
~カンボジアでロボコン!?(20)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)当日、3月29日。開会式まで1時間半に迫った朝7時半――。
●参加学生の登録が始まった。手前は登録の手伝いをしてくれた青年海外協力隊の山口裕代さん(筆者撮影)
続々と、参加学生たちがカンボジア国営テレビ局の第1スタジオにやって来た。
参加チーム数41、参加学生は84人。
スタジオ裏の「ピット」と呼ばれるロボットの調整を行う場所に自慢のロボットを大切そうに携えて集まり、テスト走行用の競技盤で皆、実に楽しそうに最終チェックを始めている。
お手伝いを自主的に申し出てくれた青年海外協力隊の5人も集合し、カンボジア国営テレビ局、タイのテレビ局MCOT、タイ・ロボコンのチャンピオンチームDPU(トゥラキットバンディット大学)のメンバーたち、そしてカンボジア国内の各参加大学、これら混成チームによるカンボジア初のロボコン、いよいよスタートである。
■タイのロボコンチャンピオン、開会式直前の大活躍
しかし・・・スタジオではまた新たな問題が起こっていた。
タイのロボコンチャンピオンチームのインストラクター、トンが、私が予め作成していたワードによるスコアシートでは集計が間に合わないから、エクセルでスコアシートを作り直した方がいいと言うのである。
スタジオには計3台のノート型PCがあったが、1台は各ロボットの走行スピードを計るための秒数カウント表示用に、そしてもう1台はその秒数と連動して各チームの順位が表示されるランキング表示用に既に準備へと入っていた。
残っているのは、私の日本語表示のノートパソコンしかない。
しかし、私はエクセルで複雑な表など作ったことがない。
どうしようか・・・と考えあぐねていると、トンはにっこり笑ってこう言った。
「ジュンコ、大丈夫。ぼくがあなたのPCで作りますから、日本語で指示が出たら、それを英語に訳してください」
早速トンは私のパソコンを使い、私が予め作っておいたワードの表からコピーして次々と数式を打ち込み始めた。
しかし、そもそも理系オンチの私に、数式に関わる日本語すら分かるはずもない。
「◯◯を参照」と表示される。
なんだろう、数学用語の参照って(そもそも数学用語なのかもわからない)。
「Reference?」とほぼ直訳でトンに伝える。
すると、トンは「ああ〜」と頷いて素早くキーボードを操作し入力。
すると表がぱっと切り替わる。成功だ!
何度か私のあやふやな翻訳と、トンの抜群のエクセル操作が繰り返され、何と十数分で、秒数を入力すると自動的にその時点での順位が表示されるスコアシートが完成した。
さらに、トンはこのエクセル表とランキング表示システムが連動できるようにそれぞれPCを微調整し、自らのパソコンも組み合わせてタイムキーパーたちに最も負担が少ないシステムを組み上げた。
とにかく、タイのロボコンチャンピオンであるDPUチームは、パーツ調達で大活躍したプイもそうだが、ロボコンに関するあらゆる知識とスキルを持っているのだ。
■イベント収録の鉄則をめぐる“殿様”との一悶着
ようやくスコアシートも完成して、私のPCは本来の役割のテストを始めることになった。
このPCには、コンテストの参加チームのための準備時間30秒のカウントダウンとそれに引き続く2分間の持ち時間を音声で表示する、いわば「効果音」が入っているのである。
これがないと各チームがコンテストの持ち時間を知ることができないし、何より会場がまったく盛り上がらない。
私は、カンボジア国営テレビ局副局長の通称“松平の殿様”に、この効果音操作専従のスタッフを付けてほしいとお願いしていたのだが、未だに担当者は決まっていなかった。
●スタジオ裏のピットで最終調整をする参加学生たち(撮影:清水千恵実、以下同)
毎回のレースの度に操作しなければならないのだから、何かをやりながらできる仕事ではない。
ところが、殿様はこう言ったのである。
「スタッフがいないからジュンコさん、やってください」
はあ?
殿様、それはいくらなんでも無理だ!
私は、常に全体を見ておかなければならない。
何かトラブルが起こった時に真っ先にそれを判断し、どう対処するか決めなければならないのは、殿様と私だ。
効果音操作も大切な仕事だが、私でなくてもできる。
そういう仕事は他のスタッフにやってもらってくれ、と私はいつにない強い調子で殿様に訴えた。
こういう大人数が動くイベント収録は、時間と判断の闘いである。
命令系統が乱れれば、大混乱が起こって収拾がつかなくなる。
だから、決断する人間は少ないほうがいいし、決断する人間は現場を離れてはいけない。
これはテレビ収録の際の鉄則である。
ところが、殿様たちはそういう場数を踏んでいないから目先のことに注意を奪われてしまい、それに対処しようとするあまり、すぐに現場を離れようとする。
事実、本番が終わるまでの間、次から次へと「あれはどうなってる?」「これはどうなっている?」と、テレビ局スタッフが入れ代わり立ち代わり私のところにやって来ていた。
私はそのたびに殿様の許可を取り、スタッフを動かして一つひとつ解決していった。
今となっては何が起こっていたのか記憶にないほど、あらゆるところで様々なトラブルが起ころうとしていたのである。
■画像が逆さま! スイッチャーのもとへ走る
さらにもう一つ気になっていたことがあった。
現場のカメラ、特に競技盤を俯瞰で撮影するクレーンカメラがひょこひょこと意味なく動いているのである。
見ている人間には不安定この上ない動きだ。
タイのテレビ局MCOTの心強い助っ人、ジョッキーさんもそれに気づいているようで、私のところにやって来た。
●クレーンカメラをチェックするジョッキーさん(右)
「ジュンコ、クレーンのカメラが良くないね。
固定させてしまった方がいい。
それと、天地が逆だ。
ほら、見てごらん」
と言って、モニターを指差す。
確かに!
他の段取りばかりで気づかなかったが、他のカメラとスイッチングすると、これだけ画像の天地が逆さまなので一瞬ロボットがどこにいるのかよく分からない。
さすがジョッキーさんである。
ということで、私とジョッキーさんは急いでスタジオのサブ(副調整室)に向かった。
そして、サブに座っているスイッチャー(スタジオの4台のカメラマンに指示を出し映像の切り替えを行う、撮影のみならず技術の責任者)に、ジョッキーさんが英語で説明する。
スイッチャーというのは、洋の東西を問わずプライドが高い。
日本でもディレクターの言うことを聞いてくれないベテランスイッチャーはたくさんいる。
しかも、この国営テレビ局のスイッチャーは、殿様よりも遥かに年上で古株の一人である。
果たしてタイからやって来た「他所者」のジョッキーさんの言うことを聞いてくれるのか?
ジョッキーさんはいつもの笑顔で、英語で丁寧に説明する。
そもそも、このスイッチャーが英語を理解するのかどうかも分からない。
無表情で聞いていたが、ジョッキーさんの言葉が終わると頷き、何やらクレーンカメラマンに指示を出している。
そして、ほどなくカメラの天地が入れ替わった。
やはり、ジョッキー・マジックだ!
■第1回戦の意外な展開に会場が沸く
こうして、あっという間に開会式の時間が迫ってきた。
不思議なことに、直前までバタバタしていても帳尻が合ってしまうのがカンボジアである。
スポンサーやドナーとなってこのロボコンを支えてくださった日系企業や個人の皆さん、政府要人、大学関係者、日本大使館、JICA(国際協力機構)、そして審査員などが集合し、予定通り9時に開会式が始まった。
とにかく、開会式と閉会式はコンテスト本体よりも大事なカンボジアの儀式である。
これをつつがなく終えること、それこそが殿様にとっての第一関門なのだ。
●参加大学の代表が集まっての開会式
まずは、各出場大学の代表者6名ずつが登壇しての出場チーム紹介、それに引き続き来賓の皆さんの紹介、国営テレビ局局長の挨拶、そして国営テレビ局の上部組織である情報省長官の挨拶もほぼ時間通りに終了。
スピーチライターとして2人のお偉いさんのスピーチの草稿を書いた殿様は満足そうだ。
そしてほぼ定刻の9時半、
最初の参加チームの登場とともに、
カンボジア初のロボコンがスタートした!
出場チームは4大学から全部で40チーム、それに個人参加の1チームを加え、参加学生総勢84人が作ったロボットが、縦2.4メートル、横3.6メートルの盤の上に描かれた白い曲線の上を走り、その走行時間を競うライントレースと言う最も単純なレースである。
1チームに与えられた時間は準備に30秒、走行限度時間が2分。
2分以内であれば、ラインからはずれたり、途中でストップしてしまっても、スタートラインから何度でもトライできる。
そして最も早くゴールに辿り着いたチームが、午前1回、午後1回、合計2回のレースの合計タイムでの優勝者となる。
1回戦のレース前半、全部で14チームという最多数のチームを出場させ、優勝候補と目されていたITC(カンボジア工科大学)のあるチームが1分を切る45秒のタイムでゴール。
そこに、ITCの対抗馬と見られていたNPIC(カンボジア国立工科専門学校)のあるチームが42秒を叩き出す。
ここからレースは一気に40秒台の争いとなり、数チームが40秒台前半で並ぶ接戦となり、会場を沸かせる。
ところが1回戦の中盤過ぎに登場したNPICのあるチームがぶっちぎりの27秒でゴール!
見た目にも明らかに違うスピード感で、一気に優勝候補へと躍り出たのだ。
■カンボジア人は負けると分かると帰ってしまう?
●カンボジアの若手カメラマンに撮影指導をするタイMCOTのカメラマン(右)
各大学からの参加学生、サポーター、来賓も、予想もしなかった展開にスタジオは興奮と熱狂に包まれた。
私自身も年甲斐もなく何度も歓声を上げてしまったほどだ。
こうして、1回戦は予想もしなかったスピードレースとなり、昼食休憩を迎えた。
しかし、私には一つ気がかりがあった。
当初、ロボコン開催を進めるにあたって、殿様をはじめとするカンボジア人が一番心配していたのは、
「カンボジア人は勝負事となると真剣になってしまうので、負けると分かった瞬間に出るのをやめてしまったり、途中で帰ってしまったり、ふてくされたりする」とか「負けたら、嫌がってインタビューに答えようとしない」
といったネガティブなことだった。
本当にそうなのかな?
そうだとしたら、コンテストは優等生ばかりの戦いになってしまって面白くないな、と私は思っていた。
ジョッキーさんも、
「ロボコンは、勝った学生が主役ではなくて、負けても、また次回チャレンジしたいと思わせるもの。
負けた学生こそ主役なのだ」
と言い続けていた。
1回戦が終了した時点で、参加したチームのうちほぼ半分が制限時間内に完走できていない。
1回戦が終了し、ランチタイムを挟んだら最後、負けた学生の大半は帰ってしまうに違いないと言っていた殿様の言葉が頭をかすめる。
うかつにも、登録担当のスタッフには2回戦のチーム数のチェックまで指示していない。
参加チームの数が変われば、混乱は避けられないし、何よりここまで盛り上がってきた大会の雰囲気が台無しである。
果たして、2回戦が始まるまでに何組のチームが残ってくれているだろうか・・・。
レース再開まであと1時間――。
』
<続きは下記で>
【ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その5 終わり(21)】
*本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。
金廣 純子 Junko Kanehiro
慶 應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フ リー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS 「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にて Globalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作ア ドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケー ションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。
https://www.facebook.com/photo.php?v=724404837593130&set=vb.647052058661742&type=2&theater
『
JB Press 2014.03.24(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40225
日本人は貧乏性?
「楽しむ」という初心に返った日カンボジア人の笑顔が気づかせてくれたこと
~カンボジアでロボコン!?(16)
第1回カンボジア大学対抗ロボットコンテスト(以下ロボコン)まで、この原稿を書いている時点で2週間を切っている。
しかし・・・本当にこれでいいのだろうか?
■「日本ほど忙しくない」状況に、かえって気持ちが焦る
日本でこれほどのイベントの2週間前なら、打ち合わせの連続で、ほぼ毎日終電帰宅の状態のはずだ。
勿論、残業はしている。
家に帰ってからでもずっといろいろな連絡をしているし、土日も家に持ち帰って仕事はしている。
だからといって、日本で経験したような「とんでもない忙しさ」とか、スタッフみんながわさわさと働いているというのではない。
これでいいのだろうか?
国営テレビ局の副局長、通称“松平の殿様”は確かに忙しそうだ。
私が大枠のプランを考え、殿様と討議する。
2人で考えたことを具体的に形に落としていくのは、すべて殿様の仕事になる。
なぜなら、私はクメール語が話せないからだ。
私が台本を書く。
でもその台本は英語だ。
全スタッフに理解させるにはクメール語にしなければならない。
だから、それを翻訳するのも殿様の仕事になる。
美術の担当者を呼んで、スタジオにどういうセットを組むかを指示するのも殿様の仕事だし、参加者に渡す賞状の文言を考えるのも、優勝者に渡すトロフィーに刻む文言も、すべて殿様が考えて発注しなければならない。
なぜこんなに殿様が孤軍奮闘しなければならないかというと、カンボジアの国営テレビ局では、日本のテレビ局の中にあるような、美術部や技術部といった部署がまだまだプロとしての組織になってはいないからだ。
●スタジオセット図はこんなに簡単(写真提供:筆者、以下同)
例えば、日本でスタジオセットを組むとなると、きちんとした縮尺で作成した設計図である「青図」を引く。
でも、ここではどうもそんなものは作らないらしい。
殿様がクメール語で説明しながら、ささっと見取り図みたいなものを書く。
「ここが1メートル、こっちが1.5メートル」などとクメール語で説明をする。
「分かった?」と聞いているような殿様の素振りがある。担当者はうなずく。
以上である。
撮影技術のことで言えば、台本には当然ながら「カメラ割り」(会場にある数台のカメラがそれぞれどのようなものを撮影するか、その狙いを書き込み、予め台本上で分かるようにしておくこと)を入れなければいけない、というのが日本のスタジオ撮影の常識である。
だから、私は自分が英語で書いた台本を殿様がクメール語に訳し終えたら、それを一緒にやろうと提案した。
でも殿様はこう答えたのだ。
「ジュンコさん、私はカメラ割りの重要性はよく分かっています。
でも残念ながら、カメラ割りを台本に書いても、誰も見ませんし、恐らく理解できません。
だからカメラ割りは要りません」
え~? でも殿様、何台ものカメラが勝手に自分の撮りたいものを撮影しちゃったら困るじゃない。
どうするの?
「それは、スイッチャー(複数のカメラマンが撮影している映像の切り替えを行う人)が指示を出します。
それしか、彼らは理解できません」
うーん、そんなことで大丈夫なのかなぁ・・・。
カンボジア人の「なんとかなる」主義に不安が募るテストラン
番組を作るというのは、それぞれの頭のなかにあるイメージを具体化していく作業だ。
日本では青図や台本といったもので、いろいろなセクションで働く大勢のスタッフが共通の認識やイメージを持てるように、非常に細かい準備をしていくのがこの時期なのである。
●番組および運営スタッフと参加大学教員たち。手前は“松平の殿様”
ところが、どうやらカンボジアでは、そういうことは「なんとなく」決めて、当日「なんとかしちゃおう」、いや「恐らくなんとかなる」ということらしいのである。
ものすごく心配だ。
そして、私の心配は「予選」が行われる3月15日にピークに達した。
そもそも大会の2週間前には、参加チームを絞り込むための「予選」を、本番の会場である国営テレビ局のスタジオでやろうと計画していたのだ。
しかし、ロボット制作のためのパーツ調達が大幅に遅れたために、「予選」としての体裁が整わなくなってしまった。
そこで内容を少し変更して、参加する学生にとっては、本番と同じ条件でロボットをテストするテストランの場とし、自分たちが作ったロボットの修正ポイントの確認をしてもらう。
そして、大会運営委員の母体となっている各大学の指導教員たちにその様子を見せて、今考えているルールを実践して問題がないかどうかをチェックし、テストランの後にルールの最終決定をしてもらう場とする。
さらに、国営テレビ局側にとっては、技術、美術、制作などのチームがどのようなことを本番でしなければならないのかを確認し、本番までにどのような準備が必要かを考える場にしようということにしたのである。
とにかく、参加学生、運営委員会、テレビ局それぞれの課題が違うのである。
それぞれが自分の課題を自分たちで意識して、この「予選」で答えを出してもらう場なのだし、出してくれないと本番までに何も進まないのだ。
●ロボットがうまく走らず、プログラムを書き直す学生
例えば、テレビ局の照明。
照明は本番と同じ明るさにしてくれないと、本番に出場する学生たちが困る。
というのも、ロボットは競技盤上の白いラインをセンサーが読み取って動く。
そのセンサーに当日の照明がどのような影響を及ぼすかのチェックもしなければならないのだ。
ところが、私が何度「スタジオの照明を当日と同じにしてくれ」と言っても、どんよりと暗いままで明かりを上げてくれない。
照明マンにとっては、
「本番じゃないのに、明かりを上げる必要ないじゃない。電気代高いんだし」
ということらしく、テストランの途中でさらに照明を暗くしようする。
「ダメだ!」
と言って、ようやく元には戻させたのだが、やはり当日の照明には最後までしてもらえなかった。
それから、それぞれのロボットの速さを表示するための「秒数表示」画面。
プノンペンで日系企業のIT技術者として働き、自ら学生を集めてチームを作って参加してくれることにもなった鈴木徹郎さんが、自分のパソコンで作ってくれていた。
それを会場でモニター表示するためにどんなコネクターが必要なのかをチェックする必要がある。
だから私はスタジオ技術者を呼んでおいてほしいとお願いしていた。
ところが、スタジオ技術者は自分は撮影のことしか分からない、と言う。
他のスタッフはパソコンにコネクターをつければ大丈夫と楽観的なことを言う。
殿様に、
「本当にモニターにアウトできるかどうか心配だから、ちゃんとチェックできる人を呼んで」
と私は訴えた。
しかし、結局
「大きいモニターは前日にレンタルして搬入だから、それまでは実物でチェックはできない」
ということになった。
他にも、ルールのこと、ピットスペース(学生がロボットを最終調整したり、バッテリーチャージしたりする場所)のこと、学生たちの入退場の動線・・・。
チェックし、共有しなければいけないことが山ほどあるのだ。
それはコンテストの運営と、テレビ撮影というイベントの連動には不可欠のことなのに、どうもそのあたりの認識を誰も持っていないのである。
■カンボジアのロボコンは誰のものか
うーん・・・と頭を抱えながら、ふとテストランをしている学生たちを見る。
うまく走っているロボット。
スタートから躓いてしまうロボット。
スピードは速いのに、速すぎてコースラインから外れてしまうロボット。
学生も、テレビ局の職員も、学生たちを指導する先生たちも、たくさんの人が競技盤を取り囲んで、そんないじらしいロボットたちをじっと見つめている。
そこにあるのは笑顔だった。
実に楽しそうな笑顔でみんながロボットたちを見守っている。
学生たちは勿論のこと、盤上を走るロボットを初めて見た殿様も、さきほど私の言うことを聞いてくれなかった照明マンも、そして恐らくテレビ局の職員の家族なのであろう、見知らぬ子供たちも・・・。
そんな彼らの笑顔がふと私に思い出させてくれた。
●ロボットを見守るみんなが笑顔だった
なぜ私がロボコンをカンボジアでやってみようと思ったんだっけ?
面白そうだ。
ただそれだけだったじゃない?
そして今、目の前で繰り広げられているこの光景は、実に面白そうで、皆が楽しんでいるじゃないか。
だったら、それでいいんじゃないか?
私が一人で気を揉んで、日本でやったように、きちんとやろう、綺麗にやろう、と思っても、それは日本人である私の価値観を彼らに押し付けているだけなのかもしれない。
カンボジア人には、カンボジア人のやり方や流儀がある。
そのやり方に寄り添って、一緒に楽しめばいいではないか。
これは「カンボジア・ロボコン」だ。
私のロボコンじゃない。
彼らのロボコンだ。
彼らのロボコンにするためにも、ちょっと肩の力を抜いて、私も一緒に楽しもう。
それでいいんじゃないか?
