●紡錘形メロンパン(上)と丸形メロンパン(下)。日本で誕生した菓子パンの中でも定番の1つとなっている。
『
JB Press 2013.03.08(金)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37294
食の源流探訪 澁川 祐子
固い皮の中は謎だらけ、「メロンパン」の形はどこからやって来たのか?
子どもの頃、メロンパンにはメロン果汁が入っているとばかり思っていた。
「それにしてはメロンの味がしないよなあ」
といぶかしく思いながらも、
「でもメロンパンというからにはきっとメロン果汁が入っているんだろう」
と勝手に決めつけていた。
メロンパンにはメロン果汁が入っていない、という驚きの事実を知ったのはいつだったか。
はっきりとは思い出せないが、けっこういい歳になっていたと思う。
たしか「メロン果汁入り」とわざわざ謳っているメロンパンを目にして、
「ってことは普通のメロンパンには果汁が入っていないのか」
とやっと気づいたのだ。
気づくのが遅かったのは、自分があまりメロンを好きではなかったからだ。
あの濃厚な甘さが昔から苦手で、メロンを使ったお菓子はなるべく避けてきた。
それだけにメロン果汁が入っているに違いないと思い込んできたメロンパンも、進んで味わおうとはしてこなかったのだ。
■メロンパンの形は1つではない
なんだ、形が似てるからメロンパンなんだ。
そう思ってこれまで深く考えてこなかったが、いざメロンパンについて調べてみると、単純に「形が似ているから」とは断言できないような気がしてきた。
なぜなら、メロンパンの形は1つではないからだ。
メロンパンというと、多くの人が丸形で表面のビスケット生地に格子状の筋がついているものを思い浮かべるだろう。
私もそう思っていた。
だが、関西より西、特に広島や神戸では、ラグビーボールを縦に割ったような紡錘形で数本の筋が入ったものを指すらしい。
しかも、中には白あんやカスタードクリームが入っているという。
さらにややこしいことに、あの丸形をした定番のメロンパンもあって、それは日の出にちなんで「サンライズ」と呼ばれているというのだ。
突然だが、私の両親は広島出身東京在住者である。
そこで、試しに
「ラグビーボールみたいなメロンパンって、広島で食べたことある?」
と母に聞いてみた。
すると、
「ああ、あのチキンライスの型を伏せたような形でしょ?」
と即答だった。
やはり広島では、紡錘形がスタンダードなのか。
そこで
「じゃあ、中に白あんは入ってた?」
と重ねて質問してみると、
「うーん、どうだったかしらねえ」
としばらく考え込んだあと、突然記憶の扉が開いたようで
「そうそう、入ってた! こっちに来て、あんこが入ってないんだって思った記憶がある!」
との答えが返ってきた。
やはり広島では中味入りの紡錘形メロンパンなんだ、と確かめられてなんとなく嬉しい気分になったのだが、それではなぜメロンパンという名前がついたのかという疑問が湧いてきた。
■紡錘形メロンパンの謎、答えは呉にあり
メロンパンの名前の由来には、いくつか説がある。
最も有名なのは、格子状につけた模様がマスクメロンに似ているからというもの。
もう一説は同じく形に由来しているが、たまたまビスケット生地にできたヒビ割れがマスクメロンに似ていた、という自然発生的なもの。
それから、一般に信憑性が薄いとされてはいるが、ビスケット生地に使う「メレンゲ」がなまって「メロン」になったという説もある。
だが、これらの説では、紡錘形のものもメロンパンと呼ばれる理由までは説明してくれていない。
そもそも、なぜ紡錘形になったのか。理由は単純で、ライスの型を使って成形していたからだとされている。
母の証言は、かなり的を射ていたわけだ。
広島県呉市にはその名も「メロンパン」というパン屋がある。
創業は1936(昭和11)年。
