●インドは人口が多いだけではなく、若い〔AFPBB News〕
●昨年12月には、残虐な集団暴行事件に抗議する大規模なデモが起きた〔AFPBB News〕
『
JB Press 2013.05.16(木) The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37791
インドの怒れる若者:壮大な無駄
(英エコノミスト誌 2013年5月11日号)
インドはいかにして世界最大の経済的なチャンスを無駄にしようとしているのか。
過去35年間というもの、何億人もの中国人が成長を続ける都市部で、重労働が多いとはいえ生産的な仕事を見つけてきた。
この目を見張るような労働力の動員は過去半世紀で最大の経済的事象だった。
世界はこれほどの規模の出来事を見たことがなかった。
■人口抑制の妙案は深夜のテレビ?インド閣僚
では、世界が再び、このような一大現象を目にすることはあるだろうか?
その答えは、ヒマラヤ山脈を越えたインドにある。
インドは古代文明の1つだが、若い国でもある。
中国では昨年、生産年齢人口が300万人減少したが、インドでは年間で約1200万人ずつ増えている。
インドは向こう10年以内に世界最大の潜在労働力を抱える国になる。
楽観的な向きは、被扶養者に対する労働者の割合が高まり、所得に対する貯蓄額が増えることにより、大きな「人口ボーナス」が得られることを期待している。
この組み合わせは恐らく、東アジアの奇跡の3分の1程度を担った。著名な政治家のカマル・ナート氏は2008年刊行の著作『インドの世紀』で、「インドは文字通り、時間を味方につけている」と書いた。
■悲観的になる理由
しかし、インドの夢想家は若者を信じているが、インドの若者にしてみると、国に不信感を抱く理由が大きくなっている。
インド経済は国民の願望を高めながら、その後、願望を満たせずに終わっている。
2005年から2007年にかけて、インド経済は年間約9%ずつ成長した。
2010年には、中国をも凌ぐ急成長を遂げた(両国経済が同じ方法で測定された場合)。
だが、それ以降、成長率は半減した。
もう一方の「人口ボーナス」であるインドの驚くべき貯蓄率も落ち込んでいる。
気がかりなことに、次第に多くの家計貯蓄が金融システムを完全に迂回し、インフレの難を避けるために、金その他の現物資産に逃げ込んでいる。
国民会議派が率いるインド政府が前回、真剣に経済を自由化させた1991年には、今のインド国民の4割以上がまだ生まれていなかった。
彼らの抱える不安は、インドの老いた政治家にとっては無縁に思えるに違いない。
閣僚の平均年齢は65歳だ。
インドが独立してから生まれた首相は今までにいない。
このトレンドを覆す可能性があるラフル・ガンジー氏は、父親、祖母、曽祖父がインドの首相を務めた人物だ。
インドは高齢の指導者とその子孫、つまり白髪頭(grey hair)と跡取り(groomed heir)によって統治されているのだ。
特に若い女性の扱われ方について警察が見るからに無関心なことは、
新しいインドを守れない古いインドのあり方を浮き彫りにした。
必要な改革のリストは、お馴染みのものだ。
✡.意思決定の合理化と汚職防止に関する施策、
✡.中央銀行にインフレ抑制の自由を与える財政規律、
✡.現在、金融システムが失っている貯蓄を取り戻すための銀行改革
などだ。
政府は投資を促すために、土地取得に対する取り組みを見直す必要がある(土地取得については現在、欠陥のある法案が審理中だ)。
また、政府はエネルギー産業の障害を取り除く必要もある。
インドの新しい発電所も、燃料となる石炭とガスが国内に十分ないと、あまり価値がない。
こうした改革は、すべてのインド国民とインド経済の全分野に恩恵をもたらすだろう。
しかし、特に重視すべき産業転換がある。
世界銀行の元チーフエコノミストで、現在は北京大学に籍を置くジャスティン・リン氏によれば、
中国で労働人口が減少し、賃金が上昇するにつれ、
最大8500万人分の製造業の雇用が他国へ流れる可能性があるという。
ここに、職にありつけないインドの若者のチャンスがあるに違いない。
そうした仕事がインドに来てはならない理由などあるだろうか?