たぶん、それでいいのだ。
彼らのロボコンまで、あと2週間!
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『
JB Press 2014.03.31(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40284
“松平の殿様”の働きぶりは意外性の宝庫
「待つ」ことも大事な異文化間の共同作業
~カンボジアでロボコン!?(17)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)まで、この原稿を書いている時点であと6日しかない。
ここまで時間が迫っているのに、なんとなくやっていることがちぐはぐなような気がする。
「式典」を優先するのがカンボジア流?
●ロボコン参加校の1つ、PPI(プレアコソマ工科総合専門学校)で最後の事前取材も無事終了(写真提供:筆者、以下同)
実は、「予選」が終了した2日後からロボコン開催の1週間前まで、国営テレビ局副局長、通称“松平の殿様”は中国に出張することになっていた。
この時期に1週間も殿様が海外出張。仕方がないとはいえ、もろもろの作業は殿様なくして他のスタッフにはできない。
大丈夫なのだろうか・・・?
とにかく不安なので、出発前日の日曜日、殿様と私は打ち合わせをすることにした。
当然のことながら、私はコンテストの中味と番組の制作のことばかりが気になる。
ルールをどうやってテレビ局スタッフに周知させるのか。
それによってスケジュールを決め、さらには演出プランをどうやって決めるのか。
コンテスト運営と番組制作の連動をどうやってすり合わせていくのか、などなどである。
ところが、どうも殿様にとって最も優先されるのは、「式典」としてのロボコンのようなのである。
以前にも書いたが、カンボジアの式典運営側にとって大事なのは、来てくださるお客様たちに対する心遣いである。
まあ、分かりやすく言うと「お土産」をどうするかとか、そういうことですね。
今回のロボコンの場合、殿様の最大の気がかりは、
1. 参加してくれた学生たちに対する記念品
2. 受賞者に渡すトロフィー
3. 参加してくれた学生たちに配る認定証
4. 来てくれたスポンサー、ドナーなどのお客様に対する感謝状
ちなみに、学生に配る認定証については当初から殿様がずっと気にかけていたと以前も書いたが(「引き算の日本人、足し算のカンボジア人」)、実は、カンボジア社会では就職のときにあらゆる認定証を添付して提出するものなのだそうだ。
だから認定証は多ければ多いほど良いということなのだ。
なるほど、殿様がずっとこだわっていたのにはカンボジアなりの理由があったのだ。
さて、これらを何とか自分が出張から戻る翌週末に間に合わせるように作らなければならない、というのが殿様の最大の懸念なのだ。
なぜなら、こうした認定証や感謝状には情報大臣のサインが必要だからである。
情報大臣からのサインがもらえるチャンスは翌週末しかない、と言うのである。
■なかなか肝心の話ができない“殿様”との打ち合わせ
しかも殿様は、自らロボコンのロゴをデザインしてしまうほどのデザイン好きなのである。
だから、記念品のペナントだって、受賞者のトロフィーだって、自分で店に足を運んで色やデザインの良い商品を探し、それに自分でロゴや文言などを組み合わせてオリジナルのデザインに仕上げる。
認定証や感謝状も文言を作るばかりでなく、体裁までイラストレーター(デザイン用ソフトウエア)で作り上げる。
そして、私に見せるのである。
「ジュンコさん、どうでしょう。こっちのデザインと、こっちのデザイン、どっちがいいですか?」
もう、何度も何度も言っているけど、私はどっちでもいいのである。
それは殿様が決めてどんどん進めてくれて構わない。
だって、私はカンボジアの人たちがどういうデザインを好むかとか、どういうトロフィーだったら満足するかなんて、分からないんだもん。
でも殿様は律儀に私に聞いてくる。
だから話を前に進めるために、殿様が気に入っているらしい方を私も選ぶことにした。
というのも、こうしたことも早くお店に発注をかけないと、ロボコン当日までに間に合わないからである。
とはいえ、殿様はまだ迷っているらしく、「ここをもう少しこうすればどうかな?」なんて私に聞きながら、まだ自分で描いたデザインをいじっているのである。
実に嬉しそうだ。
結局1時間以上がそれで過ぎてしまい、ようやく納得したらしい殿様は、私にこう言った。
「ジュンコさん、これでもう大丈夫です。あとはスタッフに発注するように言いますから」
いや、殿様、もっと大事なスケジュールとか、いろいろな段取りの確認が・・・。
「それはまだ私も考えている途中だし、政府関係者の出席状況が分からないので、出張から帰ってからにしましょう」
と、殿様。あくまで式典としてのロボコンが優先なのである。
ということで、殿様は中国に旅立ってしまった。
■コンテスト運営と番組制作の準備に奔走した1週間
殿様がいない1週間は、もうとにかく私1人でどんどん進めるしかない。
時間がないのである。
大学側をとりまとめてくれていた德田さんは任期を終えて先日帰国された。
平松さんもご家族の都合でロボコンの前に日本に一時帰国されることに以前からなっている。
最初からこのロボコンを進めてきたのは、私だけになる。
殿様の関心がどうあれ、周りがどうあれ、もう開き直ってやるしかないのだ。
まず、コンテストのルールについては、前回の「予選」で全参加大学のコンセンサスを得たものの、ルールを文書化していない。
文書化しなければ、レフェリーにも、審査員にも、ロボコンを進行する司会者にも、そして番組を収録するスタッフにも混乱が出る。
さらに、これを決めなければ、大会の細かいスケジュールだって算定できないのだ。
しかも、参加する学生たちにとっては、英語で書かれているよりもクメール語で書かれている方がいいに決まっている。
だから、担当のNPIC(カンボジア国立工科専門学校)の先生には、クメール語でルールを作ってもらった。
しかし、私がチェックするためには、それをさらに英語にする必要がある。
クメール語と英語のやりとりを何度か経て、結局2度ほど手直ししてもらい、大会1週間前にしてようやく最終的なルールが文書化できた。
やれやれ、である。
その他にも、大会の参加学生の人数とチーム数を把握し、各大学から登録してもらう必要がある。
ロボット制作のためのパーツが大幅に遅れたために、各大学は参加チーム数も直前まで決められなかったのである。
ようやくこの1週間で参加学生とチームの登録が終了。
それを基に今度は学生が着用するゼッケンだって作成しなければならないのだ。
ゼッケンがなければ、会場に来た人にも、番組視聴者にも、どこのチームなのかが分からない。
しかし、大事なのはゼッケンだけではない。
コンテスト運営で重要な出走順も決めなければならない。
例えば、1つの大学からの参加チームばかりがまとまって出走したら、他の大学の学生たちは飽きてしまう。
だから、それぞれ出場チーム数の違う4つの大学をうまく振り分け、組み合わせて出走順を作り上げた。
その他、審査員が各賞を審査するための審査基準の作成も必要だ。
優勝と準優勝は単純に着順のタイムで決まるが、その他「技術賞」「アイデア賞」「デザイン賞」などの受賞チームを審査員に選んでもらわなければならない。
その審査基準を決めて、審査員が評価点を書き込めるような表も作った。
最も大事なロボットの速さを表示する秒数カウントシステムの表示の作成は、個人チームを率いるIT技術者の鈴木さんに依頼していた。
●ロボコンの秒数カウント表示を作成したIT技術者の鈴木さんは、自ら学生たちを率いて参加チームも作ってくれている
先日の予選の様子を見て、最終的にタイムキーパーがスタートとゴールのタイミングでコンピューターを操作し、それが画面に表示されるようなソフトを作ってもらうことに決めた。
また、ルールの決定に伴い1チーム2分の持ち時間が決定したので、その持ち時間のカウントダウンシステムを音声で流すための効果音は私自身が作り上げた。
さらに、スポンサーやドナーなどロボコンを応援してくれた人々を大会にご招待する連絡もある。
そうした方々はほとんど日本人なので、当日それらゲストに対応してもらうお手伝いを青年海外協力隊に頼む、などなど。
私がこの1週間でやったことは、ロボコンをコンテストとしてつつがなく運営するための最低限の決まりごとを整えて、それを関係者に通達し、共有すること。
そして、テレビの収録番組(つまりイベント)制作を盛り上げるための演出に関わることだった。
そして、ようやく殿様が中国から帰ってきた3月第3週目の週末――。
■カンボジア人の進め方にも理由がある
今度こそは、こうやってまとめたコンテストのルールのこと、スケジュールのこと、番組制作スタッフと大学側のもろもろの情報の共有をどうするかを打ち合わせなければ、と殿様の部屋に向かう。
殿様は、昨日夜遅く中国から戻ったというのに、既にこの日も朝早くから仕事をしていた。
本当に働き者なのである。
そして開口一番、殿様は私にこう言ったのだ。
「ジュンコさん、中国にいる間に、スタジオでどうやって人が動くかの図をイラストレーターで作りました。見てください」
へ? 動線?
確かに動線は大事だ。
私も「予選」のときから気になってたんだよね。
でもそれは、順番としてはルールやスケジュールが決まった後なんだけど。
しかし、殿様は嬉しそうにイラストレーターで作った動線を私に見せるのである。
開会式のときの要人の動き、コンテストのときの参加学生たちの入退場の動き、授賞式のときの動きなどなど。
うーん、確かに間違ってはいないし、必要なんだけど、それはもろもろの大枠の確認が終わってからすることなんだけどなぁ・・・。
さらに、殿様は私にPC画面上の別のファイルを開けて見せる。
「ジュンコさん、ゼッケンのデザインもしてみました。見てください」
え、ゼッケンのデザインも自分でしたの?
業者に頼んだんじゃなかったんだ。
つまり、ゼッケンは参加大学チームごとに番号や大学名が違う。
だからそのデザインと、生地へのプリントを業者に頼むと、出場チーム数43通りの版下を作るために結構な費用がかかる。
自分で1つずつイラストレーターでデザインして、その辺の出力屋に持って行ってプリントアウトだけしてもらえば安い、ということらしいのだ。
なぜ、ゼッケンまで殿様がデザインしていたのか、ようやく私も理解した。
そしてゼッケン問題も終わりに近づき、やっと私の懸案事項の打ち合わせに入れるかと思ったその時――。
いつもニコニコしている殿様が、いつになく悲痛な声で私に声をかけた。
「ジュンコさんが作った出走順とゼッケンを1つずつ照らし合わせて、生徒の名前を入れる当日の確認表を作っているのですが、どうも混乱して数字が合いません・・・」
というのも、先ほど書いたように私が作った出走順はチーム数が違う大学をうまく振り分けて偏りがないように作り上げているのである。
どうやら、途中で大学名が合わなくなって、殿様は混乱してしまうらしいのだ。
●殿様が特に気にしていたトロフィーも出来上がった
「大丈夫、大丈夫。
殿様、私が表を作ります。
殿様はまだやることがあるんでしょ?
そっちをやってください」
というわけで、結局その日も、私の懸案事項の打ち合わせまではたどり着けなかったのである。
つまり、日本で普通にやれることが、カンボジアでは日本の数十倍の手間と時間がかかる。
そして、カンボジア人と日本人では物事の進め方の順番が違うのだ。
でも、やるのはカンボジア人たちなんだから、殿様が納得する順番で進め、私はじっと待つしかない。
ということで、ロボコンまであと6日。
ガンバレ!
働き者の殿様。
でも彼はまだルールがどうなっているかも実は知らないのである・・・。
』
『
JB Press 2014.04.07(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40349
カンボジア流「時間管理」との溝をどう埋める?最初で最後の全体ミーティングが思わぬ難航
~カンボジアでロボコン!?(18)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)まで残すところあと3日となった3月26日朝。
ノンペン国際空港に、あのタイのテレビ局MCOTのメンバーたちが再びやって来た!
振り返ればおよそ1カ月前の2月末、タイ・ロボコンのチーフプロデューサーを務めるジョッキーさんとコーディネイターのニンさんがプノンペンを来訪。
カンボジア国営テレビ局と、ロボコン参加大学の指導教員たちとそれぞれ打ち合わせしたことで、皆の意識が大きく変わった。
私もロボコンに対する認識を新たにした。
●プノンペン空港に到着したMCOT一行。左から2番目、緑のポロシャツを着ているのがジョッキーさん(撮影:筆者、以下特記のないものは同様)
その心強い助っ人たちが、今度はテレビ局カメラマンのペッ、タイのロボコンチャンピオンであるトゥラキットバンディット大学インストラクターのトゥン、チームメンバーのテエ、そしてパーツ調達でミラクルな大活躍を見せたあのプイも引き連れて、プノンペンの地に降り立ったのである。
ちなみに、トゥラキットバンディット大学は、2012年のABU*ロボコン敢闘賞受賞チームでもある。
*アジア太平洋放送連合(Asia-Pacific Broadcasting Union)
ジョッキーさんはじめ皆の明るい笑顔を見て私はホッとしていた。
実は、この3日前の段階になっても、国営テレビ局内では式典の準備ばかりが優先され、肝心のコンテスト本体の準備や情報の共有が全くなされていなかったからである。
■「初めと終わり」だけのスケジュール表
MCOTのメンバーたちがプノンペンにやって来る前日、国営テレビ局では、ロボコンに関わるすべてのメンバーを集めての初めての会議が行われていた。
大会4日前にして初めての会議。しかも、副局長である通称“松平の殿様”とアシスタントのボラシー以外、ロボコンとは何なのか、ほとんど誰も知らないのである。
その会議までに、殿様は私がこれまで準備してきた進行台本やルール、参加大学の詳細をクメール語に翻訳し、(殿様にとっては最も)大事な式典の式次第などすべてを整え皆に説明した。
しかし、こうした大人数のスタッフや参加者が動くときに徹底されなければならない、当日の全体スケジュールを殿様は発表しない。
なぜか、開会式のスケジュールと閉会式のスケジュールだけが書かれていて、その間に「コンテスト」と書かれているだけだ。
コンテストはどんな進行で行われるのか。
ルール説明はどうするのか。コンテストの細かい進行が書かれていないから、コンテストが始まったら誰がどのような責任を持って動くのかが全く分からないのである。
私が何度コンテスト自体のスケジュールを発表するように促しても、殿様は「コンテストは当日進行が遅れる可能性もあるから、書いても意味がない」と言って受け入れようとしなかった。
殿様が一度こう言い出したら絶対に私の言うことを聞かないのは、私もこのテレビ局で指導してきた1年と10カ月の間で気づいていた。
「カンボジア流」にこだわる殿様には、殿様なりのプライドがある。
それは私も十分承知している。
しかしそれでは、収録する技術スタッフだって、制作スタッフだって一体何時までにどんな準備をすればいいのか分かるはずがない。混乱が避けられないのは目に見えていた。
この難局を突破するにはジョッキーさんのあのマジックしかない・・・。
ジョッキーさんは本当に相手にプレッシャーを与えない人だ。
笑顔とともに柔らかい言葉で相手の心を掴みながら、的確な表現で説得していく。
カンボジア流にこだわる殿様を説得できるのはジョッキーさんしかいない、と私は確信していた。
空港からの道すがら、私はジョッキーさんに今の問題点を説明した。
「分かった」といつもの笑顔でジョッキーさんは頷く。
「ジュンコ、一つひとつ解決していこう」とジョッキーさんは私に言った。
本当に心強い。
■コンテストのスケジュールをめぐる攻防
●立場の違う3者が集まっての全体会議(撮影:Tann Sokly)
そして、その日の午後――。
MCOTスタッフを交えて、国営テレビ局の主な技術スタッフ、制作スタッフそして参加大学を指導する教員たちが一同に会する、初めてにして最後の会議が始まった。
まずは殿様が、コンテスト当日の全体の流れを全員に説明する。
ジョッキーさんはにこやかにうなずきながら一つひとつメモを取っていた。
そして全部の説明が終わると、まずこう言った。
「ミスター・パン・ナッ。
素晴しい準備です。
よくここまで準備したと思います」
そしてこう切り出した。
「ただ、問題点があります。
まず、コンテストの進行の時間が書かれていない。
これだと時間の管理ができません。
コンテストが大幅に遅れてしまった場合、どう巻き返すのか、誰も分かりません。
ですからタイミングを細かく入れませんか?」
すると、殿様、
「ジュンコさん、1チームの持ち時間は何分だったっけ? 忘れちゃったんだけど・・・」
え~! 殿様、忘れちゃったの~?
ということで、チームの呼び込みと紹介に1分、スタートまでの準備に30秒、各チームのレースの制限時間は最大2分、レース後の簡単なインタビューと退場に1分を想定していることを発表。
1チームにかかる時間は4分30秒、参加チームは全部で44チームなので、午前中1回、午後1回、全員が走行するのに必要な時間は、最長でそれぞれ3時間15分程度である。
つまり開会式が終了する午前9時半からレースをスタートさせると、最長で12時45分までかかる想定だ。
昼食休憩は、その間にもろもろの調整もあるため1時間以上必要。
だとすると午後のレースを始めるのは早くて2時である。
だから、そういうことを今この場で決めなければ、参加する100人近い学生も、招待しているスポンサーやドナーなどのゲストも、テレビ局のスタッフも昼食休憩でスタジオを離れたら最後、皆バラバラに帰ってきて混乱の原因になる、と私は言った。
■カンボジア流「時間管理」で大丈夫なのか・・・?
●“松平の殿様”(右)に粘り強く説得を続けるジョッキーさん(左手奥から2番目、撮影:Tann Sokly)
ところが、相変わらず「時間」に関して殿様は全く譲歩しない。
「いや、タイムレースなんだから、速いチームは2分もかからないでしょう。
だったら全体は早く終わる。
だから、その基準でスケジュールをここに書いても意味がない」
それは確かにその通りなのだ。
盤上の白いコースラインをフォローしてロボットが走り、それをつつがなく走りきって、例えばそれが1分もかからないこともある。
しかし、コースラインから逸れてしまったり、止まってしまえばそれはアウトとなり、もう一度スタートラインからスタートさせなければならない。
その行為を繰り返せる制限時間が2分ということなのだ。
だから、予想される最も長い時間を目安として書き入れておいて、もし時間が巻いてきたら(早まってきたら)、それはそれで調整すればいいと考えるのが日本人のスタンダードだし、ジョッキーさんもそう考えている。
ところが、目安を書いても意味がない、と殿様は言いたいらしいのだ。
時間に関してカンボジア人はあまり頓着しない。
例えば要人が出席する式典では、要人が何時間(何分ではない)もスピーチしていたりする。
だから何時に終わるのか誰も分からない。
でも、カンボジア人はそれでも何とかしてきたのだから、何とかなる、と殿様は考えているらしいのである。
さすがのジョッキー・マジックもどうやらカンボジア人の時間管理の概念までは覆せなかったようだ。
分かった、と私は言い、
「確かに殿様の言うとおりです。
では、とにかく午前中のレースが終わったら、1時間ぐらい昼食休憩を取って、それで再スタート時間をその場で決めましょう」
「ただし、殿様、大事なのは、午後何時から再スタートをするのか判断して、その場で全員にきちんと告知することです。
それはフロアマネージャー(スタジオを仕切るチーフスタッフ)の役割になりますが、それは誰がやりますか?」
と殿様に訊ねた。すると殿様は、こう言った。
「私が判断して、私が皆に告知します」
え~!? 殿様がフロアマネージャーやるの?