この店で売っているメロンパンは紡錘形の元祖とされており、ライス型を使って紡錘形に成型され、中にカスタードクリームが入っている。
ちなみに丸い定番のメロンパンは、ここでは「コッペパン」と呼ぶという。
「コッペパン」の呼びかたは、呉市のほかに三原市近辺でも使われている。
では、なぜメロンなのか。
その答えは一般に、焼き上がった形が当時メロンと呼ばれて売られていたマクワウリに似ていたから、と言われている。
まだメロンが高級品で庶民の手に届かなかった頃、昔から日本にあるマクワウリがメロンと呼ばれていたのである。
確かに紡錘形のメロンパンは、形といい、筋の入りかたといい、マクワウリに似ている。
だが、『小説新潮』2006年10月号の連載「食日本紀」(野瀬泰申・筆)では、「メロンパン」に取材したときのやりとりを以下のように書いている。
「この形はまくわうりと関係があるんですか?」
「いえいえ、ランチなんかに添えるライスの型がありますね、あれでパン生地を成形するのでこんな形をしてるんですよ。
先代もまくわうりのことは全然口にしていませんでした」
記事には、ほかに「メロンの高級イメージで売ろうとして名づけた」というなんとも曖昧な証言も載っている。
まことしやかに言われている「マクワウリに似ている説」は違ったのだろうか。
その謎は、「ライス型」と検索してみてすぐに解けた。
成形するときに使われているライス型は「メロン型」と呼ばれているのだ。
おそらく、先代の考案者はこの型の名前を拝借したのだろう。
メロンならば高級品のイメージもあるし、と。
ただ、メロン型はそもそもマクワウリを模したのだろうから、あながちマクワウリ説も間違いとは断定できない。
とはいえ、マクワウリそのものが直接のヒントというよりは、型の名前にちなんだという方がより事実に近いのではないだろうか。
■昭和初期、東京のパン屋に丸形メロンパン
ずいぶんと紡錘形メロンパンに文章を割いてしまったが、今度は定番の丸形メロンパンについても見ていこう。
気になるのは、紡錘形と丸形とどちらのメロンパンが先にあったのかという点だ。
先のマクワウリがメロンとして売られていたという話が正しければ、丸形がメロンと呼ばれるようになるのは、紡錘形よりも後ということになる。
現在一般にメロンと呼ばれている、甘みの強い西洋系のメロンが日本に入ってきたのは明治時代とされている。
だが、市場に出回るようになったのは、アールスメロン(いわゆるマスクメロン)が1925(大正14)年に入ってきて、温室栽培に成功してからだ。
とはいえ、まだまだ高級品でごく一部の限られた富裕層しか口にできないものだった。
メロンが一般家庭にも普及するのは、戦後になってからのことだ。
ならば、丸形は紡錘形より遅れて登場したのだろうか。
だが、そうとも言い切れない。
1930(昭和5)年、東京府北豊島郡巣鴨町上駒込の三代川菊次というパン職人が、パン生地にコーヒーやバナナなどで風味をつけたケーキ生地をかぶせて焼くパンを考案し、翌年の5月18日に実用新案登録がされたという記録が残っているからだ。
東嶋和子著『メロンパンの真実』(講談社、2004年)に、このパンの断面図が載っているが、それを見ると形は丸形のメロンパンそっくりだ。
ただ、この記録には残念ながら、パンの名前が明記されていない。
また同書には、「ワールドホップス」というパンの原料メーカーの元社長である梅沢八郎という人物の証言を載せている。
1927(昭和2)年には、たいていのパン屋にメロンパンがあり、当時からメロンパンと呼ばれていた、というものだ。
以上のことを併せ考えるに、昭和初期にはすでに丸形のメロンパンが存在していたと言えるだろう。
日本の菓子パンの歴史は「木村屋總本店」が1874(明治7)年に発売したあんパンに始まり、同じく木村屋總本店が1900(明治33)年に発売したジャムパン、1904(明治37)年に「中村屋」が売り出したクリームパンと続いていく。