その答えは、急速に台頭する他のアジア諸国と比べると、インドには適切な企業や労働者があまりに少なく、不適切な規則があまりにも多いということだ。
確かにインドには、特に自動車生産にかけては素晴らしいメーカーが何社かある。
だが、バーラト・フォージやマヒンドラ・マヒンドラのようなメーカーは、あり余っている労働者よりも高性能な機械を採用することを好む。
■「ミッシングミドル」という問題
こうしたメーカーの対極には、一握りの従業員が昔ながらの手法で作業している粗末な町工場が数えきれないほど存在する。
インドに欠けているのは、多くの労働力を必要とする中規模の「ミッテルシュタント」だ。
インドは好況期でさえ、製造業よりも建設業でずっと多くの雇用を生み出していた。
煉瓦を頭に載せて運んでいる時に、インドの若者が目標を高く持つのは難しい。
中規模の企業が存在しないこの「ミッシングミドル」を埋めるために、政府は現在インドの起業家の頭を押さえつけている官僚組織という煉瓦を取り除くべきだ。
そうした煉瓦の1つは、名目上は工場が政府の許可なしで人員を解雇することを防ぐ悪評高い労働法だ。
インドの雇用主が第三者機関に所属する労働者を雇うことによって、同法の効力を鈍らせているのは事実だ。
だが、その際、企業は労働者を訓練するインセンティブも弱めてしまい、それがさらなる乱用を招いている。
そして労働者には多くの訓練が必要だ。
インドの若者の多くは学校を出る時点で、初歩的な仕事にさえ対応できる準備ができていない。
学力の標準は停滞し、悪化しているところさえある。
年次教育報告書によると、農村部では、5年生までに「43から24を引く」というような計算ができる児童が半分しかいない。
「What is the time?」というような英語の文章が読めるのは、辛うじて25%程度だという。
■苦汁をなめる若者への賛歌
中国から流出する製造業の雇用を獲得することに焦点を合わせることは、産業政策の理由にはならないし、もちろん、ひいきの工場を選別するライセンスラジへの回帰でもない。
若い工場労働者を支援する改革の大半は、インド経済全般を助けることにもなる。
官僚主義を抑制し、学校の改善を図り、まともな電力供給を確保すれば、インドのサービス業を盛り上げ、中高年労働者を後押しすることにもなる。
だが現時点では、
インドの高齢者の慢心が招く悪影響をもろに被っているのは若者だ。
若きガンジー氏は今年に入ってから、「なぜ若者は怒っているのか?」と尋ねた。
本当に不思議なのは、なぜもっと怒っていないのか、だ。
農村部では、政府は公共事業と食料への補助金で社会的な平和を買っている。
都市部では若者がデモを行うこともあるが、散発的なものに過ぎない。
2011年にはエキセントリックな活動家の汚職撲滅の旗印の下に若者が結集した。
昨年12月には、自分たちと同じような希望を抱いていた若い女性の残虐な集団レイプ事件に対し、若者が怒りを露わにした。
インドでは、多くの場合、非常に辛い困難が静かに耐え忍ばれる。
どんなに悪い状況に陥っても、近くにいる誰かがもっとひどい状態に耐えており、貧困層でさえ、失うものがどれだけあるか痛感しているからだ。
社会的な平和は悪いことではない。
しかし、インドには、雇用を生み出し、政治を若返らせるために不可欠な改革について、緊迫感があった方がいい。
「インドの世紀」は必然的に訪れるものではない。
それはむしろ、インドが無駄にしてしまう恐れがある大きなチャンスなのだ。
© 2013 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved.
英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
』
【気になる-Ⅴ】
_