●この日、参加学生に贈る殿様こだわりのお土産もでき上がった
ま、もうここまで来ても、他のスタッフは誰も細かいことは把握していないのだから、殿様がやるしかないか。
まあ、それがカンボジア流だったら、そのやり方に従うしかない。
ところで、このちょっとした諍いの間、他のスタッフはハラハラして見守っていたかと言うと、そうでもない。
技術スタッフは技術スタッフで自分たちのパートの話をしているようだったし、先生たちは先生たちで自分たちの話をしている。
日本のようにシーンと静まり返った中でこの議論が行われたわけではなく、それぞれが勝手ににこにこ笑いながら別の話をしている雑音をBGMに、殿様と、ジョッキーさんと、私だけが真剣な表情で話していたのだ。
これもまた、縦割り社会というのか、自由放任個人主義的というのか、不思議なカンボジアの風景なのである。
■“殿様”からの呼び出しで自分の立場を再認識
ということで、午前中の会議が終わり、ジョッキーさんと私は、こっそりと話をする。
「ジョッキーさん、時間のことは明日の会議でもう一度確認しましょう。
そして、どうしても周知しないようだったら、対策をそこから考えていきましょう」
すると、アシスタントのボラシーが私を呼ぶ。
殿様が私を呼んでいると言うのである。
急いで殿様の部屋に向かうと・・・、
殿様はいつもの笑顔で私に訊ねた。
「ジュンコさん、ええと、1チームの持ち時間は何分でしたか?
それで最長で午前中は何時に終わるんでしたっけ?」
と言って、計算機を取り出す。
そして、「午後の再開時間は2時でいいんですよね?」
なあんだ、殿様。やっぱり分かってたんじゃないの~!
つまり、カンボジア・ロボコンのホストテレビ局である殿様のプライドの問題なのである。
それは私も理解していたけれど、ついつい先を焦るあまり、いわゆる「根回し」としての会議にするのを忘れていたのだ。
ということで、この切羽詰まった状態で、私はようやく自分の立場を再認識することになった。
私はどちらの味方になるか?
どんな立場で物を言うか?
それは間違いなく、カンボジア国営テレビ局のアドバイザーとして、カンボジア国営テレビ局の立場に立って、物を言うべきだ。
だから、まずは殿様の横にいて、常に殿様に向かって話をしよう。
殿様と、周りの橋渡しはすべて私がやろう。
恐らく、それがカンボジア、タイ、日本の国籍を超え、さらには、テレビ局、大学と立場の違う人々が集まって作り上げるこのプロジェクトでの、最も重要な鍵になるに違いない。
ということで、翌27日にはリハーサルを前に、各大学の指導教員たちとMCOTチームも交えての、最後のルール確認会議が控えている。
ところが、この会議もまた、予想もしない波乱を含んでいたのである。
』
『
JB Press 2014.04.14(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40417
最後の最後にやって来るカンボジア的主張の謎開催直前の大波乱で頭に血が上る
~カンボジアでロボコン!?(19)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(通称ロボコン)まであと2日と迫った3月27日。
タイからの強力な助っ人、公共放送局MCOTのジョッキーさん一同と、2012年のABU(アジア太平洋放送連合)ロボコンの敢闘賞受賞チームであるトゥラキットバンディット大学のメンバーと私は、参加大学の1つであるPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)に向かっていた。
ここで、参加大学4校の指導教員たちによる最後の「ルールチェック」を行うためである。
■最終ルールチェックで飛び出した予想外の発言
とにかく、カンボジア初のロボコンはあらゆることが初めてなので、トラブルだらけ。
様々なスケジュールは遅れに遅れ、ルールの決定は最後の最後になった。
ラインフォロワーという大まかなルールは決まっていたものの、スタートやゴールはどうするのか、計測タイムや1チームの持ち時間をどうするのか、などの細かいルールが最終的に決定したのは、テストランという形の「予選」が終了した3日後、コンテストのわずか11日前だった。
しかし、その「予選」に、一番の優勝候補と目されていたITC(カンボジア工科大学)からは、なぜか1チームも出場しなかったのである。
「予選」が終了したその場で私は、ITC以外のすべての指導教員と、その場にいた学生たちに、一つひとつのルールの確認をしていった。
その結果決まったことは次のようなルールだった。
(以下は概略で実際はもっと仔細にわたっている)
1].1チームのスタートまでの準備時間は30秒、そこからロボットを走らせることができる制限時間は2分。
ラインからはずれたり止まってしまうなどのエラーが起きた場合は、何度でもその制限時間内でやり直しをすることができる。
2].ロボットの走行時間のカウントは、ロボットの末尾がスタートラインを越えてから、ゴールラインをその末尾が越えるまでとする。
3].ゴールしたロボットは、ゴールラインからスタートラインまでの間でストップしなければ失格となる。
4].1秒以内の差はタイムキーパーの手動計測の誤差の範囲内とし、同着とする。
5].ロボットの走行は、全チーム共通で、午前1回、午後1回の計2回とする。
これをNPIC(カンボジア国立工科専門学校)の指導教員にクメール語でまとめてもらい、それを英語に翻訳したもので私が2度ほど確認をとったうえで、全参加大学の指導教員には既にクメール語のルールブックを私からメールで配布。
異論のある場合はメールで全員に返送してほしいとお願いをし、今までに1通も異論メールは来ていなかった。
つまり、合意ができている、と思われていた。
ところが、「予選」に出場しなかったITCの指導教員がいきなりこう言いだした。
「私は、平松さんから◯◯と言うCPUを使ってもいいと聞いていた。
だからうちの学生はみんな◯◯を使っている。
今、他の大学の先生に聞いたら、◯◯は使ってはいけないと聞いていたから使っていないと言う。
どっちなんだ?」
■予選不参加校の“後出しジャンケン”的主張の連続で紛糾
●騒然となったルール確認会議(写真撮影: Tann Sokly)
へえ?
技術分野のサポートをした平松さんは、ご家族の都合で昨日から日本に一時帰国されている。
だから、平松さんが個別にどういう話をしたのかは全然分からない。
それに、CPUの話をされても、理科系オンチの私にはちんぷんかんぷんなのだ。
他大学の先生たちも騒然となった。
しかし、いくら騒がれても、私に分からないことは、私には決められない。
どうしようか? と思案していたら、隣にいたジョッキーさんが私にそっと耳打ちした。
「ルールブックに書いてないことは自分たちで決めさせればいい。
ルールというのは、そもそも『こういうことはしてはいけない』ということを書くものなんだ。
だから書いてないということは、してもいいってこと」
なるほど~! さすがジョッキーさんなのだ。
そこで私は、
「あのねえ、平松さんが何と言ったのか、今はいないんだから私にも分からないのです。
だからね、ルールブックに書いてないってことは、いいってことなんじゃないの?
とにかく、ロボコンは私の大会じゃなくて、あなたたちの大会なんだから、自分たちで話し合って決めてください」
と言い放ち、しばらく放っておいた。
以前も紹介したが、ITCはカンボジアの東工大と呼ばれる存在だ。
だから非常にプライドが高い。
他の3校は労働訓練省の管轄であるが、ITCは教育省の管轄だ。
恐らくそういうエリート意識もあるのだろう。
とにかくコンテスト2日前になって彼らが主張することは、自分たちがこれまで作ってきたロボットで勝利できるようなルールや環境を何とか手に入れたい、という意識から発せられているように私には見えた。
侃々諤々の議論が続き、ようやく一番年長で穏やかなNTTI(国立技術訓練専門学校)の指導教員が、
「とにかく、今回は1回目なんだから、何でも経験と思ってやってみましょう。
次にどうするか決めればいいじゃないですか」
と言って、何とかまとめたようだった。
民主主義には時間と手間がかかるのである。
特に前回も書いたが、カンボジア人には「自分には関係がない」と思っているうちは何に対しても全く興味を示さない「自由放任個人主義」的傾向があるのだが、いったん自分に関係があると気づくと、徹底的に自分の意見にこだわるようなのだ。
しかも、コンテストは明後日なのである。
なんでこんな根本的な議論を今さらしなければいけないのだ、と半分うんざりして私は議論を眺めていた。
その後も「予選」に来なかったITCは、一つひとつ細かいことを確認した上で、それに反対する自分たちの意見を強く主張した。
■ついに堪忍袋の緒が・・・
議論が2時間を過ぎた頃、ルールのこともどうやら何とかまとまりそうだし、これで一安心、と思ったその時である。
またしても、ITCの指導教員が私に尋ねてきた。
「競技盤の高さはどのぐらいですか?」
え! 競技盤の高さ?
はあ、なるほど、ITCは予選に来なかったからね、分からないのも当然だよね。
ということで、高さ50センチぐらいであることを伝えた。
実は、競技盤の周りにはスポンサーになってくださった企業のロゴを配置するために、この高さになったのである。
ところが、ITCはこう言ったのだ。
「それじゃあ、ラインを外れたロボットは落ちて壊れちゃうじゃないか。
床の高さに今から直してくれ」
これにはさすがの私も呆れてしまい、思わずこう切り返してしまった。
「あなたは今がコンテストの2日前だということが分かっているのか?
今文句を言うのなら、なぜ予選の時に確認に来ない?
今からスポンサーのロゴをはずせというのは、企業に協賛金を返せということなのだ。
だったら大会は開けない。
今さらそんなことを言うのは遅すぎる」
いつもならば、一拍置いて、どう彼らに説明すれば分かってもらえるかを考える私であるが、さすがにこの時はかなり強い調子で反射的に言い返してしまったからだろう。
ジョッキーさんが私の手を握りしめて、こう言った。
●ジョッキーさんのおかげで何とか落ち着きを取り戻した私(写真撮影:Tann Sokly)
「ジュンコ、気持ちは分かるけど、落ち着いて、落ち着いて」
ジョッキーさんがいなかったら、私は決定的な一言をITCの教員に言っていたかもしれない。
特に、ITCが「予選」に参加しなかったことで、他の3校の負担が増えたにもかかわらず、3校の教員たちは本当によく働いてくれていたのが分かっていただけに、どうしてもITCの主張を黙って聞き入れるわけにはいかなかったのである。
結局、競技盤問題も何とか周りに2センチ程度の柵を作るということで全員の合意を得、長く手間のかかる最後の「民主的手続き」は終了した。
国営テレビ局副局長の“殿様”も、大学関係者もそうだが、カンボジア的主張は最後の最後にドカンとやって来る。
恐らく、MCOTのジョッキーさんの精神的な支えがなければ、私はこの「最後のドカン」に耐えられずに、爆発していたことだろう。
そうなったら、何カ月もかけて準備してきたすべてが水の泡になるところだった。
■コンテスト開始2時間前に発生した問題
ということで、いよいよ、というのか、ようやくというのか、ロボコン当日の3月29日がやって来た。
前日の夜、参加チームと学生の登録フォーム、審査員の採点表、さらにタイムキーパーがそれぞれのチームのタイムを書き込むスコアシートを、国営テレビ局の担当スタッフと確認、すべて必要部数プラス2部ずつコピーさせて、要所要所にスタンバイさせていた。スタジオには、5メートル×3メートルの大型LEDモニターも設置された。
●“殿様”肝いりのLEDモニターも設置された(筆者撮影)
担当スタッフは全員朝7時にはスタンバイ。
入賞者に渡す殿様こだわりのトロフィー、認定証、学生たちへのおみやげも運び込まれ、アシスタント役の女性スタッフたちは皆華やかに着飾り、メイクも入念に済ませていた。
あとは7時半からの参加学生たちの登録開始を待つばかりである。
と、その時、タイのトゥラキットバンディット大学のインストラクター、トンが私にこう言った。
「ジュンコ、タイムを書き込むスコアシートを見せてください」
私は、ワードで作ったスコアシート表をトンに見せる。すると・・・、
「ジュンコ、これでは間に合いません」
えっ、間に合わない? どういうことなのだ?
トンが言うには、スコアは紙に手書きで書き込むのではなく、パソコンに入力して、それによって順位がソートされなくては午前中の第1回目走行が終わった後、ランチタイムの短い時間では集計できない。
だからスコアシートはエクセルで作るべきだということなのである。
うーん、なるほど。
理屈は分かる。
しかし、私はとにかく番組の予算書以外でエクセルを使ったことなどないのである。
自分でエクセル表を作ることなどほとんどできない。
ましてや、ソートのやり方なんか全く分からない。
私だけではなく、国営テレビ局のスタッフだって誰一人としてそんなことができる人間はいない。
開会時間まであと1時間半・・・。どうする? どうなる? ロボコン当日。
』
『
JB Press 2014.04.21(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40446
日本発のロボコン、ついにカンボジアで開会接戦そして予想外の展開に大歓声
~カンボジアでロボコン!?(20)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下ロボコン)当日、3月29日。開会式まで1時間半に迫った朝7時半――。
●参加学生の登録が始まった。手前は登録の手伝いをしてくれた青年海外協力隊の山口裕代さん(筆者撮影)
続々と、参加学生たちがカンボジア国営テレビ局の第1スタジオにやって来た。
参加チーム数41、参加学生は84人。
スタジオ裏の「ピット」と呼ばれるロボットの調整を行う場所に自慢のロボットを大切そうに携えて集まり、テスト走行用の競技盤で皆、実に楽しそうに最終チェックを始めている。
お手伝いを自主的に申し出てくれた青年海外協力隊の5人も集合し、カンボジア国営テレビ局、タイのテレビ局MCOT、タイ・ロボコンのチャンピオンチームDPU(トゥラキットバンディット大学)のメンバーたち、そしてカンボジア国内の各参加大学、これら混成チームによるカンボジア初のロボコン、いよいよスタートである。
■タイのロボコンチャンピオン、開会式直前の大活躍
しかし・・・スタジオではまた新たな問題が起こっていた。
タイのロボコンチャンピオンチームのインストラクター、トンが、私が予め作成していたワードによるスコアシートでは集計が間に合わないから、エクセルでスコアシートを作り直した方がいいと言うのである。
スタジオには計3台のノート型PCがあったが、1台は各ロボットの走行スピードを計るための秒数カウント表示用に、そしてもう1台はその秒数と連動して各チームの順位が表示されるランキング表示用に既に準備へと入っていた。
残っているのは、私の日本語表示のノートパソコンしかない。
しかし、私はエクセルで複雑な表など作ったことがない。
どうしようか・・・と考えあぐねていると、トンはにっこり笑ってこう言った。
「ジュンコ、大丈夫。ぼくがあなたのPCで作りますから、日本語で指示が出たら、それを英語に訳してください」
早速トンは私のパソコンを使い、私が予め作っておいたワードの表からコピーして次々と数式を打ち込み始めた。
しかし、そもそも理系オンチの私に、数式に関わる日本語すら分かるはずもない。
「◯◯を参照」と表示される。
なんだろう、数学用語の参照って(そもそも数学用語なのかもわからない)。
「Reference?」とほぼ直訳でトンに伝える。
すると、トンは「ああ〜」と頷いて素早くキーボードを操作し入力。
すると表がぱっと切り替わる。成功だ!
何度か私のあやふやな翻訳と、トンの抜群のエクセル操作が繰り返され、何と十数分で、秒数を入力すると自動的にその時点での順位が表示されるスコアシートが完成した。
さらに、トンはこのエクセル表とランキング表示システムが連動できるようにそれぞれPCを微調整し、自らのパソコンも組み合わせてタイムキーパーたちに最も負担が少ないシステムを組み上げた。
とにかく、タイのロボコンチャンピオンであるDPUチームは、パーツ調達で大活躍したプイもそうだが、ロボコンに関するあらゆる知識とスキルを持っているのだ。
■イベント収録の鉄則をめぐる“殿様”との一悶着
ようやくスコアシートも完成して、私のPCは本来の役割のテストを始めることになった。
このPCには、コンテストの参加チームのための準備時間30秒のカウントダウンとそれに引き続く2分間の持ち時間を音声で表示する、いわば「効果音」が入っているのである。
これがないと各チームがコンテストの持ち時間を知ることができないし、何より会場がまったく盛り上がらない。
私は、カンボジア国営テレビ局副局長の通称“松平の殿様”に、この効果音操作専従のスタッフを付けてほしいとお願いしていたのだが、未だに担当者は決まっていなかった。
●スタジオ裏のピットで最終調整をする参加学生たち(撮影:清水千恵実、以下同)
毎回のレースの度に操作しなければならないのだから、何かをやりながらできる仕事ではない。
ところが、殿様はこう言ったのである。
「スタッフがいないからジュンコさん、やってください」
はあ?
殿様、それはいくらなんでも無理だ!
私は、常に全体を見ておかなければならない。
何かトラブルが起こった時に真っ先にそれを判断し、どう対処するか決めなければならないのは、殿様と私だ。
効果音操作も大切な仕事だが、私でなくてもできる。
そういう仕事は他のスタッフにやってもらってくれ、と私はいつにない強い調子で殿様に訴えた。
こういう大人数が動くイベント収録は、時間と判断の闘いである。
命令系統が乱れれば、大混乱が起こって収拾がつかなくなる。
だから、決断する人間は少ないほうがいいし、決断する人間は現場を離れてはいけない。
これはテレビ収録の際の鉄則である。
ところが、殿様たちはそういう場数を踏んでいないから目先のことに注意を奪われてしまい、それに対処しようとするあまり、すぐに現場を離れようとする。
事実、本番が終わるまでの間、次から次へと「あれはどうなってる?」「これはどうなっている?」と、テレビ局スタッフが入れ代わり立ち代わり私のところにやって来ていた。
私はそのたびに殿様の許可を取り、スタッフを動かして一つひとつ解決していった。
今となっては何が起こっていたのか記憶にないほど、あらゆるところで様々なトラブルが起ころうとしていたのである。
■画像が逆さま! スイッチャーのもとへ走る
さらにもう一つ気になっていたことがあった。
現場のカメラ、特に競技盤を俯瞰で撮影するクレーンカメラがひょこひょこと意味なく動いているのである。
見ている人間には不安定この上ない動きだ。
タイのテレビ局MCOTの心強い助っ人、ジョッキーさんもそれに気づいているようで、私のところにやって来た。
●クレーンカメラをチェックするジョッキーさん(右)
「ジュンコ、クレーンのカメラが良くないね。
固定させてしまった方がいい。
それと、天地が逆だ。
ほら、見てごらん」
と言って、モニターを指差す。
確かに!
他の段取りばかりで気づかなかったが、他のカメラとスイッチングすると、これだけ画像の天地が逆さまなので一瞬ロボットがどこにいるのかよく分からない。
さすがジョッキーさんである。
ということで、私とジョッキーさんは急いでスタジオのサブ(副調整室)に向かった。
そして、サブに座っているスイッチャー(スタジオの4台のカメラマンに指示を出し映像の切り替えを行う、撮影のみならず技術の責任者)に、ジョッキーさんが英語で説明する。
スイッチャーというのは、洋の東西を問わずプライドが高い。
日本でもディレクターの言うことを聞いてくれないベテランスイッチャーはたくさんいる。
しかも、この国営テレビ局のスイッチャーは、殿様よりも遥かに年上で古株の一人である。
果たしてタイからやって来た「他所者」のジョッキーさんの言うことを聞いてくれるのか?
ジョッキーさんはいつもの笑顔で、英語で丁寧に説明する。
そもそも、このスイッチャーが英語を理解するのかどうかも分からない。
無表情で聞いていたが、ジョッキーさんの言葉が終わると頷き、何やらクレーンカメラマンに指示を出している。
そして、ほどなくカメラの天地が入れ替わった。
やはり、ジョッキー・マジックだ!
■第1回戦の意外な展開に会場が沸く
こうして、あっという間に開会式の時間が迫ってきた。
不思議なことに、直前までバタバタしていても帳尻が合ってしまうのがカンボジアである。
スポンサーやドナーとなってこのロボコンを支えてくださった日系企業や個人の皆さん、政府要人、大学関係者、日本大使館、JICA(国際協力機構)、そして審査員などが集合し、予定通り9時に開会式が始まった。
とにかく、開会式と閉会式はコンテスト本体よりも大事なカンボジアの儀式である。
これをつつがなく終えること、それこそが殿様にとっての第一関門なのだ。
●参加大学の代表が集まっての開会式
まずは、各出場大学の代表者6名ずつが登壇しての出場チーム紹介、それに引き続き来賓の皆さんの紹介、国営テレビ局局長の挨拶、そして国営テレビ局の上部組織である情報省長官の挨拶もほぼ時間通りに終了。
スピーチライターとして2人のお偉いさんのスピーチの草稿を書いた殿様は満足そうだ。
そしてほぼ定刻の9時半、
最初の参加チームの登場とともに、
カンボジア初のロボコンがスタートした!