また、1913(大正2)年には東京で「丸十製パン」を創業した田辺玄平によって、ドライイーストが製造されるようになり、いろいろな種類の菓子パンが作られるようになる。
そうした菓子パンブームの中で、おそらくメロンパンも生まれたのだろう。
となると、紡錘形が1936(昭和11)年に生まれたとするならば、昭和初期にはすでに存在していた丸形の方が早いということになる。
だが、ここでまた新たなる疑問が浮上した。
丸形のメロンパンがそれほど人気があったのならば、なぜ丸形が全国を席巻しなかったのだろうか――。
■東と西が影響し合いながら進化
ここから先は私の憶測だが、丸形のメロンパンに「メロンパン」と名前が定着したのは、比較的遅かったのではないか。
先の梅沢八郎の証言とは食い違うが、記録に残っていない以上、あり得ることではないかと思う。
新聞のデータベースを調べてみても、戦前の記事にメロンパンという名前は出てこない。
国会図書館でも調べてみたところ、メロンパンという名前が最も早く登場するのは、『製菓実験』(製菓実験社)の1940(昭和15)年7月号だった。
その前年に発行された『製パン教程』(糧友会編、糧友会)という専門書には、あんパンやジャムパン、クリームパン、五色パン、チョココロネなど21種もの菓子パンが紹介されているが、その中にメロンパンらしきものは登場しない。
以上を考えると、少なくとも丸形のメロンパンが昭和10年代にはメロンパンと呼ばれていたことは確実だが、「たいていのパン屋でメロンパンと呼ばれて売られていた」と言えるほど定番化していたかは疑わしい。
それも昭和1桁代であればなおさらだ。
おまけに西洋系のメロンが一般の目に触れるようになったのが1925(大正14)年以降だとすると、それが高級食材として広く認知されるようになるのは、もう少し後だと考えるのが自然だ。
まとめると、昭和初期に東京を中心にビスケット生地をかぶせた丸形のパンが登場する。
ただし、メロンパンという名前はまだ一般化していなかった。
関西方面で昭和10年代にクリームや白あんの入った紡錘形が、その型の呼び方にちなんでメロンパンの名で登場する。
同じ頃、東日本ではビスケット生地でできた丸形パンもメロンパンと呼ばれるようになる。丸形のメロンパンが西にも入ってきたが、紡錘形のメロンパンがすでにあったため、丸形のものはサンライズと呼ばれるようになる。
以上は推察にすぎないが、相互に東と西で影響し合った結果、2種類のメロンパンが現在まで残っているということは間違いないだろう。
メロンパンのヒントになったのは、アメリカ経由で入ってきたメキシコの菓子パン「コンチャ」だとも、ドイツのお菓子「ストロイゼルクーヘン」だとも、様々な説があるが、いずれも確証はない。
どこまでいっても靄がかかったように謎に包まれているのである。
だが、そんな謎などおかまいなしに、メロンパンはいまも進化し続けている。
ビスケット生地のサクサク感を追求したもの。逆にもちもちとした食感を打ち出すもの。
生地やクリームにメロン果汁を加えてフルーティーさをウリにするもの。
チョコチップやストロベリーなどの変わりダネもある。
さらに2000年以降、移動販売のメロンパン屋が登場し、街のあちこちにあの甘い匂いを漂わせていた。
先の『製菓実験』では、メロンパンはレモンオイルまたはエッセンスで風味づけをするとあった。
たしかに幼い頃に食べたメロンパンはレモンの香りがしたような記憶があるが、いまやレモン風味のメロンパンは少数派だろう。
日本で生まれ、時代の移り変わりとともに味を変え、食感を変えながら、100年近くも愛されている菓子パン。
その正体は、ビスケット生地に覆われている姿さながら、ぶ厚い謎のベールに包まれている。
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【気になる-Ⅴ】
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