出場チームは4大学から全部で40チーム、それに個人参加の1チームを加え、参加学生総勢84人が作ったロボットが、縦2.4メートル、横3.6メートルの盤の上に描かれた白い曲線の上を走り、その走行時間を競うライントレースと言う最も単純なレースである。
1チームに与えられた時間は準備に30秒、走行限度時間が2分。
2分以内であれば、ラインからはずれたり、途中でストップしてしまっても、スタートラインから何度でもトライできる。
そして最も早くゴールに辿り着いたチームが、午前1回、午後1回、合計2回のレースの合計タイムでの優勝者となる。
1回戦のレース前半、全部で14チームという最多数のチームを出場させ、優勝候補と目されていたITC(カンボジア工科大学)のあるチームが1分を切る45秒のタイムでゴール。
そこに、ITCの対抗馬と見られていたNPIC(カンボジア国立工科専門学校)のあるチームが42秒を叩き出す。
ここからレースは一気に40秒台の争いとなり、数チームが40秒台前半で並ぶ接戦となり、会場を沸かせる。
ところが1回戦の中盤過ぎに登場したNPICのあるチームがぶっちぎりの27秒でゴール!
見た目にも明らかに違うスピード感で、一気に優勝候補へと躍り出たのだ。
■カンボジア人は負けると分かると帰ってしまう?
●カンボジアの若手カメラマンに撮影指導をするタイMCOTのカメラマン(右)
各大学からの参加学生、サポーター、来賓も、予想もしなかった展開にスタジオは興奮と熱狂に包まれた。
私自身も年甲斐もなく何度も歓声を上げてしまったほどだ。
こうして、1回戦は予想もしなかったスピードレースとなり、昼食休憩を迎えた。
しかし、私には一つ気がかりがあった。
当初、ロボコン開催を進めるにあたって、殿様をはじめとするカンボジア人が一番心配していたのは、
「カンボジア人は勝負事となると真剣になってしまうので、負けると分かった瞬間に出るのをやめてしまったり、途中で帰ってしまったり、ふてくされたりする」とか「負けたら、嫌がってインタビューに答えようとしない」
といったネガティブなことだった。
本当にそうなのかな?
そうだとしたら、コンテストは優等生ばかりの戦いになってしまって面白くないな、と私は思っていた。
ジョッキーさんも、
「ロボコンは、勝った学生が主役ではなくて、負けても、また次回チャレンジしたいと思わせるもの。
負けた学生こそ主役なのだ」
と言い続けていた。
1回戦が終了した時点で、参加したチームのうちほぼ半分が制限時間内に完走できていない。
1回戦が終了し、ランチタイムを挟んだら最後、負けた学生の大半は帰ってしまうに違いないと言っていた殿様の言葉が頭をかすめる。
うかつにも、登録担当のスタッフには2回戦のチーム数のチェックまで指示していない。
参加チームの数が変われば、混乱は避けられないし、何よりここまで盛り上がってきた大会の雰囲気が台無しである。
果たして、2回戦が始まるまでに何組のチームが残ってくれているだろうか・・・。
レース再開まであと1時間――。
』
<続きは下記で>
【ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その5 終わり(21)】
*本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。
金廣 純子 Junko Kanehiro
慶 應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フ リー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS 「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にて Globalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作ア ドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケー ションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。
2014年2月17日月曜日
ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その3 (11)~(15)
_
●こんなパーツがカンボジアでは揃わない(写真提供:筆者、以下同)
『
JB Press 2014.02.17(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39934
ロボコンのパーツ調達、タイへのSOSは繋がるか遂に八方ふさがり。
でも可能性を棄ててはいけない
~カンボジアでロボコン!?(11)
カンボジアの第1回大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)の開催予定日は3月29日。
しかし、参加学生たちが使用するパーツが到着する気配が全くない。
もう別の手立てを考えないと間に合わないということで、ロボコン開催のためにいろいろ力を貸してくれているタイのテレビ局MCOTに協力を仰ぎ、タイでパーツを調達しようと考えた。
しかし、どうもタイは日本よりも遠いようだ。
というのは、昨年から始まったタイの反政府デモは、総選挙に向けてますます激化。
そのため、私が所属するJICAでは、既に治安上の理由で公務による出張は見送りとなっていたが、遂に私費渡航も禁止となってしまったのだ。
■日程延期か決行か、緊急会議も行き詰まる
私費渡航の禁止が出るまさにその前日、私はMCOTのジョッキーさんに、SOSのメールを送っていた。
「日本から参加者用のパーツが届かない。タイで調達できないか」
と。
そしてその翌日の午後、一緒にロボコンの運営をしている德田さんと平松さん、国営テレビ局の副局長でロボコンのチーフプロデューサーである”松平の殿様”、そして運営委員会で各大学を束ね、我々との橋渡し役をしてくれている日本語通訳であり事業家でもあるカンボジア人、サムナンさんが集まり、細かいコンテストまでの段取りを確認する会議を開く予定になっていた。
しかし、図らずも、これが緊急会議になってしまったのである。
この会議に先立ち、私は、平松さんと德田さんに、このままパーツの遅延が続いた場合、参加できるのかどうかを大学側に内々に打診してほしいとお願いしていた。
ところが、平松さんはこう言ったのだ。
「労働訓練省傘下のPPI(プレアコソマ総合工科専門学校)、NTTI(国立技術訓練専門学校)、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)の3校は、3月末から4月にかけて試験がある。
その試験勉強と学校側の準備は通常1カ月前から行われるため、パーツの到着が遅れたら、ロボット制作の指導をこれ以上続けるわけにはいかない。
このままだと開催予定の3月29日には参加できないと言っている。
先生たちは試験の準備があるから、タイでパーツが調達できたとしても取りに行っている暇はないと言っている」
え!? 単純に大会の1カ月前にパーツが揃っていればなんとかなるというわけではなかったの?
さすがの私も言葉を失ってしまった。
3校が参加できないとなると、日程延期を考えなければいけない。
しかし、このまま延期しますといって、寄付金や広告料を出してくださった企業や個人の方々にはどう説明するのだ?
「スポンサーや寄付してくれた人に対する責任があるから予定通り開催すべきだ」
「いや、参加大学の確保の方が大事だから延期するしかない」
それぞれの立場で意見が分かれた。
しかし、余りにも判断するには情報がなさすぎる。
私にも今は判断できない。
だけど、本当にこのまま決めていいのかという怒りに似た気持ちはあった。
■何度も綱渡りを経験したテレビ人の魂に火がついた
私が日本でやってきたテレビ制作の仕事は
「どんなことをしても締め切りを守る」
というものだった。
だから、1時間のドキュメンタリーを放送日までたった3週間とか、30分のドキュメンタリーを2週間で、といった発注でも、本当に綱渡りのようにスケジュールを組みながら寝ないで番組を仕上げてきた。
放送の5時間前に、著作権の関係で使用していた映像が使えないという連絡が突然来て、オンエアの数分前まで差し替え作業していたこともあったのだ。
釈然としないまま
「私が判断します。時間をください」
と言って、その日は散会ということにした。
それからずっと自分に問いかけた。
こんなことで延期していいのか?
ここはカンボジアだからって諦めていいのか?
もちろん、延期の決断も勇気のいることで、決して諦めた結果というわけではないだろう。
しかし、ならば私たちは可能性を模索したか?
自分たちができることを遮二無二探ってみたのか?
そんな努力もしないで決めるなんて、延期するにしても、決行するにしても、プロの仕事とは言えないのではないか?
だから・・・絶対に諦めない。諦めてはいけない。
そこで私は、ノートに確認事項を書き出した。
タイでパーツが調達できたとしたら、そこからカンボジアに到着するまでに最短で何日か。そもそもそういう運送会社はあるのか。
パーツを調達するお金をどうするか。
今集まっている寄付金からパーツを調達するとして、一体何組揃えられるか。
このまま決行するとしたら、労働訓練省傘下以外の大学やチームは参加できるのか。
この状態で決行する可能性はないのか。
延期するとして、いつならすべてのチームが参加可能なのか。
延期を考えるのは、これらが全部分かってからだ。
そう頭を整理すると、これらを一つひとつ潰していくことにした。
■ホコリまみれで駆けずり回り、眠れない夜を過ごしていると・・・
まず、平松さん、德田さんのお2人には、各大学に、いつまでにパーツが届けば予定通り参加できるのか、延期するとしたらいつがいいのかを急いで聞いてもらうことにした。
そして、バンコクで購入するパーツのリストを作ってもらうように平松さんにお願いした。
日本で調達するのとは、メーカー名もパーツの名前も違うからだ。
さらにカンボジアで事業をやっているサムナンさんにお願いして、最も早く届くと思われる運送会社を探してもらい、会社を訪ねて、直接話を聞いた。
そして、バンコクからプノンペンまで通関を含めて3日で届くという運送会社が見つかった。
MCOTにはすぐにこの状況をメールで報告して、こう書いた。
「予定通り2月中旬に私がそちらに行かないと前には進まないだろう。
それまでにパーツがバンコクで揃うかどうか可能性を探ってほしい。
できるなら、私が行った時にパーツを購入できるのが理想だ。
パーツリストはでき次第送る」
と。
さらに、私はJICAに頼み込んだ。
「とにかく、予定通りバンコクに行けないと恐らくパーツが間に合わない。
パーツが間に合わないとロボコンは延期せざるを得なくなる。
これだけ企業や個人に寄付金や広告料をいただいているのに、何もできないから延期しますとは言えません」
と。
何もかもが揃っている日本でなら、どうということもないのだが、これだけ確認するにも、いちいち出向いて面と向かってでないと確実なことは何一つないカンボジアだ。
電話やメールでは埒が明かないので、結局丸一日トゥクトゥク(三輪タクシー)で、乾季の熱風の中ホコリまみれになりながらプノンペンの端から端まで確認のため動きまわり、ようやくアパートにたどり着いたが、夜半になっても全く眠れない。すると・・・
ジョッキーさんからメールが入った。
「こちらのロボコンで入賞した学生たちは、どこでどんなパーツが売られているか知っている。
すぐに彼らを集めて手を打つから、パーツリストを送ってください。
そして、とにかくバンコクにいらっしゃい。
バンコクは選挙が終わって治安は安定している。
大丈夫とJICAに伝えてください」
と!
翌々日、ようやく平松さんが完成させてくださったパーツリストをMCOTに送り終え、各大学に連絡を取り、2月中旬から下旬の間にパーツが到着すれば現状通り参加が可能との確認が取れた。
JICAの安全基準からも渡航可能との判断が下り、私の案件は真に必要な業務とのことで、公務による予定通りのバンコク出張が認められた。
とにかく、何とか一歩だけ寄り戻した、という感じだ。
そしてバンコク出発前日。
ジョッキーさんからメールが入った。
「リストは見ました。
大方揃うとタイのロボコンのインストラクターたちも言っています。
なくても、同じ機能のパーツを一緒に探してくれますから心配なく。
明日は局のバンを用意します。
インストラクターがお店に一緒に行ってパーツ購入の手伝いをするように手配しました。
心配しないでいらっしゃい」
やはり、頼りになる男ジョッキーさんである。
そして希望は繋がった。
いざ、バンコクへ!
』
『
JB Press 2014.02.24(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39993
タイ人は走りながら考える?
日本人も舌を巻く学生たちの情報収集能力
時間勝負のパーツ購入に“ロボコン三銃士”が大活躍
~カンボジアでロボコン!?(12)
カンボジア初の大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)が、あと1カ月少々にまで迫ったところで、ようやく繋がったバンコクでの制作用パーツ調達への道。
出発前日、万一の場合に備え、出発便を朝一番の便に変更した。
パーツを調達するのはそんなに容易なはずがない。
一分一秒でも長くバンコクに滞在してパーツを探す時間を作ろうと思ったのだ。
すべての出発準備が前日に持ち越しとなり、結局深夜まで準備をしていたら、1時近くにジョッキーさんからメールが入った。
「このメールを出発までに読むかどうか分からないが、明朝は10時頃バンで迎えに行くから、ホテルに到着したら電話をください」
と。
ジョッキーさんもこんな深夜まで頑張っているのだ。
しかも、翌日金曜日はタイの祝日で土日を合わせれば3連休なのである。
その休みをつぶしても、我々のために嫌な顔一つせず働いてくれているジョッキーさんには、本当にいくら感謝しても足りないくらいだ。
3時間後、一睡もせずにそのまま空港に向かい、一路バンコクへ。
■いざ、合計1350個のパーツ購入へ
バンコク・スワナブーム空港からBTS(モノレール)に乗って市内に向かう。
窓越しに見る風景は、すでに乾季の後半を思わせ、空には厚い雲が垂れこめていた。
朝10時過ぎにホテルに到着すると、約束通り、ジョッキーさんはアシスタントの女性ニンさんを伴ってホテルにやって来た。
12月のMCOTでの打ち合わせ以来、2カ月ぶりの再会である。
2人とも変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。
そして、用意されたMCOTのバンに乗り込むと、そこで待っていたのは、タイ・ロボコンの入賞チーム。
いかにもリーダー然としたしっかり者のプイ、メガネをかけて知的な感じのチャック、そしてちょっと太めでおちゃめなバードの3人組の男子学生たちだ。ニコニコしてとても感じが良い3人に、私は密かに「ロボコン三銃士」と名づけた。
●ロボコン三銃士の面々。左からチャック、プイ、バード(写真提供:筆者、以下同)
そして、英語が話せない3人に代わって、ジョッキーさんが説明する。
「今日は祝日なので、市内のパーツを売っている大きな店が休みです。
だからちょっと郊外のお店を何軒か回れば揃うと彼らは言っていますよ」
と、私が送ったパーツリストを見せた。
そこには、それぞれの項目にタイ語で店の名前らしきものが新たに記入されていた。
約束通り、ちゃんと下調べをしてくれていたのだ。
街の中心から郊外に出るのに、バンコク名物の渋滞にはまり車は遅々として進まない。
その間私は自分のiPadで、カンボジア・ロボコン参加大学が既に作り始めているロボットや作業の様子を見せた。
皆とても興味を持った様子だった。
特にジョッキーさんは、「ここまでもう作業しているのか」と感慨深そうだった。
しかし、このiPadの写真が後に功を奏するとは、この時私は予想もしていなかったのである。
ようやく2時間近くを経て到着したのは、秋葉原によくある大きな家電デパートのようなビル。
そこに入りエスカレーターを上ると、大きなフロア全体がすべて「パーツ」売り場になっている。
早速、パーツ購入開始といきたいところだが、その前に私にはやることがある。
パーツリストには、前回、参加大学の指導用にインターネットで注文したときの単価を入れておいた。
45項目にわたるパーツ30組の合計総額3000ドルが、私たちが今出せるギリギリの予算だ。
だからもし予想よりも一つひとつの単価が高いとなると、購入するパーツのセット数を減らさなければならないのだ。
すると・・・何と、最初の3~4品は我々の予想金額をはるかに下回っている。
すべてのパーツの値段をチェックしたわけではないので確定的なことは言えないが、恐らくこれならば30組購入しても問題ないだろう。
■ロボコン三銃士の驚くべきフォーメーションプレー
ということで、パーツ購入の開始である。
購入しなければならないパーツは全部で45種類。
しかも、こちらが希望する30組ずつ揃っていなければならない。
1つの店で数が揃わなければ、次の店に行かなければならないのである。
まさに、ここからは時間との勝負になる。
●店でパーツを探すジョッキーさんとバード
すると、ロボコン三銃士の3人が別々に行動を開始した。
リーダーのプイはジョッキーさんと行動を共にし、ジョッキーさんの指示でパーツを購入。
太めのバードは私と共にパーツを購入、ニンさんがバードと私の間の通訳だ。
そしてチャックは、この2組とは別に先遣隊として次の売り場を歩きまわり、どこにどんなパーツがあるかを確認して、プイとバードの組を次の売り場、次の売り場へとリードしていくのである。
見事なフォーメーション!
さすが、タイ・ロボコンの入賞チームである。
そのチームワークによって、予想以上のスピードでパーツを購入していく。
しかし、同じ名前で似たような形状にもかかわらず、わずかな違いがあるパーツは、さすがの三銃士も分からない。すると・・・
「ジュンコ、iPad」
とプイが言う。
●スマートフォンを駆使して街角でパーツ情報を集める3人
そうなのだ。
先ほどiPadで見せた、指導用ロボットの写真を彼らは覚えていたのである。
そしてそれを拡大して、一つひとつのパーツを確認していく。
それでも分からないとなると、自らのスマートフォンでパーツを検索して、形状を写真のものと比較し、確実に同じ形のものを選んでゆく。
彼らの情報収集能力は驚くべきものだった。
さらに、パーツリストに書いてある名前だけでは不明だったパーツは、急遽日本にいる平松さん宛に写真を送り、スカイプで確認して無事に購入。
まずは1軒目の店で15種類あまりのパーツをゲット!
次は近くの中華街に行くと言う。
渋滞を避けるために、徒歩で15分ほど移動し近くの中華街へ。
そこは恐らく横浜の中華街よりも2~3倍は広そうな場所。
店幅1間程度の狭い長屋風パーツ店がびっしりと軒を連ね、狭い路地の間にもこれでもかとパーツをぎっしりと積んだ屋台が無秩序に立ち並ぶ。
その間を無数の客たちが、肩をぶつけ合いながら足早に通り過ぎる。
既にチャックは先遣隊として、当たりをつけた店にパーツがあるかどうかを確認に出ている。
プイとバードは、スマートフォンでチャックと連絡を取りながら、急ぎ足で我々を先導。
迷路のような中華街を、またまたスマートフォンと見事なチームワークで手際よく回り、2時間近くで次々とパーツを購入。
気づくと午後3時半を過ぎていて、屋台で遅めの昼食を取りながら、リストを確認してみると・・・なんと、残りはあと1つである。
「ジョッキーさん、あと1つですよ!」
と私がびっくりして言うと、ジョッキーさんはいつもの笑みを浮かべて言う。
「ええ、あと1つです」
驚いた。実質の買い物時間はたったの3時間半。
しかし、ジョッキーさんが言うには、
「店は5時まで、だから時間はないのです。
次の店はちょっと遠いからすぐに出ましょう」
とのこと。
ということで、旺盛な食欲の三銃士たちは、大盛り2皿ずつの美味しい屋台メシを平らげ、残り1つのパーツを購入するため、中華街を後にして最後の店へ。
■「数が足りない!」最後のパーツ購入で黄信号点灯
渋滞による時間のロスを避けるために、ここからはバンではなく、トゥクトゥク(三輪タクシー)2台に分乗しての移動となった。
さながら、バンコクの熱風にさらされながらのエキサイティングなお買い物ゲーム。
制限時間まではあとわずかだ。
トゥクトゥクでも渋滞にはまりながら、ようやく最後の店に辿り着いたのは午後4時45分。
ここですべてが揃うのである!
ところが、三銃士たちが店の人となにやら話していたかと思うと、ふいにチャックが店を飛び出してゆく。
何があったのかとジョッキーさんに聞くと、ジョッキーさんはこう言った。
「ここには17個しかパーツがないんだそうです」
えっ、最後の最後に来て、数が足りない?
焦る私にジョッキーさんが言う。
「大丈夫。今チャックがこのパーツがある店を探しているから」
プイとバードはまたまたスマートフォンで検索を始めていた。
すでに時計は5時を過ぎている。
ここで揃わなかったら、この店に仕入れが入ってから、ジョッキーさんたちに送ってもらうしかないな・・・と思ったその時である。
チャックが走って戻ってきた。そして何やらジョッキーさんに耳打ちすると、ジョッキーさんは、私にこう言い残して走り去った。
「ちょっとここで待っててください。私が先に行ってきます」
何があったのだろうか?
言葉も地理も分からない私には、待つことしかできない。
そして待つこと10分。
めずらしくジョッキーさんは走って戻ってきた。
「ありました。行きましょう!」
我々全員も次の店に駆け足で向かう。
またまた迷路のような路地を通りぬけ、辿り着いた店で、何やら店の人と話したジョッキーさんは私にこう言った。
「ここにあった15個のパーツを別の人が買おうとしていたのです。
それをチャックが見つけて、そのお客に交渉して、我々に譲ってもらうことにしたんですよ」
と。
●ミッション完了。最高のチームワークを誇るタイ・ロボコンチームとMCOTの2人
何と! チャックの機転で最大の危機を免れたのだ。
ふと時計を見ると5時15分。
私がタイに到着してからたった10時間で45種類×30組のパーツが揃ったのだ。
そして、もう1つの心配の種であったバンコクからプノンペンへの輸送だが、気づいてみればパーツの総重量は15キロ程度。
これなら私のスーツケースで運べるほどの容量である。
間に合った、間に合ったのだ!
一度は無理と諦めかけたパーツが今、私の手にある。
ロボコン三銃士のスマートフォンを駆使した情報収集能力とチームワーク、そしてニンさんのコーディネイト力、何より、ジョッキーさんがこの三銃士を選んだ眼力、完璧な準備とそして判断が、この作戦を成功へと導いたのだ。
すべてが終わって、ジョッキーさんは言ってくれた。
「これで、私たちはチームですよ」
と。
涙が出るほど嬉しい言葉だった。
カンボジアでロボコンをやろうと思って、タイの人々にまで心の通う仕事をしてもらった。
昨日から一睡もしていないけれど、その充実感と感謝の気持ちで疲労を感じることもない。
ジョッキーさんはじめロボコン三銃士との再会を誓い、翌日、パーツとともに私はプノンペンへと戻ってきた。
さあ、カンボジア・ロボコン本番まで残すところあと1カ月ちょっと。
ようやくスタートラインである。ここからが本当の勝負になるのだ。
』
『
JB Press 2014.03.03(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40054
また一つ日本発の文化がアジアの若者に伝わった!
試作ロボットの公開デモでわかったこと
~カンボジアでロボコン!?(13)
第1回カンボジア大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)まであと1カ月。
参加者のための制作用パーツもタイで調達に成功し、無事参加者たちに配られた。
後は、参加学生たちがロボットを作り上げるのを待つばかりである。
■人気の文化交流イベントで試作機をお披露目することになったが・・・
ところで、ここプノンペンでは2011年の震災以来、「日本・カンボジア絆フェスティバル」という日本大使館とCJCC(カンボジア日本人材開発センター)共催の大きなイベントが、震災翌年の2月から毎年行われている。
日本とカンボジアの文化交流を目的としていて、カンボジアと日本のアーティストが競演するポップコンサートやクラシックコンサート、コスプレショー、日本の武道などの紹介から、プノンペンで活躍する日本人シェフによる料理対決ショーなど、様々なイベントが4日間にわたって行われ、昨年はなんと入場者が8000人を超えたのだという。
娯楽の少ないカンボジアでは、このイベントを心待ちにしている人も多いと聞く。
その「日本・カンボジア絆フェスティバル」に各参加大学から代表チームを出してもらい、ロボコンのデモンストレーションを行うことになった。
とにかく、ここカンボジアでロボコンを知っている人はほとんどいない。
だからまずは「ロボコンとは何か」を知ってもらい、興味を持ってもらうには、目の前で動いているロボットを見せることが一番の早道だと思ったのだ。
大会の運営を行うことも、もちろん大事だが、その大会を盛り上げ、大会を放送する番組をより多くの人に見てもらうことも、プロデューサーとしての大きな役割だ。
だから先週はパーツの調達にタイに行ったが、今週は広報のための「日本・カンボジア絆フェスティバル」参加の準備なのである。
まあ、プロデューサーというのは、名前はカッコイイけれど、企画からお金を集めるための営業、カネ勘定、スタッフ編成、スケジューリング、広報、制作・・・そして今回はパーツ集めと運び屋も・・・と、要するに1つのイベントを成立させ、それを成功させるための「何でも屋」なんである。
ということで、デモをやるにあたって、不安なことは2つあった。
パーツの到着が大幅に遅れていたので、曲がりなりにも動くロボットが1つでも2つでも完成しているのかどうか、ということ。
そして、もう1つは、たとえ参加校からのロボットが揃ったとしても、それは単純な「ライン・フォロワー」のロボットである。
黒い競技盤の上に描かれた白い曲線をロボットがセンサーで感知してただただ走っているだけのものだ。
特に今回のデモはその速さを競うわけではなく、ただ制作途中のロボットを走らせて見せるだけ。
そんなものがお客さんにとって面白いのか、ということ。
●少しずつ形が異なる各参加大学のロボット(写真提供:筆者、以下特記のないものは同様)
とりあえず、1つ目の不安はタイから戻ってきて、運営チームの平松さん、德田さんの尽力ですぐに確認が取れ、出場大学4校から計10チームの参加が得られた。
しかし、2つ目がどうにも不安である。
それで、いろいろ考えた挙句、私はNHKに連絡を取った。
私たちカンボジア・ロボコンが最終的に目指す、アジア太平洋放送連盟(以下ABU)主催のアジア各国の代表が競うロボコンとは一体どんなものなのか。
映像で紹介すれば、参加学生もお客さんもロボコンに興味を持ってくれるのでは、と考えたのだ。
著作権の問題や、カンボジアが正式にABUロボコンに参加していないなどの理由があるにもかかわらず、NHKの担当者の尽力により、特別に今回のデモ時のみ映像の使用が認められた。
そこで私は、既に参加校のうちロボット作りの過程を取材させてもらったITC(カンボジア工科大学)とNTTI(国立技術訓練専門学校)の映像を加えたカンボジア・ロボコンのビデオを、NHKから許可を取った映像につなげて、当日、デモの前に見てもらうことにした。
しかし、もっと不安だったのは、そもそも当日お客さんがロボコンのブースに来てくれるかどうかだった。
ロボコンブースは他のブースから離れた場所で、しかも唯一2階の部屋だったからだ。
■満員御礼、観客の熱気に沸く会場
「日本・カンボジア絆フェスティバル」当日──。
デモが始まる30分前から部屋に用意した客席はあっという間に埋まってしまい、既に立ち見が出るほどだった。
席を埋めていたのは半分が参加学生とその友達、残りはカンボジア在住の日本人と一般の若いカンボジア人が半々だった。
●会場には大勢の観客が詰めかけた
お手伝いに来てくれた海外青年協力隊がお客さんを呼び込んでくれた成果であろう。
恐らく開始時間には100人近く観客が集まったようだった。
そして、クメール語が堪能な海外青年協力隊の浅水くんと、英語が堪能な山口さんの進行で、デモはスタート。
まず、ABUロボコンのハイライトビデオを上映。
皆食い入るようにスクリーンを見つめていた。
各国の代表チームが思わぬ失敗をしてしまうシーンでは溜息が漏れたり、笑い声が起こったりする。
本当にABUの会場で見ているかのような反応だった。
そして・・・
ABUロボコンのハイライトの後に、私はこんなテロップを入れておいた。
「カンボジアはなんで参加してないの?」
「さあ、カンボジア・ロボコンをスタートさせて、カンボジアの代表をABUに送り込もう!」
すると・・・
会場中から熱狂的な大拍手が巻き起こった!
続くITCとNTTIでのロボット制作過程の映像では、またまた拍手が続く。
これまでずっと映像を制作して視聴者に提供してきた私としては、こんな熱狂的な反応は嬉しい限りだ。
まずは、ロボットのデモ前に観客はじめ参加学生の興味を掻き立て、彼らの気持ちは掴めたようだ。
●ロボットの動きを真剣に見つめる観客たち
そして、いよいよ各参加大学の代表チームが作ったロボットのデモンストレーションのスタートである。
2.4メートル×1.2メートルの練習用ライン・フォロワー競技盤の周りの、より近い場所でロボットを見てもらいたいと德田さんが観客を促すと、皆我先にと競技盤に走り寄ってきた。
観客の数は開始当初より増えているように見える。
まずはPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)のロボットがスタート。
2台のロボットがただ競技盤の白いラインに沿って走っているだけなのだが、観客や学生はスマートフォンで写真や動画を撮ったりし、飽きずに眺めている。
好奇心に満ちた視線が注がれて、部屋中ものすごい熱気だ。
盤から遠い観客たちは椅子の上に立ち上がりのぞいている。
■ロボコンがカンボジアにもたらすもの
続く、NTTI、ITC、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)のデモンストレーション。
同じパーツで作ったはずなのに、形状も違えば、走り方もそれぞれだ。
走行が早いチームもあるが、正確性に欠けている。
速さに劣っても、確実にラインをフォローして、ゴールへはむしろ早く着くロボットもある。
なるほど・・・。これは面白い!
変な話だが、私自身ロボコンのプロデュースに駆けずり回ってきたが、それはロボコンそのものが持っている面白さを確認していく過程でもあった。
参加大学で学生たちがロボットの指導を受けている様子を見ては、学生たちと同じようにモノづくりの楽しさを目の当たりにして、私自身が楽しみ、そしてロボットが盤上を動けば、一緒にワクワクした。
恐らく、私が感じてきたのと同じことを学生も、観客も今感じているのだろう。
学生たちは生き生きとし、観客も実に楽しそうだった。
それぞれの参加学生たちはお互いに情報を交換しているのか、いろいろロボットについて話をしている。
すると、このロボコンをずっと応援してきてくださったプノンペン在住の日本人の方からこんな言葉をいただいた。
「カンボジアの学生がこんなに楽しそうに1つのことに集中しているのを初めて見ました。
これはスゴイですよ」
と。
●学生同士でロボットについての情報交換も始まった(撮影:青木有紀子)
そうなのだ。私たちは待っていた。
カンボジアの若者たちがこんなふうにキラキラと好奇心に満ちた目で何かを見つめ、楽しそうに、そして熱心に何かを語り合う姿を。
この時、もっともっとこのロボコンは面白くなる、と私は確信した。
今、目の前で各参加大学のロボットが示しているのは、それぞれの大学やチームの個性だ。
同じパーツなのに、ロボットの動かし方の細部や、制御の仕方のアプローチが少しずつ違う。
それによって、目の前のロボットがまるで生き物のように、個性を持っている。
個性──。
そう個性こそ、カンボジアの人たちがこれから自分たちの手で得ていくもの。
それはカンボジア人たち自身で作り上げていくもの。
誰かから指示されてその手本通りに作るのではなくて、自分たちで「考えて」「悩んで」作り上げていく、自分たちだけのもの。
その先にこそ、自分たちに対する「自信」が生まれてくるのだ。
ガンバレ!
ロボットたち。
ガンバレ!
カンボジアの学生たち。
と、カンボジアの学生たちのやる気に心打たれたのも束の間、このデモが終わるとすぐに、タイの公共放送局MCOTのジョッキーさんたちが、第1弾のロボコンの運営指導にやって来る。
ジョッキーさんからは前回のパーツ調達以来全く連絡がない。
ジョッキーさんたちが何をどうするつもりなのか分からない・・・。
うーん、まだまだロボコンへの波乱の道は続くのである。
』
『
JB Press 2014.03.10(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40104
カンボジアとタイの心の壁を消したロボコンの精神アジア・ロボコンの先達が伝えたこと
~カンボジアでロボコン!?(14)
第1回大学対抗カンボジアロボットコンテスト(以下、ロボコン)まで、残すところ1カ月余りに迫った2月24日の朝。
私は、アシスタントのラシーを伴って、プノンペン国際空港に向かった。
そう、あのタイの放送局MCOTのジョッキーさんとニンさんがここ、プノンペンにやって来るのである!
カンボジアの関係者の中でロボコンを知っているのは、国営テレビ局の副局長である“松平の殿様”だけと言っていい。
しかし、“殿様”と私を含め誰もその制作・運営に携わったことがあるわけではないから、本当のところはどんなことが起こり得るのか、全く想像がつかない。
ジョッキーさんは、アジア太平洋放送連合(以下ABU)が主催するアジア地域のロボコンがスタートした2002年からもう10年以上、タイの国内大会と、ABUロボコンに携わっている。
だから、大会運営とテレビ番組の制作の仕方について、知り尽くしていると言っても過言ではない(ABUとABUロボコンについては連載第2回参照)。
今回の訪問で、これから先1カ月間でどのような準備をすればよいか、きっと私たちの気づかないいろいろなことをアドバイスしてくれるものと期待していた。
■タイとカンボジアが「近くて遠い国」である理由
ジョッキーさんたちを乗せた飛行機が到着して程なく、彼らは入国審査を終えて、到着出口からいつものにこやかな笑顔で登場。
バンコクでのロボット制作用パーツ調達以来、1週間ぶりの再会である。
空港からホテルに向かう道すがら興味深そうに町並みを見つめる2人。
聞けば、彼らがプノンペンにやって来るのは初めてなのだと言う。
バンコクからプノンペンは直線距離にして600キロ余り、東京−大阪間よりわずかに遠いぐらいだ。
それなのに、2国の間には目に見えない壁がある。
歴史的な問題もあり、カンボジアはASEAN諸国の中で、経済的に最も脆弱な国の1つだ。
一方のタイは、ASEAN諸国内の「大国」である。
さらにカンボジアとタイの間には国境紛争が絶えない時期が長くあった。
だから、カンボジアの人々が、タイの人々に100%友好的な感情を持っているわけではなさそうなのは、私も感じていた。
そうしたタイ人から、ロボコンの指導を受けることに対して、カンボジア人がどう感じるのかが、私にとっては少なからぬ懸念材料ではあった。
しかし、私が伴ったアシスタントのラシーは、2人と本当に楽しそうに会話している。
特に、ジョッキーさんは、初めて会った人の心を捉えてしまう、得も言われぬ親近感と安心感がある。
それは恐らく彼がテレビプロデューサーとして持っている資質と、本来の人間性の両方から来るものなのだろう。
私がパーツ調達の相談をしようと思ったのも、ハノイで初めて会い、その後バンコクで打ち合わせをした、たったそれだけだが、この人なら信頼できるという直感からだった。
■ ジョッキーさんの言葉で分かってきた「ロボコンの本質」
●カンボジア国営テレビ局(TVK)にやって来たジョッキーさんとニンさん(写真提供:筆者、以下特記のないものは同様)
まずは、我が国営テレビ局に向かう。
「番組」としてのロボコンをどう作り上げるかの基本的なミーティングを、“殿様”はじめ、ディレクターや番組のMC(司会)、スタッフたちとするためである。
最初に私が今回のカンボジア・ロボコンのルール、参加大学やチーム数などを簡単に説明、そして、ジョッキーさんにロボコンを番組として制作するにあたって大切なポイントを話してもらうことにした。
開口一番、ジョッキーさんはこう言った。
「皆さん、このロボコンの主役は誰でしょう。
ロボットですか?
ルールですか?
大学の先生たち?
それとも主催者?
政府関係のゲスト?
いいえ、主役は参加する学生たちです。
学生たちがこのロボコンという宇宙の中心にいるのです」
「しかも、勝った学生が主役じゃない。
負けた学生が主役です。
勝った学生には、当然ながら、みんなが賞賛を送ります。
だから、勝った学生に番組がフォーカスを当てる必要はありません。
番組は負けた学生にこそ注目するのです」
そう言って、MCのアナウンサーに向かってこう続けた。
「ですから、例えばあなたはそれぞれのマッチが終わった時に、勝った学生にインタビューする必要はありません。
負けた学生にマイクを向けましょう。
そして、彼らが負けたのは悔しい。
悔しいけれど、ロボットを作るのは楽しい。
そして来年も是非挑戦しようと思わせること、それが一番大事です」
なるほど・・・。これには、私も思わず頷いていた。
カンボジア人の一般的な傾向として、人前で恥をかくことを極端に嫌う。
だから、うまくやりたい、勝ちたい、という気持ちが強い。
だが、ロボコンは勝つことが目的ではなくて、楽しむことが大事なのだ、と私たちは彼らに言い続けてきた。
でも、彼らにはコンテストという勝負を「楽しむ」という感覚がなかなか理解できず、私たちの意図するところがうまく伝わらなかったのだ。
しかし、ジョッキーさんの言葉には長年大会の運営と番組作りで得てきた経験に基づく力強い説得力があった。
皆、真剣な表情でジョッキーさんの話に聞き入っていた。
●カンボジア・ロボコン会場となるTVKのスタジオを視察
さらに、ジョッキーさんが力説したのは、コンテストの内容を一回きりの勝負にせず、2回戦にし、しかもそれは勝ち抜き形式ではなく、全員に2度のチャンスを与えようということだった。
その理由は、
「学生たちは恐らく何日も寝ないでロボットを作ってくる。
その学生たちが一度の失敗で失格となったら、ロボコンに出場したことが単に悔しい思い出となってしまうから」
というものだった。
これは、私も目からウロコであった。
それまで私はコンテストの収録時間のことばかり考えていた。
時間のことから考えると30チームの出場で3時間の収録が限度だと考えていた。
だから一度きりの勝負しかできないと頭から決めていたのである。
学生たちの気持ちを考えていなかった・・・。
それは、私にとって大きな反省だった。
ジョッキーさんの言葉は、参加する学生たちに対する「愛」にあふれていた。
そして、それはロボコンそのものへの愛情だ。
そうなのだ。
こうした主催者側の深い愛情が参加する学生やロボコンを育て、タイをアジアのロボコン大会での常勝国へと引き上げてきたのである。
私はその時ようやくロボコンの本質が少し見えた気がした。
■不服そうだったカンボジア人教員の表情が大きく変わる
そして翌日。
ジョッキーさんたちを伴い、今度は参加大学の1つであるPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)に向かった。
PPIはじめ、NTTI(国立技術訓練専門学校)、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)、ITC(カンボジア工科大学)の4つの参加大学の指導教員たちが一堂に会して、我々を待ち受けていた。
●ロボコン参加大学の指導者との打ち合わせ(撮影:Kith Borasy)
冒頭に私がジョッキーさんとニンさんを紹介し、この2人と、さらにタイ・ロボコンの主催者である大学教授、入賞学生、そしてその指導教員が、3月29日のコンテスト前からコンテストにかけて来訪し、その準備と運営の指導をしてくれることになった、と説明した。
まず、ITCの指導教員がこう口火を切った。
「いや、もっと早く来てもらえないか。
大会の2週間前ぐらいに来て、どうか学生たちにロボットをどう作ればいいか教えてくれないか」
すると、ジョッキーさんは即座にこう答えた。
「いや、それはダメです」
いぶかしげな表情の面々に、ジョッキーさんはいつもの笑みを絶やさずにこう続けた。
「我々が大会に向けて指導したら、学生たちのアイデアをつぶすことになる」
それでもまだ不服そうな教員たちに、ジョッキーさんはこう言った。
「ロボコンで大事なのは、参加する学生たちが自分で考えて、自分で壁にぶちあたること。
どうしてもそれが解決できない時だけ、私たちは手を差し伸べればいいのです。
そして、その経験を学生同士で共有する、それがロボコンという場です。
ロボコンで勝利することが大事なのではなくて、そういう経験を共有することが一番大事なのです」
とジョッキーさんは言って、私の方を向いた。
「ジュンコ、どうだろう。
だったら、大会翌日の3月30日に、参加学生全員が参加するワークショップを開かないか?
そこで、参加した学生たちが自分たちのロボット制作の過程を共有して、より良いロボットを作るためのアドバイスをタイ・ロボコンの入賞学生がする、という場にするというのはどうだろう」
素晴しい提案だった!
●学生たちが作ったロボットを見入るジョッキーさん
つまり、コンテストに向けた努力がコンテストで終了するのではなく、次のコンテストにつなげるワークショップを開催する。
皆が「次」のために自分の経験を共有する場をコンテスト翌日に設定する。
これこそ、ロボコンとは何かを、理屈ではなく体感できる運営に他ならない。
指導教員たちも、ジョッキーさんの提案に全員が賛成した。
この頃から指導教員たちの表情がどんどん変わってきた。
恐らく彼らもロボコンとは何かということが理屈ではなく理解できたのだろう。
気づけば、これまでずっと受け身だった教員たちが積極的に自分たちの考えや意見を言い始めていた。
ジョッキーさんのマジックだ。
彼の参加学生に対する「愛」が、カンボジアの人々にも伝わったのである。
■ロボコンが結ぶカンボジア、タイ、そして日本
こうしてジョッキーさんとニンさんの1回目のカンボジア来訪は終了。
わずか3日間の短い滞在だったが、本当に大きく深いものを我々に残してくれた。
そして、その日の最終便で帰国の途に就くその時、ずっと私とともにアテンドしてくれていたアシスタントのラシーに、私は空港までの見送りは帰宅が遅くなるから帰っていいと告げた。
●TVKのオフィスで歓談するジョッキーさん(右)、ラシー(中)とニンさん(左)
彼女はジョッキーさんらの滞在期間中、担当している毎朝6時半からの生放送のニュース番組を終え、それからあれこれと手配をし、一緒にアテンドしてくれていた。
だから彼女には相当疲労がたまっていると想像できたが、そんなことを微塵も見せずに笑顔を絶やさずに行動を共にしてくれていたのだ。
しかし、いつも穏やかなラシーは、私の言葉に珍しく、こう言った。
「ジュンコ、いやです。
送りに行かせてください。
私は送りに行きたい!」
そして彼女はこう続けた。
「私はロボコンの担当になった当初、ロボコンが何か全然分からなかった。
今回こうしてお2人のアテンドをして、いろいろ話を聞いて、ロボコンの素晴らしさも分かったし、ロボコンをカンボジアで開けることを本当に楽しみにしている。
今回ご一緒できたことがとても嬉しい」
と。
カンボジア人とタイ人の間の見えない壁が、私の唯一の心配だった。
しかし、それも杞憂だったようだ。
3月の再会を約束して、ジョッキーさんとニンさんは機上の人となった。
さあ、いよいよ、カンボジア人とタイ人、そして日本人で作り上げる第1回カンボジア・ロボコン本番まであとひと月!
』
『
JB Press 2014.03.17(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40154
目指せ! 脱「誰かが決めてくれるのを待つ」習性
残り20日で垣間見えた小さな変化
~カンボジアでロボコン!?(15)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下「ロボコン」)まで、この原稿を書いている時点であと20日である。
あと20日・・・となって、ようやくバタバタと動き出した感がある。
特に、タイの公共放送局MCOTのジョッキーさんとニンさんとの打ち合わせ以降(前回参照)、ロボコン本番に向けて確実に前に進んでいる。
■進行台本、番組のセット・・・具体的に進み始めた準備
まず、我が国営テレビ局では、ロボコンまでにどんな美術(いわゆる、番組に必要なセット、大道具、小道具など)を揃えなければいけないか、明確に分かってきた。
例えば、会場となるスタジオ裏には、参加する学生たちのためのピットを設けなければならない。
ピットとは、学生たちがロボットの最後の調整をしたり、バッテリーをチャージしたりする場所だ。
そこに、参加チーム数分のテーブルと電源タップを用意しなければならないのだ。
●ロボコンに向け、国営テレビ局による学生たちへの取材も快調(写真提供:筆者、以下同)
ところが、ここカンボジアでは、そういう事務用のテーブルやデスクというのは、同じものがなかなか揃わない。
日本のように大きなホームセンターがあるわけでもなく、小さな商店の軒先に並ぶのは海外から輸入している既成品や中古品である。
だから、それを参加チーム分揃えるというのは結構大変なのだ。
事務用のテーブル一つ取ってもそうなのである。
とにかく、参加チーム分、いろいろなものを揃えようとすると、同じものが1つの店や業者ではなかなか揃わない。
そのため、国営テレビ局の副局長である“松平の殿様”はいろいろ試行錯誤しているらしく、そのたびに、
「ジュンコさん、この間揃えると言っていたテーブル、やっぱりダメでした。
こんな形なら恐らく全部揃うんですが、どうでしょう?」
と私に聞いてくる。
正直、ピットだからカメラで映すわけでなし、テーブルなんて全部同じものである必要はないと思っているので、何でもいいと思っているのだが、どうもそういうわけにはいかないらしいのだ。
「きちんと、体裁が整っていること」に、殿様はいつもこだわるのである。
さらに、私はジョッキーさんが残していってくれたロボコンの進行リストを基に、まず叩きの進行台本を作ってみた。
それを殿様がチェックし、開会式や閉会式をどうカンボジアの様式に従って変えていくかを検討。
さらに、政府要人は誰を呼ぶか、どのランクの人が来たら、どのように式典を整えるかなど、カンボジアにとっては大事な作業があるのである。
そのことを、幸いなことに殿様は一つひとつ細かく私に相談してくれる。
だから、私にも、日本人は気付かないがカンボジア人にとっては重要なこと、大切にすることが見えてくる。
つまり、ロボコンの骨組みを理解したカンボジアの人々が、ここからどうやって「カンボジア・ロボコン」にしていくか、ということが始まりつつあるのだ。
■縦割り社会のカンボジア、コンテストのルール作りは難題?
そして、「カンボジア・ロボコン」にするために最も重要なのは、コンテストのルールを決めることだ。
それは参加するそれぞれの大学が話し合って決める──コンテストの運営側である大学を束ねて指導している平松さんは、一貫して最初からそう主張していた。
そもそもアジア太平洋放送連合(以下ABU)が主催のアジアのロボコンでは、詳細なルールや使用するパーツなどが予め決められている。
しかし、今回のカンボジア・ロボコンは第1回目。
しかも、盤上の白い線をロボットのセンサーが感知して走り、その速さを競うライン・フォロワー・ロボットという極めてシンプルなもの。
だからこそ、彼らに自分たちのロボコンであるという意識を持ってもらうためには、ルールを自分たちで決めることが重要だと平松さんは考えていたのだ。
パーツも各校に配られ、「日本・カンボジア絆フェスティバル」でのデモンストレーションで練習盤での試走が終了し、MCOTから説明を受けてロボコンを理解した今なら、ルールについての話し合いができるはず、と各校の指導教員たちに再び集まってもらった。
●参加大学が集まってルール会議が行われた
極めてシンプルなライン・フォロワー・ロボットとはいえ、決めなければならないことは山ほどある。
例えば、ゴールは何をもってゴールとするのか、ゴールラインで止まらなければいけないのか、それともゴールラインを過ぎればよいのか。
速いロボットもいれば遅いロボットもいる。
その場合は、1台あたりの制限時間を設けるのか、設けるとすれば何分なのか、準備時間は何分に設定するのか。
途中でコースアウトしたロボットや止まってしまったロボットにやり直しは認めるのか、レフェリーはどうするのか、タイムキーパーはどうするのか。
各校の出場チーム数は最終的にいつ決めるのか、出場チーム数そのものに制限を設けるのか、などなど・・・。
各学校にすれば、既に学生を集めて自分たちのルール解釈でロボットを作り始めているのだ。
★.(最新の学生たちのロボット制作の模様はこちら)。
https://www.facebook.com/photo.php?v=724404837593130&set=vb.647052058661742&type=2&theater
だから、勝ちにこだわれば自分たちの解釈しているルールに決めてほしいと思うし、学生への愛情から今参加している学生たちは全員出場させたいと主張する。
参加大学間の利害関係だけではない。
ロボコンを「コンテスト」として運営する大学側と、「イベント」として運営する我が国営テレビ局との利害関係だって存在する。
やみくもに多くのチームを参加させても、我々としては時間も予定通りにならなくなるし、それだけのピットスペースを用意はできない。
そういう様々な利害の対立をどうやって乗り越えて、ロボコンを作り上げてゆくか。
実は、この作業がカンボジアでは意外と難しい。
以前にも紹介したが(「カンボジアってそういうところ」は迷路の入り口)、カンボジアの社会は日本以上に「縦割り」である。
たいがいの物事は、この縦割りの中で行われ、命令系統がはっきりとしている上意下達の世界である。
だから、一般のカンボジア人は「上からのお達し」を待つという傾向があると、私は思う。
一方で、今回のように縦割りを超えた「横」のつながりで、上意下達ではなく、コンセンサスを取りながら物事を進めていくという経験がほとんどない。
従って、主張することは主張するのだが、何となく「誰かが決めてくれるのを待っている」傾向があるように思う。
●着々とロボット作りを進める参加校の1つNPIC(カンボジア国立工科専門学校)
すると、平松さんは、彼らに1枚の紙を配った。
そこには、「作業分担表」が書かれていて、何をどの大学がリードして、責任を持って取りまとめるかが表に書かれていた。
「皆さん、これは皆さんのロボコンなんですから、私たちがこうしなさい、とは言いません。
だからそれぞれのリーダー校が取りまとめて、以上の項目を決めてください」
平松さんの言葉に、各大学の教員たちは「え?」という表情だった。
お互い顔を見合わせ、明らかに戸惑っている様子だった。
そして、しばしクメール語で話し合っている。
そこで、私は彼らにこう言った。
「決めるのは皆さんですが、当日までにテレビ局としてもやらなければいけないことがたくさんあります。
例えば、参加人数とチームが決まらないと、私たちは皆さんに配るゼッケンも作れない。
制限時間が決まらないと収録スケジュールも決まらないし、ゲストでやって来た政府の要人を大幅に待たせることにもなりかねない」
「つまり、ルールを決めることはコンテストだけではなく、全体の運営に関わってくるのです。
だからそれぞれの案件を決める締め切りだけ私が決めます。
その締め切りをリーダー校がきちんと守って取りまとめてください」
と言って、締切日を発表。
彼らもようやく納得の表情になった。
上意下達ではなく横のつながりで、物事を動かしてゆくには、参加する一人ひとりが全体を俯瞰できる能力が必要なのだ。
それを少しでも彼らが理解してくれたなら嬉しいと思いながら、その日の会議は終了した。
■カンボジア人の「やる気」が見えてきた
●コンテストと同じサイズの競技盤でロボットを走らせるNPICの学生たち
その翌日──。
MCOTのジョッキーさんが提案した、コンテスト翌日に開催するワークショップの場所がどうしても見つからない。
そもそも、このワークショップは「コンテスト」を運営する大学側のためのもので、「イベント」を運営している国営テレビ局のためのものではない。
だから国営テレビ局側が、例えば情報省内の会議室などを提供するというものでもない。
なるべく中立性のある場所を選ぼうとしているのだが、学生含め100人ほどの人間が収容できる場所が見つからない。
そこで、各大学にメールでこう呼びかけた。
「30日のワークショップの場所を提供してくれる大学はありませんか?
100人以上の人間を収容できるレクチャールームか会議室を朝から夕方まで使用させてもらうのは、日曜日ですし難しいでしょうが、もし提供してくれるのであれば大変嬉しいです」
と。
すると・・・
4校の参加大学のうち、3校の指導教員から「うちで用意ができる」と返事が来た。
ある大学からは、提供はできるけれどエアコンがついていない。
それでもよければ喜んで使ってほしいとのメールが、なんと夜半近くに届いた。
カンボジア人は働かないと言う人がいる。
かく言う私だってそう思ってはいる。
しかも彼ら大学の教員にとって、ロボコン参加は業務ではない。
それなのに、この時間にメールが来た。
それをどう解釈すればいいのだろう。
ロボコンが彼らのものになっているのだろうか?
そうであることを私は信じたい。
そして、彼らを信じながら一緒に走っていこう。
ロボコン本番まであと20日!
』
<続きは下記で>
【ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その4 (16)~(20)】
※本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。
金廣 純子 Junko Kanehiro
慶應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フリー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にてGlobalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作アドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケーションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。
●こんなパーツがカンボジアでは揃わない(写真提供:筆者、以下同)
『
JB Press 2014.02.17(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39934
ロボコンのパーツ調達、タイへのSOSは繋がるか遂に八方ふさがり。
でも可能性を棄ててはいけない
~カンボジアでロボコン!?(11)
カンボジアの第1回大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)の開催予定日は3月29日。
しかし、参加学生たちが使用するパーツが到着する気配が全くない。
もう別の手立てを考えないと間に合わないということで、ロボコン開催のためにいろいろ力を貸してくれているタイのテレビ局MCOTに協力を仰ぎ、タイでパーツを調達しようと考えた。
しかし、どうもタイは日本よりも遠いようだ。
というのは、昨年から始まったタイの反政府デモは、総選挙に向けてますます激化。
そのため、私が所属するJICAでは、既に治安上の理由で公務による出張は見送りとなっていたが、遂に私費渡航も禁止となってしまったのだ。
■日程延期か決行か、緊急会議も行き詰まる
私費渡航の禁止が出るまさにその前日、私はMCOTのジョッキーさんに、SOSのメールを送っていた。
「日本から参加者用のパーツが届かない。タイで調達できないか」
と。
そしてその翌日の午後、一緒にロボコンの運営をしている德田さんと平松さん、国営テレビ局の副局長でロボコンのチーフプロデューサーである”松平の殿様”、そして運営委員会で各大学を束ね、我々との橋渡し役をしてくれている日本語通訳であり事業家でもあるカンボジア人、サムナンさんが集まり、細かいコンテストまでの段取りを確認する会議を開く予定になっていた。
しかし、図らずも、これが緊急会議になってしまったのである。
この会議に先立ち、私は、平松さんと德田さんに、このままパーツの遅延が続いた場合、参加できるのかどうかを大学側に内々に打診してほしいとお願いしていた。
ところが、平松さんはこう言ったのだ。
「労働訓練省傘下のPPI(プレアコソマ総合工科専門学校)、NTTI(国立技術訓練専門学校)、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)の3校は、3月末から4月にかけて試験がある。
その試験勉強と学校側の準備は通常1カ月前から行われるため、パーツの到着が遅れたら、ロボット制作の指導をこれ以上続けるわけにはいかない。
このままだと開催予定の3月29日には参加できないと言っている。
先生たちは試験の準備があるから、タイでパーツが調達できたとしても取りに行っている暇はないと言っている」
え!? 単純に大会の1カ月前にパーツが揃っていればなんとかなるというわけではなかったの?
さすがの私も言葉を失ってしまった。
3校が参加できないとなると、日程延期を考えなければいけない。
しかし、このまま延期しますといって、寄付金や広告料を出してくださった企業や個人の方々にはどう説明するのだ?
「スポンサーや寄付してくれた人に対する責任があるから予定通り開催すべきだ」
「いや、参加大学の確保の方が大事だから延期するしかない」
それぞれの立場で意見が分かれた。
しかし、余りにも判断するには情報がなさすぎる。
私にも今は判断できない。
だけど、本当にこのまま決めていいのかという怒りに似た気持ちはあった。
■何度も綱渡りを経験したテレビ人の魂に火がついた
私が日本でやってきたテレビ制作の仕事は
「どんなことをしても締め切りを守る」
というものだった。
だから、1時間のドキュメンタリーを放送日までたった3週間とか、30分のドキュメンタリーを2週間で、といった発注でも、本当に綱渡りのようにスケジュールを組みながら寝ないで番組を仕上げてきた。
放送の5時間前に、著作権の関係で使用していた映像が使えないという連絡が突然来て、オンエアの数分前まで差し替え作業していたこともあったのだ。
釈然としないまま
「私が判断します。時間をください」
と言って、その日は散会ということにした。
それからずっと自分に問いかけた。
こんなことで延期していいのか?
ここはカンボジアだからって諦めていいのか?
もちろん、延期の決断も勇気のいることで、決して諦めた結果というわけではないだろう。
しかし、ならば私たちは可能性を模索したか?
自分たちができることを遮二無二探ってみたのか?
そんな努力もしないで決めるなんて、延期するにしても、決行するにしても、プロの仕事とは言えないのではないか?
だから・・・絶対に諦めない。諦めてはいけない。
そこで私は、ノートに確認事項を書き出した。
タイでパーツが調達できたとしたら、そこからカンボジアに到着するまでに最短で何日か。そもそもそういう運送会社はあるのか。
パーツを調達するお金をどうするか。
今集まっている寄付金からパーツを調達するとして、一体何組揃えられるか。
このまま決行するとしたら、労働訓練省傘下以外の大学やチームは参加できるのか。
この状態で決行する可能性はないのか。
延期するとして、いつならすべてのチームが参加可能なのか。
延期を考えるのは、これらが全部分かってからだ。
そう頭を整理すると、これらを一つひとつ潰していくことにした。
■ホコリまみれで駆けずり回り、眠れない夜を過ごしていると・・・
まず、平松さん、德田さんのお2人には、各大学に、いつまでにパーツが届けば予定通り参加できるのか、延期するとしたらいつがいいのかを急いで聞いてもらうことにした。
そして、バンコクで購入するパーツのリストを作ってもらうように平松さんにお願いした。
日本で調達するのとは、メーカー名もパーツの名前も違うからだ。
さらにカンボジアで事業をやっているサムナンさんにお願いして、最も早く届くと思われる運送会社を探してもらい、会社を訪ねて、直接話を聞いた。
そして、バンコクからプノンペンまで通関を含めて3日で届くという運送会社が見つかった。
MCOTにはすぐにこの状況をメールで報告して、こう書いた。
「予定通り2月中旬に私がそちらに行かないと前には進まないだろう。
それまでにパーツがバンコクで揃うかどうか可能性を探ってほしい。
できるなら、私が行った時にパーツを購入できるのが理想だ。
パーツリストはでき次第送る」
と。
さらに、私はJICAに頼み込んだ。
「とにかく、予定通りバンコクに行けないと恐らくパーツが間に合わない。
パーツが間に合わないとロボコンは延期せざるを得なくなる。
これだけ企業や個人に寄付金や広告料をいただいているのに、何もできないから延期しますとは言えません」
と。
何もかもが揃っている日本でなら、どうということもないのだが、これだけ確認するにも、いちいち出向いて面と向かってでないと確実なことは何一つないカンボジアだ。
電話やメールでは埒が明かないので、結局丸一日トゥクトゥク(三輪タクシー)で、乾季の熱風の中ホコリまみれになりながらプノンペンの端から端まで確認のため動きまわり、ようやくアパートにたどり着いたが、夜半になっても全く眠れない。すると・・・
ジョッキーさんからメールが入った。
「こちらのロボコンで入賞した学生たちは、どこでどんなパーツが売られているか知っている。
すぐに彼らを集めて手を打つから、パーツリストを送ってください。
そして、とにかくバンコクにいらっしゃい。
バンコクは選挙が終わって治安は安定している。
大丈夫とJICAに伝えてください」
と!
翌々日、ようやく平松さんが完成させてくださったパーツリストをMCOTに送り終え、各大学に連絡を取り、2月中旬から下旬の間にパーツが到着すれば現状通り参加が可能との確認が取れた。
JICAの安全基準からも渡航可能との判断が下り、私の案件は真に必要な業務とのことで、公務による予定通りのバンコク出張が認められた。
とにかく、何とか一歩だけ寄り戻した、という感じだ。
そしてバンコク出発前日。
ジョッキーさんからメールが入った。
「リストは見ました。
大方揃うとタイのロボコンのインストラクターたちも言っています。
なくても、同じ機能のパーツを一緒に探してくれますから心配なく。
明日は局のバンを用意します。
インストラクターがお店に一緒に行ってパーツ購入の手伝いをするように手配しました。
心配しないでいらっしゃい」
やはり、頼りになる男ジョッキーさんである。
そして希望は繋がった。
いざ、バンコクへ!
』
『
JB Press 2014.02.24(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39993
タイ人は走りながら考える?
日本人も舌を巻く学生たちの情報収集能力
時間勝負のパーツ購入に“ロボコン三銃士”が大活躍
~カンボジアでロボコン!?(12)
カンボジア初の大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)が、あと1カ月少々にまで迫ったところで、ようやく繋がったバンコクでの制作用パーツ調達への道。
出発前日、万一の場合に備え、出発便を朝一番の便に変更した。
パーツを調達するのはそんなに容易なはずがない。
一分一秒でも長くバンコクに滞在してパーツを探す時間を作ろうと思ったのだ。
すべての出発準備が前日に持ち越しとなり、結局深夜まで準備をしていたら、1時近くにジョッキーさんからメールが入った。
「このメールを出発までに読むかどうか分からないが、明朝は10時頃バンで迎えに行くから、ホテルに到着したら電話をください」
と。
ジョッキーさんもこんな深夜まで頑張っているのだ。
しかも、翌日金曜日はタイの祝日で土日を合わせれば3連休なのである。
その休みをつぶしても、我々のために嫌な顔一つせず働いてくれているジョッキーさんには、本当にいくら感謝しても足りないくらいだ。
3時間後、一睡もせずにそのまま空港に向かい、一路バンコクへ。
■いざ、合計1350個のパーツ購入へ
バンコク・スワナブーム空港からBTS(モノレール)に乗って市内に向かう。
窓越しに見る風景は、すでに乾季の後半を思わせ、空には厚い雲が垂れこめていた。
朝10時過ぎにホテルに到着すると、約束通り、ジョッキーさんはアシスタントの女性ニンさんを伴ってホテルにやって来た。
12月のMCOTでの打ち合わせ以来、2カ月ぶりの再会である。
2人とも変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。
そして、用意されたMCOTのバンに乗り込むと、そこで待っていたのは、タイ・ロボコンの入賞チーム。
いかにもリーダー然としたしっかり者のプイ、メガネをかけて知的な感じのチャック、そしてちょっと太めでおちゃめなバードの3人組の男子学生たちだ。ニコニコしてとても感じが良い3人に、私は密かに「ロボコン三銃士」と名づけた。
●ロボコン三銃士の面々。左からチャック、プイ、バード(写真提供:筆者、以下同)
そして、英語が話せない3人に代わって、ジョッキーさんが説明する。
「今日は祝日なので、市内のパーツを売っている大きな店が休みです。
だからちょっと郊外のお店を何軒か回れば揃うと彼らは言っていますよ」
と、私が送ったパーツリストを見せた。
そこには、それぞれの項目にタイ語で店の名前らしきものが新たに記入されていた。
約束通り、ちゃんと下調べをしてくれていたのだ。
街の中心から郊外に出るのに、バンコク名物の渋滞にはまり車は遅々として進まない。
その間私は自分のiPadで、カンボジア・ロボコン参加大学が既に作り始めているロボットや作業の様子を見せた。
皆とても興味を持った様子だった。
特にジョッキーさんは、「ここまでもう作業しているのか」と感慨深そうだった。
しかし、このiPadの写真が後に功を奏するとは、この時私は予想もしていなかったのである。
ようやく2時間近くを経て到着したのは、秋葉原によくある大きな家電デパートのようなビル。
そこに入りエスカレーターを上ると、大きなフロア全体がすべて「パーツ」売り場になっている。
早速、パーツ購入開始といきたいところだが、その前に私にはやることがある。
パーツリストには、前回、参加大学の指導用にインターネットで注文したときの単価を入れておいた。
45項目にわたるパーツ30組の合計総額3000ドルが、私たちが今出せるギリギリの予算だ。
だからもし予想よりも一つひとつの単価が高いとなると、購入するパーツのセット数を減らさなければならないのだ。
すると・・・何と、最初の3~4品は我々の予想金額をはるかに下回っている。
すべてのパーツの値段をチェックしたわけではないので確定的なことは言えないが、恐らくこれならば30組購入しても問題ないだろう。
■ロボコン三銃士の驚くべきフォーメーションプレー
ということで、パーツ購入の開始である。
購入しなければならないパーツは全部で45種類。
しかも、こちらが希望する30組ずつ揃っていなければならない。
1つの店で数が揃わなければ、次の店に行かなければならないのである。
まさに、ここからは時間との勝負になる。
●店でパーツを探すジョッキーさんとバード
すると、ロボコン三銃士の3人が別々に行動を開始した。
リーダーのプイはジョッキーさんと行動を共にし、ジョッキーさんの指示でパーツを購入。
太めのバードは私と共にパーツを購入、ニンさんがバードと私の間の通訳だ。
そしてチャックは、この2組とは別に先遣隊として次の売り場を歩きまわり、どこにどんなパーツがあるかを確認して、プイとバードの組を次の売り場、次の売り場へとリードしていくのである。
見事なフォーメーション!
さすが、タイ・ロボコンの入賞チームである。
そのチームワークによって、予想以上のスピードでパーツを購入していく。
しかし、同じ名前で似たような形状にもかかわらず、わずかな違いがあるパーツは、さすがの三銃士も分からない。すると・・・
「ジュンコ、iPad」
とプイが言う。
●スマートフォンを駆使して街角でパーツ情報を集める3人
そうなのだ。
先ほどiPadで見せた、指導用ロボットの写真を彼らは覚えていたのである。
そしてそれを拡大して、一つひとつのパーツを確認していく。
それでも分からないとなると、自らのスマートフォンでパーツを検索して、形状を写真のものと比較し、確実に同じ形のものを選んでゆく。
彼らの情報収集能力は驚くべきものだった。
さらに、パーツリストに書いてある名前だけでは不明だったパーツは、急遽日本にいる平松さん宛に写真を送り、スカイプで確認して無事に購入。
まずは1軒目の店で15種類あまりのパーツをゲット!
次は近くの中華街に行くと言う。
渋滞を避けるために、徒歩で15分ほど移動し近くの中華街へ。
そこは恐らく横浜の中華街よりも2~3倍は広そうな場所。
店幅1間程度の狭い長屋風パーツ店がびっしりと軒を連ね、狭い路地の間にもこれでもかとパーツをぎっしりと積んだ屋台が無秩序に立ち並ぶ。
その間を無数の客たちが、肩をぶつけ合いながら足早に通り過ぎる。
既にチャックは先遣隊として、当たりをつけた店にパーツがあるかどうかを確認に出ている。
プイとバードは、スマートフォンでチャックと連絡を取りながら、急ぎ足で我々を先導。
迷路のような中華街を、またまたスマートフォンと見事なチームワークで手際よく回り、2時間近くで次々とパーツを購入。
気づくと午後3時半を過ぎていて、屋台で遅めの昼食を取りながら、リストを確認してみると・・・なんと、残りはあと1つである。
「ジョッキーさん、あと1つですよ!」
と私がびっくりして言うと、ジョッキーさんはいつもの笑みを浮かべて言う。
「ええ、あと1つです」
驚いた。実質の買い物時間はたったの3時間半。
しかし、ジョッキーさんが言うには、
「店は5時まで、だから時間はないのです。
次の店はちょっと遠いからすぐに出ましょう」
とのこと。
ということで、旺盛な食欲の三銃士たちは、大盛り2皿ずつの美味しい屋台メシを平らげ、残り1つのパーツを購入するため、中華街を後にして最後の店へ。
■「数が足りない!」最後のパーツ購入で黄信号点灯
渋滞による時間のロスを避けるために、ここからはバンではなく、トゥクトゥク(三輪タクシー)2台に分乗しての移動となった。
さながら、バンコクの熱風にさらされながらのエキサイティングなお買い物ゲーム。
制限時間まではあとわずかだ。
トゥクトゥクでも渋滞にはまりながら、ようやく最後の店に辿り着いたのは午後4時45分。
ここですべてが揃うのである!
ところが、三銃士たちが店の人となにやら話していたかと思うと、ふいにチャックが店を飛び出してゆく。
何があったのかとジョッキーさんに聞くと、ジョッキーさんはこう言った。
「ここには17個しかパーツがないんだそうです」
えっ、最後の最後に来て、数が足りない?
焦る私にジョッキーさんが言う。
「大丈夫。今チャックがこのパーツがある店を探しているから」
プイとバードはまたまたスマートフォンで検索を始めていた。
すでに時計は5時を過ぎている。
ここで揃わなかったら、この店に仕入れが入ってから、ジョッキーさんたちに送ってもらうしかないな・・・と思ったその時である。
チャックが走って戻ってきた。そして何やらジョッキーさんに耳打ちすると、ジョッキーさんは、私にこう言い残して走り去った。
「ちょっとここで待っててください。私が先に行ってきます」
何があったのだろうか?
言葉も地理も分からない私には、待つことしかできない。
そして待つこと10分。
めずらしくジョッキーさんは走って戻ってきた。
「ありました。行きましょう!」
我々全員も次の店に駆け足で向かう。
またまた迷路のような路地を通りぬけ、辿り着いた店で、何やら店の人と話したジョッキーさんは私にこう言った。
「ここにあった15個のパーツを別の人が買おうとしていたのです。
それをチャックが見つけて、そのお客に交渉して、我々に譲ってもらうことにしたんですよ」
と。
●ミッション完了。最高のチームワークを誇るタイ・ロボコンチームとMCOTの2人
何と! チャックの機転で最大の危機を免れたのだ。
ふと時計を見ると5時15分。
私がタイに到着してからたった10時間で45種類×30組のパーツが揃ったのだ。
そして、もう1つの心配の種であったバンコクからプノンペンへの輸送だが、気づいてみればパーツの総重量は15キロ程度。
これなら私のスーツケースで運べるほどの容量である。
間に合った、間に合ったのだ!
一度は無理と諦めかけたパーツが今、私の手にある。
ロボコン三銃士のスマートフォンを駆使した情報収集能力とチームワーク、そしてニンさんのコーディネイト力、何より、ジョッキーさんがこの三銃士を選んだ眼力、完璧な準備とそして判断が、この作戦を成功へと導いたのだ。
すべてが終わって、ジョッキーさんは言ってくれた。
「これで、私たちはチームですよ」
と。
涙が出るほど嬉しい言葉だった。
カンボジアでロボコンをやろうと思って、タイの人々にまで心の通う仕事をしてもらった。
昨日から一睡もしていないけれど、その充実感と感謝の気持ちで疲労を感じることもない。
ジョッキーさんはじめロボコン三銃士との再会を誓い、翌日、パーツとともに私はプノンペンへと戻ってきた。
さあ、カンボジア・ロボコン本番まで残すところあと1カ月ちょっと。
ようやくスタートラインである。ここからが本当の勝負になるのだ。
』
『
JB Press 2014.03.03(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40054
また一つ日本発の文化がアジアの若者に伝わった!
試作ロボットの公開デモでわかったこと
~カンボジアでロボコン!?(13)
第1回カンボジア大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)まであと1カ月。
参加者のための制作用パーツもタイで調達に成功し、無事参加者たちに配られた。
後は、参加学生たちがロボットを作り上げるのを待つばかりである。
■人気の文化交流イベントで試作機をお披露目することになったが・・・
ところで、ここプノンペンでは2011年の震災以来、「日本・カンボジア絆フェスティバル」という日本大使館とCJCC(カンボジア日本人材開発センター)共催の大きなイベントが、震災翌年の2月から毎年行われている。
日本とカンボジアの文化交流を目的としていて、カンボジアと日本のアーティストが競演するポップコンサートやクラシックコンサート、コスプレショー、日本の武道などの紹介から、プノンペンで活躍する日本人シェフによる料理対決ショーなど、様々なイベントが4日間にわたって行われ、昨年はなんと入場者が8000人を超えたのだという。
娯楽の少ないカンボジアでは、このイベントを心待ちにしている人も多いと聞く。
その「日本・カンボジア絆フェスティバル」に各参加大学から代表チームを出してもらい、ロボコンのデモンストレーションを行うことになった。
とにかく、ここカンボジアでロボコンを知っている人はほとんどいない。
だからまずは「ロボコンとは何か」を知ってもらい、興味を持ってもらうには、目の前で動いているロボットを見せることが一番の早道だと思ったのだ。
大会の運営を行うことも、もちろん大事だが、その大会を盛り上げ、大会を放送する番組をより多くの人に見てもらうことも、プロデューサーとしての大きな役割だ。
だから先週はパーツの調達にタイに行ったが、今週は広報のための「日本・カンボジア絆フェスティバル」参加の準備なのである。
まあ、プロデューサーというのは、名前はカッコイイけれど、企画からお金を集めるための営業、カネ勘定、スタッフ編成、スケジューリング、広報、制作・・・そして今回はパーツ集めと運び屋も・・・と、要するに1つのイベントを成立させ、それを成功させるための「何でも屋」なんである。
ということで、デモをやるにあたって、不安なことは2つあった。
パーツの到着が大幅に遅れていたので、曲がりなりにも動くロボットが1つでも2つでも完成しているのかどうか、ということ。
そして、もう1つは、たとえ参加校からのロボットが揃ったとしても、それは単純な「ライン・フォロワー」のロボットである。
黒い競技盤の上に描かれた白い曲線をロボットがセンサーで感知してただただ走っているだけのものだ。
特に今回のデモはその速さを競うわけではなく、ただ制作途中のロボットを走らせて見せるだけ。
そんなものがお客さんにとって面白いのか、ということ。
●少しずつ形が異なる各参加大学のロボット(写真提供:筆者、以下特記のないものは同様)
とりあえず、1つ目の不安はタイから戻ってきて、運営チームの平松さん、德田さんの尽力ですぐに確認が取れ、出場大学4校から計10チームの参加が得られた。
しかし、2つ目がどうにも不安である。
それで、いろいろ考えた挙句、私はNHKに連絡を取った。
私たちカンボジア・ロボコンが最終的に目指す、アジア太平洋放送連盟(以下ABU)主催のアジア各国の代表が競うロボコンとは一体どんなものなのか。
映像で紹介すれば、参加学生もお客さんもロボコンに興味を持ってくれるのでは、と考えたのだ。
著作権の問題や、カンボジアが正式にABUロボコンに参加していないなどの理由があるにもかかわらず、NHKの担当者の尽力により、特別に今回のデモ時のみ映像の使用が認められた。
そこで私は、既に参加校のうちロボット作りの過程を取材させてもらったITC(カンボジア工科大学)とNTTI(国立技術訓練専門学校)の映像を加えたカンボジア・ロボコンのビデオを、NHKから許可を取った映像につなげて、当日、デモの前に見てもらうことにした。
しかし、もっと不安だったのは、そもそも当日お客さんがロボコンのブースに来てくれるかどうかだった。
ロボコンブースは他のブースから離れた場所で、しかも唯一2階の部屋だったからだ。
■満員御礼、観客の熱気に沸く会場
「日本・カンボジア絆フェスティバル」当日──。
デモが始まる30分前から部屋に用意した客席はあっという間に埋まってしまい、既に立ち見が出るほどだった。
席を埋めていたのは半分が参加学生とその友達、残りはカンボジア在住の日本人と一般の若いカンボジア人が半々だった。
●会場には大勢の観客が詰めかけた
お手伝いに来てくれた海外青年協力隊がお客さんを呼び込んでくれた成果であろう。
恐らく開始時間には100人近く観客が集まったようだった。
そして、クメール語が堪能な海外青年協力隊の浅水くんと、英語が堪能な山口さんの進行で、デモはスタート。
まず、ABUロボコンのハイライトビデオを上映。
皆食い入るようにスクリーンを見つめていた。
各国の代表チームが思わぬ失敗をしてしまうシーンでは溜息が漏れたり、笑い声が起こったりする。
本当にABUの会場で見ているかのような反応だった。
そして・・・
ABUロボコンのハイライトの後に、私はこんなテロップを入れておいた。
「カンボジアはなんで参加してないの?」
「さあ、カンボジア・ロボコンをスタートさせて、カンボジアの代表をABUに送り込もう!」
すると・・・
会場中から熱狂的な大拍手が巻き起こった!
続くITCとNTTIでのロボット制作過程の映像では、またまた拍手が続く。
これまでずっと映像を制作して視聴者に提供してきた私としては、こんな熱狂的な反応は嬉しい限りだ。
まずは、ロボットのデモ前に観客はじめ参加学生の興味を掻き立て、彼らの気持ちは掴めたようだ。
●ロボットの動きを真剣に見つめる観客たち
そして、いよいよ各参加大学の代表チームが作ったロボットのデモンストレーションのスタートである。
2.4メートル×1.2メートルの練習用ライン・フォロワー競技盤の周りの、より近い場所でロボットを見てもらいたいと德田さんが観客を促すと、皆我先にと競技盤に走り寄ってきた。
観客の数は開始当初より増えているように見える。
まずはPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)のロボットがスタート。
2台のロボットがただ競技盤の白いラインに沿って走っているだけなのだが、観客や学生はスマートフォンで写真や動画を撮ったりし、飽きずに眺めている。
好奇心に満ちた視線が注がれて、部屋中ものすごい熱気だ。
盤から遠い観客たちは椅子の上に立ち上がりのぞいている。
■ロボコンがカンボジアにもたらすもの
続く、NTTI、ITC、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)のデモンストレーション。
同じパーツで作ったはずなのに、形状も違えば、走り方もそれぞれだ。
走行が早いチームもあるが、正確性に欠けている。
速さに劣っても、確実にラインをフォローして、ゴールへはむしろ早く着くロボットもある。
なるほど・・・。これは面白い!
変な話だが、私自身ロボコンのプロデュースに駆けずり回ってきたが、それはロボコンそのものが持っている面白さを確認していく過程でもあった。
参加大学で学生たちがロボットの指導を受けている様子を見ては、学生たちと同じようにモノづくりの楽しさを目の当たりにして、私自身が楽しみ、そしてロボットが盤上を動けば、一緒にワクワクした。
恐らく、私が感じてきたのと同じことを学生も、観客も今感じているのだろう。
学生たちは生き生きとし、観客も実に楽しそうだった。
それぞれの参加学生たちはお互いに情報を交換しているのか、いろいろロボットについて話をしている。
すると、このロボコンをずっと応援してきてくださったプノンペン在住の日本人の方からこんな言葉をいただいた。
「カンボジアの学生がこんなに楽しそうに1つのことに集中しているのを初めて見ました。
これはスゴイですよ」
と。
●学生同士でロボットについての情報交換も始まった(撮影:青木有紀子)
そうなのだ。私たちは待っていた。
カンボジアの若者たちがこんなふうにキラキラと好奇心に満ちた目で何かを見つめ、楽しそうに、そして熱心に何かを語り合う姿を。
この時、もっともっとこのロボコンは面白くなる、と私は確信した。
今、目の前で各参加大学のロボットが示しているのは、それぞれの大学やチームの個性だ。
同じパーツなのに、ロボットの動かし方の細部や、制御の仕方のアプローチが少しずつ違う。
それによって、目の前のロボットがまるで生き物のように、個性を持っている。
個性──。
そう個性こそ、カンボジアの人たちがこれから自分たちの手で得ていくもの。
それはカンボジア人たち自身で作り上げていくもの。
誰かから指示されてその手本通りに作るのではなくて、自分たちで「考えて」「悩んで」作り上げていく、自分たちだけのもの。
その先にこそ、自分たちに対する「自信」が生まれてくるのだ。
ガンバレ!
ロボットたち。
ガンバレ!
カンボジアの学生たち。
と、カンボジアの学生たちのやる気に心打たれたのも束の間、このデモが終わるとすぐに、タイの公共放送局MCOTのジョッキーさんたちが、第1弾のロボコンの運営指導にやって来る。
ジョッキーさんからは前回のパーツ調達以来全く連絡がない。
ジョッキーさんたちが何をどうするつもりなのか分からない・・・。
うーん、まだまだロボコンへの波乱の道は続くのである。
』
『
JB Press 2014.03.10(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40104
カンボジアとタイの心の壁を消したロボコンの精神アジア・ロボコンの先達が伝えたこと
~カンボジアでロボコン!?(14)
第1回大学対抗カンボジアロボットコンテスト(以下、ロボコン)まで、残すところ1カ月余りに迫った2月24日の朝。
私は、アシスタントのラシーを伴って、プノンペン国際空港に向かった。
そう、あのタイの放送局MCOTのジョッキーさんとニンさんがここ、プノンペンにやって来るのである!
カンボジアの関係者の中でロボコンを知っているのは、国営テレビ局の副局長である“松平の殿様”だけと言っていい。
しかし、“殿様”と私を含め誰もその制作・運営に携わったことがあるわけではないから、本当のところはどんなことが起こり得るのか、全く想像がつかない。
ジョッキーさんは、アジア太平洋放送連合(以下ABU)が主催するアジア地域のロボコンがスタートした2002年からもう10年以上、タイの国内大会と、ABUロボコンに携わっている。
だから、大会運営とテレビ番組の制作の仕方について、知り尽くしていると言っても過言ではない(ABUとABUロボコンについては連載第2回参照)。
今回の訪問で、これから先1カ月間でどのような準備をすればよいか、きっと私たちの気づかないいろいろなことをアドバイスしてくれるものと期待していた。
■タイとカンボジアが「近くて遠い国」である理由
ジョッキーさんたちを乗せた飛行機が到着して程なく、彼らは入国審査を終えて、到着出口からいつものにこやかな笑顔で登場。
バンコクでのロボット制作用パーツ調達以来、1週間ぶりの再会である。
空港からホテルに向かう道すがら興味深そうに町並みを見つめる2人。
聞けば、彼らがプノンペンにやって来るのは初めてなのだと言う。
バンコクからプノンペンは直線距離にして600キロ余り、東京−大阪間よりわずかに遠いぐらいだ。
それなのに、2国の間には目に見えない壁がある。
歴史的な問題もあり、カンボジアはASEAN諸国の中で、経済的に最も脆弱な国の1つだ。
一方のタイは、ASEAN諸国内の「大国」である。
さらにカンボジアとタイの間には国境紛争が絶えない時期が長くあった。
だから、カンボジアの人々が、タイの人々に100%友好的な感情を持っているわけではなさそうなのは、私も感じていた。
そうしたタイ人から、ロボコンの指導を受けることに対して、カンボジア人がどう感じるのかが、私にとっては少なからぬ懸念材料ではあった。
しかし、私が伴ったアシスタントのラシーは、2人と本当に楽しそうに会話している。
特に、ジョッキーさんは、初めて会った人の心を捉えてしまう、得も言われぬ親近感と安心感がある。
それは恐らく彼がテレビプロデューサーとして持っている資質と、本来の人間性の両方から来るものなのだろう。
私がパーツ調達の相談をしようと思ったのも、ハノイで初めて会い、その後バンコクで打ち合わせをした、たったそれだけだが、この人なら信頼できるという直感からだった。
■ ジョッキーさんの言葉で分かってきた「ロボコンの本質」
●カンボジア国営テレビ局(TVK)にやって来たジョッキーさんとニンさん(写真提供:筆者、以下特記のないものは同様)
まずは、我が国営テレビ局に向かう。
「番組」としてのロボコンをどう作り上げるかの基本的なミーティングを、“殿様”はじめ、ディレクターや番組のMC(司会)、スタッフたちとするためである。
最初に私が今回のカンボジア・ロボコンのルール、参加大学やチーム数などを簡単に説明、そして、ジョッキーさんにロボコンを番組として制作するにあたって大切なポイントを話してもらうことにした。
開口一番、ジョッキーさんはこう言った。
「皆さん、このロボコンの主役は誰でしょう。
ロボットですか?
ルールですか?
大学の先生たち?
それとも主催者?
政府関係のゲスト?
いいえ、主役は参加する学生たちです。
学生たちがこのロボコンという宇宙の中心にいるのです」
「しかも、勝った学生が主役じゃない。
負けた学生が主役です。
勝った学生には、当然ながら、みんなが賞賛を送ります。
だから、勝った学生に番組がフォーカスを当てる必要はありません。
番組は負けた学生にこそ注目するのです」
そう言って、MCのアナウンサーに向かってこう続けた。
「ですから、例えばあなたはそれぞれのマッチが終わった時に、勝った学生にインタビューする必要はありません。
負けた学生にマイクを向けましょう。
そして、彼らが負けたのは悔しい。
悔しいけれど、ロボットを作るのは楽しい。
そして来年も是非挑戦しようと思わせること、それが一番大事です」
なるほど・・・。これには、私も思わず頷いていた。
カンボジア人の一般的な傾向として、人前で恥をかくことを極端に嫌う。
だから、うまくやりたい、勝ちたい、という気持ちが強い。
だが、ロボコンは勝つことが目的ではなくて、楽しむことが大事なのだ、と私たちは彼らに言い続けてきた。
でも、彼らにはコンテストという勝負を「楽しむ」という感覚がなかなか理解できず、私たちの意図するところがうまく伝わらなかったのだ。
しかし、ジョッキーさんの言葉には長年大会の運営と番組作りで得てきた経験に基づく力強い説得力があった。
皆、真剣な表情でジョッキーさんの話に聞き入っていた。
●カンボジア・ロボコン会場となるTVKのスタジオを視察
さらに、ジョッキーさんが力説したのは、コンテストの内容を一回きりの勝負にせず、2回戦にし、しかもそれは勝ち抜き形式ではなく、全員に2度のチャンスを与えようということだった。
その理由は、
「学生たちは恐らく何日も寝ないでロボットを作ってくる。
その学生たちが一度の失敗で失格となったら、ロボコンに出場したことが単に悔しい思い出となってしまうから」
というものだった。
これは、私も目からウロコであった。
それまで私はコンテストの収録時間のことばかり考えていた。
時間のことから考えると30チームの出場で3時間の収録が限度だと考えていた。
だから一度きりの勝負しかできないと頭から決めていたのである。
学生たちの気持ちを考えていなかった・・・。
それは、私にとって大きな反省だった。
ジョッキーさんの言葉は、参加する学生たちに対する「愛」にあふれていた。
そして、それはロボコンそのものへの愛情だ。
そうなのだ。
こうした主催者側の深い愛情が参加する学生やロボコンを育て、タイをアジアのロボコン大会での常勝国へと引き上げてきたのである。
私はその時ようやくロボコンの本質が少し見えた気がした。
■不服そうだったカンボジア人教員の表情が大きく変わる
そして翌日。
ジョッキーさんたちを伴い、今度は参加大学の1つであるPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)に向かった。
PPIはじめ、NTTI(国立技術訓練専門学校)、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)、ITC(カンボジア工科大学)の4つの参加大学の指導教員たちが一堂に会して、我々を待ち受けていた。
●ロボコン参加大学の指導者との打ち合わせ(撮影:Kith Borasy)
冒頭に私がジョッキーさんとニンさんを紹介し、この2人と、さらにタイ・ロボコンの主催者である大学教授、入賞学生、そしてその指導教員が、3月29日のコンテスト前からコンテストにかけて来訪し、その準備と運営の指導をしてくれることになった、と説明した。
まず、ITCの指導教員がこう口火を切った。
「いや、もっと早く来てもらえないか。
大会の2週間前ぐらいに来て、どうか学生たちにロボットをどう作ればいいか教えてくれないか」
すると、ジョッキーさんは即座にこう答えた。
「いや、それはダメです」
いぶかしげな表情の面々に、ジョッキーさんはいつもの笑みを絶やさずにこう続けた。
「我々が大会に向けて指導したら、学生たちのアイデアをつぶすことになる」
それでもまだ不服そうな教員たちに、ジョッキーさんはこう言った。
「ロボコンで大事なのは、参加する学生たちが自分で考えて、自分で壁にぶちあたること。
どうしてもそれが解決できない時だけ、私たちは手を差し伸べればいいのです。
そして、その経験を学生同士で共有する、それがロボコンという場です。
ロボコンで勝利することが大事なのではなくて、そういう経験を共有することが一番大事なのです」
とジョッキーさんは言って、私の方を向いた。
「ジュンコ、どうだろう。
だったら、大会翌日の3月30日に、参加学生全員が参加するワークショップを開かないか?
そこで、参加した学生たちが自分たちのロボット制作の過程を共有して、より良いロボットを作るためのアドバイスをタイ・ロボコンの入賞学生がする、という場にするというのはどうだろう」
素晴しい提案だった!
●学生たちが作ったロボットを見入るジョッキーさん
つまり、コンテストに向けた努力がコンテストで終了するのではなく、次のコンテストにつなげるワークショップを開催する。
皆が「次」のために自分の経験を共有する場をコンテスト翌日に設定する。
これこそ、ロボコンとは何かを、理屈ではなく体感できる運営に他ならない。
指導教員たちも、ジョッキーさんの提案に全員が賛成した。
この頃から指導教員たちの表情がどんどん変わってきた。
恐らく彼らもロボコンとは何かということが理屈ではなく理解できたのだろう。
気づけば、これまでずっと受け身だった教員たちが積極的に自分たちの考えや意見を言い始めていた。
ジョッキーさんのマジックだ。
彼の参加学生に対する「愛」が、カンボジアの人々にも伝わったのである。
■ロボコンが結ぶカンボジア、タイ、そして日本
こうしてジョッキーさんとニンさんの1回目のカンボジア来訪は終了。
わずか3日間の短い滞在だったが、本当に大きく深いものを我々に残してくれた。
そして、その日の最終便で帰国の途に就くその時、ずっと私とともにアテンドしてくれていたアシスタントのラシーに、私は空港までの見送りは帰宅が遅くなるから帰っていいと告げた。
●TVKのオフィスで歓談するジョッキーさん(右)、ラシー(中)とニンさん(左)
彼女はジョッキーさんらの滞在期間中、担当している毎朝6時半からの生放送のニュース番組を終え、それからあれこれと手配をし、一緒にアテンドしてくれていた。
だから彼女には相当疲労がたまっていると想像できたが、そんなことを微塵も見せずに笑顔を絶やさずに行動を共にしてくれていたのだ。
しかし、いつも穏やかなラシーは、私の言葉に珍しく、こう言った。
「ジュンコ、いやです。
送りに行かせてください。
私は送りに行きたい!」
そして彼女はこう続けた。
「私はロボコンの担当になった当初、ロボコンが何か全然分からなかった。
今回こうしてお2人のアテンドをして、いろいろ話を聞いて、ロボコンの素晴らしさも分かったし、ロボコンをカンボジアで開けることを本当に楽しみにしている。
今回ご一緒できたことがとても嬉しい」
と。
カンボジア人とタイ人の間の見えない壁が、私の唯一の心配だった。
しかし、それも杞憂だったようだ。
3月の再会を約束して、ジョッキーさんとニンさんは機上の人となった。
さあ、いよいよ、カンボジア人とタイ人、そして日本人で作り上げる第1回カンボジア・ロボコン本番まであとひと月!
』
『
JB Press 2014.03.17(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40154
目指せ! 脱「誰かが決めてくれるのを待つ」習性
残り20日で垣間見えた小さな変化
~カンボジアでロボコン!?(15)
第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下「ロボコン」)まで、この原稿を書いている時点であと20日である。
あと20日・・・となって、ようやくバタバタと動き出した感がある。
特に、タイの公共放送局MCOTのジョッキーさんとニンさんとの打ち合わせ以降(前回参照)、ロボコン本番に向けて確実に前に進んでいる。
■進行台本、番組のセット・・・具体的に進み始めた準備
まず、我が国営テレビ局では、ロボコンまでにどんな美術(いわゆる、番組に必要なセット、大道具、小道具など)を揃えなければいけないか、明確に分かってきた。
例えば、会場となるスタジオ裏には、参加する学生たちのためのピットを設けなければならない。
ピットとは、学生たちがロボットの最後の調整をしたり、バッテリーをチャージしたりする場所だ。
そこに、参加チーム数分のテーブルと電源タップを用意しなければならないのだ。
●ロボコンに向け、国営テレビ局による学生たちへの取材も快調(写真提供:筆者、以下同)
ところが、ここカンボジアでは、そういう事務用のテーブルやデスクというのは、同じものがなかなか揃わない。
日本のように大きなホームセンターがあるわけでもなく、小さな商店の軒先に並ぶのは海外から輸入している既成品や中古品である。
だから、それを参加チーム分揃えるというのは結構大変なのだ。
事務用のテーブル一つ取ってもそうなのである。
とにかく、参加チーム分、いろいろなものを揃えようとすると、同じものが1つの店や業者ではなかなか揃わない。
そのため、国営テレビ局の副局長である“松平の殿様”はいろいろ試行錯誤しているらしく、そのたびに、
「ジュンコさん、この間揃えると言っていたテーブル、やっぱりダメでした。
こんな形なら恐らく全部揃うんですが、どうでしょう?」
と私に聞いてくる。
正直、ピットだからカメラで映すわけでなし、テーブルなんて全部同じものである必要はないと思っているので、何でもいいと思っているのだが、どうもそういうわけにはいかないらしいのだ。
「きちんと、体裁が整っていること」に、殿様はいつもこだわるのである。
さらに、私はジョッキーさんが残していってくれたロボコンの進行リストを基に、まず叩きの進行台本を作ってみた。
それを殿様がチェックし、開会式や閉会式をどうカンボジアの様式に従って変えていくかを検討。
さらに、政府要人は誰を呼ぶか、どのランクの人が来たら、どのように式典を整えるかなど、カンボジアにとっては大事な作業があるのである。
そのことを、幸いなことに殿様は一つひとつ細かく私に相談してくれる。
だから、私にも、日本人は気付かないがカンボジア人にとっては重要なこと、大切にすることが見えてくる。
つまり、ロボコンの骨組みを理解したカンボジアの人々が、ここからどうやって「カンボジア・ロボコン」にしていくか、ということが始まりつつあるのだ。
■縦割り社会のカンボジア、コンテストのルール作りは難題?
そして、「カンボジア・ロボコン」にするために最も重要なのは、コンテストのルールを決めることだ。
それは参加するそれぞれの大学が話し合って決める──コンテストの運営側である大学を束ねて指導している平松さんは、一貫して最初からそう主張していた。
そもそもアジア太平洋放送連合(以下ABU)が主催のアジアのロボコンでは、詳細なルールや使用するパーツなどが予め決められている。
しかし、今回のカンボジア・ロボコンは第1回目。
しかも、盤上の白い線をロボットのセンサーが感知して走り、その速さを競うライン・フォロワー・ロボットという極めてシンプルなもの。
だからこそ、彼らに自分たちのロボコンであるという意識を持ってもらうためには、ルールを自分たちで決めることが重要だと平松さんは考えていたのだ。
パーツも各校に配られ、「日本・カンボジア絆フェスティバル」でのデモンストレーションで練習盤での試走が終了し、MCOTから説明を受けてロボコンを理解した今なら、ルールについての話し合いができるはず、と各校の指導教員たちに再び集まってもらった。
●参加大学が集まってルール会議が行われた
極めてシンプルなライン・フォロワー・ロボットとはいえ、決めなければならないことは山ほどある。
例えば、ゴールは何をもってゴールとするのか、ゴールラインで止まらなければいけないのか、それともゴールラインを過ぎればよいのか。
速いロボットもいれば遅いロボットもいる。
その場合は、1台あたりの制限時間を設けるのか、設けるとすれば何分なのか、準備時間は何分に設定するのか。
途中でコースアウトしたロボットや止まってしまったロボットにやり直しは認めるのか、レフェリーはどうするのか、タイムキーパーはどうするのか。
各校の出場チーム数は最終的にいつ決めるのか、出場チーム数そのものに制限を設けるのか、などなど・・・。
各学校にすれば、既に学生を集めて自分たちのルール解釈でロボットを作り始めているのだ。
★.(最新の学生たちのロボット制作の模様はこちら)。
https://www.facebook.com/photo.php?v=724404837593130&set=vb.647052058661742&type=2&theater
だから、勝ちにこだわれば自分たちの解釈しているルールに決めてほしいと思うし、学生への愛情から今参加している学生たちは全員出場させたいと主張する。
参加大学間の利害関係だけではない。
ロボコンを「コンテスト」として運営する大学側と、「イベント」として運営する我が国営テレビ局との利害関係だって存在する。
やみくもに多くのチームを参加させても、我々としては時間も予定通りにならなくなるし、それだけのピットスペースを用意はできない。
そういう様々な利害の対立をどうやって乗り越えて、ロボコンを作り上げてゆくか。
実は、この作業がカンボジアでは意外と難しい。
以前にも紹介したが(「カンボジアってそういうところ」は迷路の入り口)、カンボジアの社会は日本以上に「縦割り」である。
たいがいの物事は、この縦割りの中で行われ、命令系統がはっきりとしている上意下達の世界である。
だから、一般のカンボジア人は「上からのお達し」を待つという傾向があると、私は思う。
一方で、今回のように縦割りを超えた「横」のつながりで、上意下達ではなく、コンセンサスを取りながら物事を進めていくという経験がほとんどない。
従って、主張することは主張するのだが、何となく「誰かが決めてくれるのを待っている」傾向があるように思う。
●着々とロボット作りを進める参加校の1つNPIC(カンボジア国立工科専門学校)
すると、平松さんは、彼らに1枚の紙を配った。
そこには、「作業分担表」が書かれていて、何をどの大学がリードして、責任を持って取りまとめるかが表に書かれていた。
「皆さん、これは皆さんのロボコンなんですから、私たちがこうしなさい、とは言いません。
だからそれぞれのリーダー校が取りまとめて、以上の項目を決めてください」
平松さんの言葉に、各大学の教員たちは「え?」という表情だった。
お互い顔を見合わせ、明らかに戸惑っている様子だった。
そして、しばしクメール語で話し合っている。
そこで、私は彼らにこう言った。
「決めるのは皆さんですが、当日までにテレビ局としてもやらなければいけないことがたくさんあります。
例えば、参加人数とチームが決まらないと、私たちは皆さんに配るゼッケンも作れない。
制限時間が決まらないと収録スケジュールも決まらないし、ゲストでやって来た政府の要人を大幅に待たせることにもなりかねない」
「つまり、ルールを決めることはコンテストだけではなく、全体の運営に関わってくるのです。
だからそれぞれの案件を決める締め切りだけ私が決めます。
その締め切りをリーダー校がきちんと守って取りまとめてください」
と言って、締切日を発表。
彼らもようやく納得の表情になった。
上意下達ではなく横のつながりで、物事を動かしてゆくには、参加する一人ひとりが全体を俯瞰できる能力が必要なのだ。
それを少しでも彼らが理解してくれたなら嬉しいと思いながら、その日の会議は終了した。
■カンボジア人の「やる気」が見えてきた
●コンテストと同じサイズの競技盤でロボットを走らせるNPICの学生たち
その翌日──。
MCOTのジョッキーさんが提案した、コンテスト翌日に開催するワークショップの場所がどうしても見つからない。
そもそも、このワークショップは「コンテスト」を運営する大学側のためのもので、「イベント」を運営している国営テレビ局のためのものではない。
だから国営テレビ局側が、例えば情報省内の会議室などを提供するというものでもない。
なるべく中立性のある場所を選ぼうとしているのだが、学生含め100人ほどの人間が収容できる場所が見つからない。
そこで、各大学にメールでこう呼びかけた。
「30日のワークショップの場所を提供してくれる大学はありませんか?
100人以上の人間を収容できるレクチャールームか会議室を朝から夕方まで使用させてもらうのは、日曜日ですし難しいでしょうが、もし提供してくれるのであれば大変嬉しいです」
と。
すると・・・
4校の参加大学のうち、3校の指導教員から「うちで用意ができる」と返事が来た。
ある大学からは、提供はできるけれどエアコンがついていない。
それでもよければ喜んで使ってほしいとのメールが、なんと夜半近くに届いた。
カンボジア人は働かないと言う人がいる。
かく言う私だってそう思ってはいる。
しかも彼ら大学の教員にとって、ロボコン参加は業務ではない。
それなのに、この時間にメールが来た。
それをどう解釈すればいいのだろう。
ロボコンが彼らのものになっているのだろうか?
そうであることを私は信じたい。
そして、彼らを信じながら一緒に走っていこう。
ロボコン本番まであと20日!
』
<続きは下記で>
【ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その4 (16)~(20)】
※本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。
金廣 純子 Junko Kanehiro
慶應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フリー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にてGlobalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作アドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケーションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。
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